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大事なものを傷つけず生きるのは難しい。
傷つけないように生きるためには他に傷つけていいものが必要だ。
大事でないものは、おれが大事なもののそばにいるために必要だ。
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幼稚舎に入る前のおれは、そこそこ制御になれてきたかな?というくらいのことしかできなくて、
たまにおかしなほうに舵を取っては倒れていた。
おれ用に整えられた部屋。
ヒーターがいくつもベッドを囲むように置かれて、寝てるおれが冷えないように周りを暖めている。
窓のない、ベッドとぬいぐるみとチェストとヒーターくらいしかない、今と大差のないおれの部屋。
赤ん坊のころにはメリーゴーランドなんか飾ってあったみたいだけど、5歳のときはどうだったかな。
もう片付けられていたような気もする。
まぁ、できるだけ物を排除した、生きるためだけの部屋だ。
その部屋にひとり、身体がまともに動くようになるまで閉じこもる。
たまにもこもこに着膨れした家族がやってきては食事をするように促していく。
食の細かったおれを心配してくれるのだ。
「たくさん食べないとよくならないから」
その言葉はたくさん聞いた。
魔法瓶のような蓋つきの器にシチューや粥が満たされて、ベッドサイドに常に置かれていたものだ。
実を言えば掬うのが面倒で、おれは手をほとんどつけなかった。
家族がたまにもってきてくれるココアやポタージュは楽だったのでそれなりにもらったのだけど。
その事実をぽろっとこぼしてもっとはやく言ってほしかったと怒られたのは中等部あたりの先の話だけど。
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毛玉が来てからはめずらしくあまり長く寝込むことはなかったのだけど、
そのときは結構長引いて一週間近く寝込んでいた。
その年は寒暖差が激しくてうまく調整ができなかったみたいで。
おれは毛玉と遊べないのがすこしばかりさみしくてぬいぐるみの追加を頼んだことは覚えている。
毛玉はずっと姿の見えないおれを探してくれていたらしい。
食事を運ぶ家族の後ろをついていくので毎回連れ戻すのが大変だと言っていたのを聞いた。
毛玉は賢いやつだった。
寝込んでから何日目のことだっただろうか。
起きたら、横に毛玉がいたのは。
指が沈みこむ真っ白の毛、やわらかな弾力、ずいぶん大きくなった身体。間違いなく毛玉だった。
買ってもらったばかりのぬいぐるみとは違う。抱きしめているのは毛玉だ。
一年近くずっといっしょにいたのだから間違えようがなかった。
普段の毛玉とちがったのは、
よく舌をしまい忘れてる間抜けな顔がおとなしく動かないことと、
忙しなく動いていた尻尾がぴくりともしないこと、
あたたかかった心臓が動いていなかったことくらいだ。
おれは跳ね起きて家族を呼びに行った。
昨日まで起き上がれなかったおれが走り回ったものだから家族はびっくりしていて、
そしておれの部屋の毛玉を見てさらに、驚き、固まっていた。
毛玉はどうやってかは分からないけど、夜中におれの部屋に潜りこんだらしい。
そしておれのそばで眠ってしまったのだろうと。
毛玉が死んだのはおれのせいじゃないと兄姉は言った。
それは嘘だろうと今なら分かる。寝込んでいるおれがいなければ毛玉はベッドに入ったりしなかった。
父さんはおれに大丈夫かと聞いた。
前日まで伏せてたおれの身体は好調といっていいくらいだった。
ああ、「たくさん食べないとよくならない」、あれは本当のことだったんだと知った。
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きました、今回も記憶が。ええと21日分?
3回目ともなると受け入れて整理するのもだいぶ慣れてきた気がする。
できれば兄姉がここにいてほしい、いや、いてほしくない。難しい。
からからと、足元に氷の粒が落ちては砕けていく。
思い出したくらいで涙が出てくるとはどういうことだろうか。
あのときだって目玉が凍ってしまうくらいに泣きつくしたじゃないか。
まだ足りないのか。今はそんなことに感情を向けている場面じゃないのに。
淡々と足りない分だけの記憶だけ焼き付ければいいものを、
なにを昔のことまで余分に思い出してリソースを食っているのか。なんてバカだろう?
おれは毛玉ほど賢くはなれないのかもしれない。