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春子がいじめられはじめた理由は、はっきりとは覚えていない。
あの家がひどくまずしかったことは、理由のひとつであったように思う。
思春期の女子の中では、身なりがあか抜けないということは、
それだけで申し訳なさそうなふるまいを求められることだ。
リップが買えなかったり。ワックスが買えなかったり。制汗スプレーが買えなかったり。
少しのことだけれど、違和感を持たれる。
そんなことどうだっていい、と言える人間が、あの頃の私たちの中にどれだけいたか。
私は、 私のリップを貸してあげながら
私たちは、おんなじやすっぽい合成メロンのにおいを唇から放ちながら
かわりばんこで未来を憂いた。
14歳の春。私たちは二人で家出した。
所持金いっぱい叩いた電車の片道切符は、子供ながらに決心の証だった。
14歳。自分が、自分の異能に目覚めた年だ。
: : :
「えっ…もういいんですか?」
救急車を呼んだ後、所々のやり取りがあって、
私達――私とチナミ警察署の警察官2人は、
今はがらんとした渡世歩のマンションで状況確認をしていた。
若い女性の急死。
私はその場にいた上に、実際に後ろめたいことがある。
歩さんが亡くなってから、6時間ほどその事実を隠していたのだ。
だから、事情徴収を受けている間中、もっと疑われるとか、
事実が事実として明るみになって、何かしらの罪に問われるかと想像していた。
だとしても仕方ない。そうなったとしても狼狽えない理由が自分にはあると、そこまで覚悟していた。
「ご遺族と連絡とりまして、検死が済みましたから。事件性なしという判断です。」
おかしいじゃないですか。
のどまで出かかった言葉を飲み込む。
「病死ですよ。」
「アユミさん、どこかわるかったんですか?……」
「 」
眩暈。
「子宮にがんがありまして、」
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-回想・葬式-
8畳の和室で執り行われたみすぼらしいお葬式で、
すすり泣く声に取り囲まれながら、私は唇を噛んで涙をこらえた。
私だけは絶対に泣くもんかと思っていた。
親族らしき人達が『この場合一体誰がお葬式の費用をだすのか』、
ということで暗い顔をしていたことを覚えている。
この世というのはなんとも汚らわしくて、どうしてこんな境遇に取り囲まれたまま、
春子がその人生を閉じなければいけなかったのかと思う。
せめてこの境遇から彼女を連れ出したかった。
世界はおそらく広いはずなのに、家出は、たったの1日で足がついて、私達は囲いに戻された。
私は気丈にふるまって、出棺の後にも火葬場についていった。
「リコちゃん」
「リコちゃん」
「リコちゃ~ん!
コレみて~。おそうしきのひとねえ、いうとったよお。
お花の色、燃え残るんがあるんじゃって!ねころんどるまわりねえ、お花いっぱいしとったじゃろ?
おねえちゃん、こんなんなったわあ!」
い
気色わるい
こどもだから?
こどもだから、なにかわからないから、
春子の、
春子の、
遺骨を、くすねたって、それで?それで、こどもだから?
こんな――
彼は7歳だった。ずっと、目に映ってはいた。
葬儀の席で、泣くまいと耐える私の他にも もう一人泣いてない人間がいた。
春子の弟。彼は笑っていた。
私にぶたれたその子供は、にわかに声をあげて泣きだした。
親戚や葬儀場の従業員たちは、彼が家族の死を悲しんで泣いているのだろうと心痛めた。
だけど違う。彼はただ、叩かれたから泣きだしたんだ。
阿片せつせつ。
一家が中毒死した事故でたった一人生き残った彼に対して、私はある時までは同情して、面倒を見ていた。
: : :
-渡世 歩の葬式-
「刑事さあん、なんで死んだ人に花供えるんじゃろねえ」
「…はあ」
「花、供えられたら供養になるんかねえ。」
弔花
死人に備える花、その風習。仏教は仏への精進の誓いとして、キリスト教は神に返す故人を飾る為等と考えられる。しかし、諸宗教が興る以前、原始人の時代から遺骸と共に花粉が見つかっている。
「あ、アガタ先生、それ俺いっこ聞いたことあります。土葬の習慣がある場所では、
遺体に動物を寄せ付けない為に薬効や毒のある花を植えたとか」
「おお~。供養じゃなくて死体守りの花いうのもあるんじゃねえ」
「アガタ。
雨が降りそうだから中に入って。」
「鬼頭さんしっとる?なんで死んだ人には花なんか」
「調べとく。」
大きな渡世歩の写真を取り囲み、段々に飾られた菊花をアガタが撫でるようにしていた。
ふんふんと鼻歌を歌っていた。それが癪に障る。
なぜ歌う?
