『思い出の国』を出た途端、
青かった筈の鳥の羽は黒に変わっていた。
――どこかで聞いた、くだらない御伽話の一節。
けれど、あちら側での日々を誰かが思い出と呼ぶのなら。
更に1時間。
追加される記憶は相も変わらず頭の痛くなるようなものばかりだった。
ともあれ、ハザマでの動き方も少しずつ考えていかなければ。
同じ否定の世界の住人であっても、必ずしも協調を期待できるわけではない、という事は薄々理解していた。
向こう側での記憶に絆されて、侵略を阻止する側に立とうとする者に限った話ではない。
侵略者でありながら、敵味方の区別なく、攻撃できれば何でも良いと考える者も少なくはない様子なのだ。
最低限、同じ目的の側に立ち、なおかつ協力の見込める相手を見定めていく必要がある。
……とはいえ、何も侵略が果たされた後まで仲良く不可侵協定を結ぼうなどと、面倒くさいことを言うつもりは無い。
それは自分自身にとっても都合の悪い話なのだ。
全ては再び己の欲を満たせる世界を得るための事で、それを果たして尚、己の欲を抑えるなど馬鹿げているのだから。
相手の見定めということに関して、当初は可能な限り正体を隠して知己に接触を試みるつもりだったが、
場合によっては敢えて自分が何者であるかを開示するのが有効なケースもあるかもしれない。
……例えば、イバラシティの記憶に絆された怪物という絵空事を信じるような、
向こう側での人間関係を振りきれないような、心優しい
……呆れてしまうような人物なら。
此方の言葉を信じ切って、揺さぶる隙を与えてくれるかもしれない。
あるいは、自身が裏切り者の側に立つ可能性がある、または、既に裏切者であると口を滑らせてくれるかもしれない。
もっとも、相手がこちらの言葉を信じようと信じまいと、それを喧伝されて回っても困るので、
仕掛けるなら秘密を守りそうな人物という条件に限定されてはしまうが。
そんな風にして試みてみたい事を一つ思いついたところで、男はふとため息を吐いた。
ある程度思考が整理されると、それに伴い、目を逸らしていた事柄に嫌でも意識が向いてしまう。
数刻前に通信を試みた同業者から、返事が来た。
話の雰囲気からして、おそらく彼らも同じ目的の側に立っているのは間違いないと思う。けれど。
そもそも本来属していた世界はどちら側なのか。
侵略者でありながらイバラシティの記憶に絆される者がいるように、
何らかの理由で、イバラシティの住民でありながら侵略者の側に加担する者もいるらしいという話は耳に入っていた。
向こうとこちらで姿も言動も変わらないあの同業者は、果たしてどうなのか。
……何故そんな事を気にかけてしまうのか。どちらにしても、目的が同じであれば取るべき態度に変わりはない筈なのに。
ともあれ、それであれば態々イバラシティでの記憶に併せて偽善者ぶらなくとも済みそうだ。
そう思って良い筈なのだが。
……あまり自分とあの偽善者がかけ離れた性質の存在である事を強調するのも良くない、
ある程度は同一の存在だと受け取らせておいた方が良いのではないか。そんな考えが頭の片隅に湧いていた。
余計な真似をして、下手に同陣営の者と不和を生じさせたくはないのだ。
だから、非合理的ではあるが彼らが"木染玄鳥"に近いものを求めているのなら、
それに多少は併せて振る舞った方が良い。見たいものを見せてやればいい。それだけの事だ。
そう、彼らが求めているのは、自分ではない。
……それから、意志疎通のしやすさを考慮して、基本的にはこちらの姿を通した方が良さそうだ。
もう一つの姿については、戦闘などの事情に迫られない限りは態々晒す必要もないだろう。
無駄な事を省いているだけだ。見られたくないなどと、思っているわけではない。
『もし"あなた"が会ってもいいと思うのであれば……近くにいらした時にでもご連絡ください』
同業者からの返事は、その言葉で締めくくられていた。
"木染玄鳥"なら、取り得る行動は一つだろう。
それ以上の理由は無い、と思考を打ち切るようにして男は小さく溜息を吐いた。
直後、羽ばたき音がして……男が居た筈の場所には、数枚の黒い羽根だけが残っていた。