アンジニティは、世界の掃き溜め。
様々な世界からの『否定され追放された者』が
棄てられる世界。
環境は悪く安息の地も無く、
内から外への道は完全に閉ざされている。
──私も、その1人だ。
汚泥に塗れ、踏み躙られる毎日を過ごす中で
あの日の▇▇の悲しそうな瞳を何度思い出しただろう。
▇▇は、私がこうなることを知っていたのだろうか?
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「私の人生は失敗だった」
練習に耐えきれず泣きじゃくっていたあの日、
『先生』は僕にそう語りかけた。
「だからといってやり直すことはできなかった。
人生とはそういうもの。失敗したらおしまい。
そして、それに気づいたときは手遅れなのよ」
無感情な声ばかりを聞いていたおかげだろうか。
その声はひどく印象に残った。
もっとも、まだ僕は幼かったから
そこにどんな感情が込められていたのか──
それを理解するのは少し難しかった。
いや、きっと今聞いたとしても
完全に理解することはできないのだろう。
だってそれは『先生』が生きてきた時間
全てを費やして得た答えだったから。
「それでも私は諦めない。諦めるつもりはない。
だから貴方を産んだの。分かる?
貴方が私の『人生』をやり直すの」
理解できた、といえば嘘になる。
でも、あの日初めて『先生』が僕のことを
真正面から見てくれたような気がした。
それでよかった。それだけでよかった。
僕は泣くのをやめて頷いた。
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眼下に広がる灯を見て、▇▇は何を思ったのだろう。
「あれが『文明』の灯だ。
地上にできた新しい星々。夜を照らすもの。
ほら、見てごらん。星空そっくりだろう」
▇▇は嬉しそうで、また寂しそうでもあった。
私は不満げにそれを見下ろす。
「どうしてヒトは星空を見なくなったの?
あんなものが無くても私たちがいるのに」
私の問いに▇▇は笑って答えた。
「いいかい、本来夜は恐れるべきものだ。
ヒトはそれを克服しようとする生き物だった。
そうして今ようやくそれに手が届こうとしている。
彼らにとって、もう▇▇たちは必要ないのさ」
それは私にとって衝撃的なことだった。
ずっと寄り添ってきた彼らは、
私たちのことをもう必要としていないという。
否、それだけならまだ受け入れられたろう。
必要であろうとそうでなかろうと、
友であり、隣人であり続けられるのであれば
それで十分だったのに。
──彼らは、私たちのことを忘れ始めたのだ。
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『音楽家』として見ると、『先生』は
この上なく優秀な人物だった。
しかしそれは『有名』であることと
イコールではない。
音楽についての知識、技能を身につけるにつれて
『先生』がどれだけの努力を重ねてきたのか、
少しだけ理解できるようになった。
それでも世間から認められなかったというのだから、
社会というものは余程厳しいようだ、と
幼いながらに感じたのを覚えている。
結局のところ『先生』が何を求めていたのか。
僕はわからないままに練習を続けていた。
理想とする音楽の極致があったのかもしれないし、
富や名声が欲しかったのかもしれない。
もっと単純に──皆に認めてもらいたかったのかも。
いずれにせよ、僕はそういった目標を持たなかった。
ただ『先生』の言う通りに練習を続けていれば
少なくとも見放されることはないと分かっていた。
僕にとって生きる理由はそれだけだったし、
それで十分満足できていたのだと思う。
『自分の人生』なんていうものは最初からなくて、
僕が歩んでいるのは『先生』の『二周目の人生』だった。
周囲の皆はそんな僕を見て何を思っていたのだろう。
馬鹿な奴だと笑っていただろうか。
どちらにしても、そんなことは気にならなかった。
僕はただ『先生』に見捨てられないのであれば
他のことなんてどうでもよかった。
──もしかすると『音楽』さえも。