好きになってくれるひとより、嫌ってくれるひとが欲しい。
好きなひとは傷つけるのに躊躇するから。
大事に分類するものが増えるたびに生きるためのことが難しくなるから。
* * *
子供のころの話。
我が家では1匹犬を飼っていたことがある。
父さんがなにか抱きかかえて帰ってきたと思ったら真っ白でもこもこの毛玉で、
興奮するショウ兄リョウ姉の横でおれはポカンと固まっていたらしい。
おれが幼稚舎に通い始めるより前だから、たぶん4歳くらいだったはずだ。
たぶん、足元に寄ってくる熱のある毛玉に頭がついていってなかったんだと、思う。
毛玉は思ったよりおれに懐いた。
おれがいちばん小さかったので本能的におれを守っていたのかもしれないし、
(でもこのとき毛玉はおれよりずっと小さかった!)
寒さにつよい犬だと言っていたのでおれのそばが一番涼しいと気付いたのかもしれないし、
家族の中でおれだけ灰白色の髪をしていたから仲間だと思われたのかもしれない。
兄姉も面白がっておれに白いもこもこのアウターを着せたものだから、
おれが毛玉のそばに座っていると白い毛玉がふたつあるように見えたらしい。
まぁそんなかんじで。
おれも別に嫌う要素もなく、毛玉は大体いつもおれといっしょにいた。
異能がどう転ぶかわからないおれはあまり外には出してはもらえなくて、
天気のいい昼間はよく毛玉と庭で駆け回っていたりして遊んだ。
家族の誰かがずっと見ててくれたと思う。
手を振れば誰かが必ず振り返してくれたのを、覚えている。
雨の日は庭に出れないからと、部屋でだらだらと遊んだりもした。
毛玉はピアノの音も好きだった。おれや母さんが鳴らしていると必ずそばに行きたがった。
ぱたぱたとメトロノームのように尻尾が揺れて、リズムを取っているように見えて楽しかった。
おれが遊びつかれて寝てしまったときは誰かがすぐやってきて運んでくれた。
近くにひとがいてくれたのもあるだろうけど、毛玉がすぐに教えにいっていたようだ。
毛玉は賢いやつだった。
毛玉のお気に入りは黄緑色のボールだった。
毛玉の首輪は薄いピンク色だった。おれが選んだんだ、覚えている。
毛玉のおやつのクッキーを一枚もらったけどおいしくなかった。
毛玉にお返しのおやつをあげようとしたら全力で止められた。
毛玉はすぐ大きくなるのになぜおれは小さいのかと泣いて困らせたこともあった、らしい。
たぶん毛玉とケンカしたこともあったんだと思う。
それはほとんど覚えていない。好きだった記憶だけを残して大切にしまって美しいまま残しているのだ。
毛玉はまちがいなくおれの大事なもので、好きなもので、家族だった。
* * *
また、鈍い痛みが来る。
今回は20日分だ。
こないだより2日分多いし。たかが2日分じゃない。
18日分+2日分だ。約1.1倍だろ。
この辺の記憶はもうすこし楽な方法はなかったのか。雑な仕事だハザマ管理人め。
ああ、それにしても。
なんで今さら、あの毛玉のことを思い出してしまったのか。
性懲りもなく犬用品を買ってしまった"あっちのおれ"のことも気になる。
おまえも思い出せよ。あの毛玉のことを。
目を閉じればじんわりと痛みが広がるだけで。
この痛みはただの記憶の焼き付けの反動で、それ以上でもそれ以下でもない。
けしておろかな感傷なんかではないと、思いたい。
毛玉の名前はなんだったろうか。
いつも、肝心な記憶は見つからないのだ。