恋人が死んだのに。
: : :
私はアガタを気にかけていた。何かと面倒見てやっていて、
アガタが高校生になるころ、私達は付き合った。
それがヘンだと言われればそうだ。本当に。
たのしかったこと、よかったこともあるにはある。束の間、しあわせだったようにもおもう。
だけど私が別れた理由を話したい。
アガタはなんでもない日によく花束をくれた。
うれしかった。自分のこれまでの恋人に、花を贈ってくれる男がいなかったから、虚をつかれた。
花という何の役にも立たない、けれど価値のあるものを用意するという行為そのものが、
妙にオシャレに感じたのを覚えている。高校生のクセに、花を贈るというのがやはりなんだか、ずるい。
うれしい反面気がかりでもあった。
小遣いもさほどないだろうに、自分の娯楽費を削っても花を買うなんて無茶だと思った。
私はある時彼を着けた。
これ、いくらくらいなんだろうって、気になってしまったのだ。
どこで買っているのか見れば、贈り物の値段の相場が解る。非情にマナーが悪いけど。
そしてはっきり見た。彼はひしゃげたガードレールに供えられた献花のひとつを
『拾った』。
私は叫んで、急いで部屋に生けていた花束を捨てた。
手が震えていた。思い出した。気色わるい。
あの時立った鳥肌。
それまで、親友の弟としてかわいがっていたものを『気色わるい』と思った。
あの時立った鳥肌とおなじものが。気色わるい。気色わるい!
ほどなく私達は別れた。
: : :
私は悟った。
この男には人の心がないのだ。
: : :
私は裏切られ続けた。
アイフェイヨ~ンで春子を生き返らせてほしかった。
私を愛していると信じたかった。
5年も付き合った歩さんが亡くなった時、涙のひとつでも流してほしかった。
子供の頃だったから笑っていられたんだと、信じたかった。
これまで、歩さんの子宮にがんがあると知ってなお抱いていたのではないと信じたい。
期待するたび裏切りに終わる。この男には、人の心がない。
…そして始めに戻る。
私が私の異能に目覚めたのは14歳。
春子のことで塞ぎこんでいた私は逃避先をさがして、
ネットで一晩中痛みを吐露するだけのチャットなんかに勤しんでいた。
そうする中、パソコンのモニターに勝手に文字が打たれたのだ。
自動筆記で、『イワン』はみずから能力者である私に語りかけた。
そしてそれは私のやりきれなさを救うはずのものだった。
鬼頭 莉子/キガシラリコ
異能名は『インフルエンサー・ワクチン』略してイワン。通信回線に顕現する、さまざまな情報の伝播力を操作する異能。制約付きで伝播力を高めるインフルエンサーと、同じく伝播力を弱めるワクチン。
『イワン』は私に、私の異能の使い方を教えた。
インフルエンサー。
私は春子が死んだことを私ばかりが引きずっていることに耐えられなかった。
だからその死を広めたかった。
阿片一家の死がニュースになると、事故の原因になった旧式ガス給湯器の取換が全国で行われた。
そのガス給湯器の会社が 賠償か何かをしたと思う。
その事が、未来に起きるかもしれなかった事故を防いだのかもしれない。わからない。
そうか、それで起きるかもしれない事故が防げたのか。
春子の死は無駄じゃなかったんだ。
なんて、思えるわけがない。
やりきれなくて、次に春子が学校でいじめられていたと世間に広めた。
それは確かに噂になった。だけれど、それがなにかになったのか、今もわからない。
半年も経てば元通り、話題に上がらなくなった。
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(そう。 私はこの異能を、アガタという画家の名声を広めることに使った。) |
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彼のよいニュースを広めた。
はじめはこんな風になるとは思わなかった。 阿片家のニュースも、春子のうわさも、話題として半年と持たなかった。 だから、何の気なしに少し――食べていけなさそうな、アーティストなんて仕事に力を貸したつもりだった。この人間が自活しないということは、誰かしらに迷惑をかけることだとも思ったからだ。
それがこんな、大成するなんて。
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春子を置いて世界は回る。
『弟は特別なんだ』と春子は言っていた。
弟は、まるで、神々に愛されているかのようだと。
私はそうは思わない。
思いたくない。
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おかしいじゃないですか。_ |
[Backspace]
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おかしいじゃないか。_ |
[Backspace]
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おかしいじゃないか!_ |
パソコンに文字を打ち込む。そして消す。くりかえし打ち込む。
きっとイワンだけが聞いている。
『事件性がない』。それは14歳の時にも繰り返し言われた言葉だった。
一番体力のないはずの、いちばん年少の弟だけが生き延びて、
他の全員が死んだのに。はい、なんの不審もありませんでしたなんて。
私は。
私の手に回ってきたこの男に、自分の異能を行使したことを、
神のご意向だとか、運命だとか、そんなことに組み込まれるのはぜったいにいやだ。
そんなつもりはない。決して。
神々に愛されているから生き延びたなんて、絶対に納得がいかない。
他の家族が、春子が死んだことは、神に愛されていなかったからなんて、バカな言い草はさせない。
私が遠巻きにながめるこの現象は、
渡世歩の手を離れた。そして、速水徹也の手に渡った。