咲き零れるネクターが風に揺らされ、散った花弁が空を舞い上がって降り注ぐ。
　一揆が終わり、脅威は去り、メルンテーゼの民がこの地に押し寄せるようになれば、ネクターは奪い去られ、この赤い庭園も失われるのだろう。
　それが多少なりとも惜しく感じられるのは、この赤に自分も心を、奪われているからだろうか。

　空気は濃密だ。
　暴力的なまでの力の気配は、五感が狂っても尚、圧倒的なものとして君臨し続けている。
　だからだろうか。惹かれているのは。
　だからだろうか。惜しむのは。



　花冠に残されたものは少なかった。
　というより、既に、手放している。
　帰る術はあった。それを承諾してくれる者もいた。
　それを断って一人道を歩いたのは、自分の帰郷の念がただ贖罪の想いから来ることを思い出したからだ。
　その贖罪が果たされるべきものでないと知っているからだ。

　自分が殺した子どものために、その子どもを模して、彼の故郷へ帰ろうだなど。
　ただの自己満足の虚栄心など、満たされるべきではないのだ。



　自分が迷い込み、訪れ、旅をしたのがこの地で良かった、とは思う。
　よき出会いを得た。よき日々を過ごした。
　忘れていたものを、思い出しなどもした。
　それはこの地でなければ為し得なかっただろう。
　花冠にとっては祝福に他ならない事実であった。



　歩みを続ける。
　自分が歩んでいるこの場所が、道であるかも分からない。
　頬を撫ぜるのは花弁か風か。それとも違う、なにか、形を持たぬものか。
　分からないが不快ではなかった。
　包まれるような錯覚だけが残った。

　ちりちりと焼け焦げるような心地がする。

　時間がどれくらい残されているかは分からない。
　今までの生に比べれば短いものだろう。
　ただ、それが実際の時間としていかほどであるか、最早それすら掴めないほどに、感覚も何もかも狂っている。

　或いは時を過ごすうちに、身体よりも花冠の精神が先に果てるかもしれない。
　果てた後に、何か違うものが芽吹くかもしれない。
　それは希望ではない。当然絶望でもない。ただ、可能性として、事実として、そこに横たわっているだけだ。
　既に花冠は死しているだろう。その先のことは、自分には分からない。
　知ったことでもないと、無責任にも思った。

　ただ、その器に、どこか自分の形が、面影が残っていたのだとしたら。
　再会という響きに心を躍らせてしまうのは、全くどうしたって、身勝手が過ぎる。

　それを自分に許してしまう程度には、花冠という人格はやはり甘く作られていた。
　元より甘い子どもを模したものだ。異形に手を伸べ、裏切られ、共に過ごすうちに情を抱き、友情すら感じてしまう。
　彼はあまりにも甘い子どもだった。
　それが眩しかった。

　焦がれていた。

　その想いを今も引き摺っているのかは分からない。
　ただどうしようもない自分への諧謔だけが残っていて、だから、

　ここで果てることができるのは、他でもない、幸いであると思えた。



　世界は朱い。
　狂った瞳で、天を、最果てを映す。
　その様が鮮やかで、狂おしくて、何より、

　――恋い焦がれたものとはひどく遠く在ることに、満足していた。

”果て”と花冠は言う。
それは大事なき状態であらば、不老に生きる者の口から出るには似つかわしくない言葉。
その言葉にナナシは何を感じたか、現れかけた言葉は代わりに笑顔を作り蓋をする。

笑顔のままにそう言えば、すぅと一息。一呼吸。
風精の身には不要な行為。間を置くための、余分な行為。

何を、伝えるべきか。
考えながら、いつものように口は回る。

そうこうすれば風が吹き。別れの時間がやってきて。







……ああ、見つけたと。

この場においても名を呼ぶことはないけれど。
それでも少しでも"花冠"の名を認め、覚え、抱いていることが伝わればいいなと思いながら。

花冠の頭上を見て満足気に頷くと、ナナシは悪戯が成功をしたような子供の顔をしてくるりと空へ浮かぶ。

そして答えを待たずに飛び立てば去り際一度、振り向いて。

”花冠”の笠に”花かんむり”がかけられているのを見て、小さく小さく笑ってみせた。

衣を掴み、引き寄せて――それ以上の行動はせず彼を眺めていた。
あぁ、涙が止まらない。色素の薄い唇を震わせて嗚咽を吐き出したがる。
それで助けてくれたり、気のいい言葉をかけてくれるとは考えられない。求めることもない。

滑稽だ。彼はすぐに否定してくれたが、己もまた十分に滑稽な、道化に過ぎない。

「……」

告げられた宣言を聞き届けた。あぁ、そうか。

――何とかしてあげたい、救いたいとは思えなかった。

思っても、口にはできないはずだ。
彼の深淵がどれ程のものか。それを知ることはないだろうから。

「分かっています。……私はわかっていますから」

何度も言わなくていい。子供ではないんだから。



「御人に……」

――最後まで名前を聞きそびれていた。

ふと気付いてしまったことにひそやかな自嘲に苦笑してから、涙を拭ってしっかりと見上げる。
笠の御人の目は見えなかった。

「……あなたに、一方的に話しかけにくるかもしれません」

干渉しないと改めて言うならそれでも良い。己は勝手に来るまで。与えてくれなくても構わない。
今度も、また会ったら花を贈ろう。語らいの花の他にも、もっともっとたくさんの花を。

「何も与えてくれなくても、見返りがなくても、意識の外に追いやられても」

自分の好きなようにする。果てるまでは目撃者となろう。



「だから、……」


愛したかった御人よ。



「だからまた会いましょうね」



さようなら。

残念なものを見るような目でチャチャカを見た

けーたいでんわとよばれた小さな機械には硝子のように磨かれた面があり、そこには時折文字のような絵のようなものが浮かんでは消えている

振り返り、走りだし。しばらくして振り向いた

そう言うと、フィーグルは無理矢理花冠に、小さな鉱石を押し付ける。

それから、ふわりと笑うと軽く、手を上げる。
「また明日」と告げるかのような口調で。

その男を見たのは随分と久しぶりだと思う。
かつて交わした酒の席で、彼とは望まぬ約束をした。

「殺されるのが分かっていれば、安心できる」

死を望む様、人という在り方に焦がれ、それでいて自分がそうあれないことを嘆いている。
その生き方は、元々外見から人間を外れていない龍には考えたことのな生き様だった。

人でないことを自覚して、それでも人間と折り合いをつけていく生き方。
人でないことを自覚して、それでも人間としてのあり方に執着する生き方。

きっとそれは起源を近くして、表裏のようなものだったのかもしれない。
龍はこのまま外の世界に旅立っていく……

今の彼は花蓮の用いた召還術を会得したため、戻ってくることが可能であった。
不死の相手に対しても、その存在自体を吸収することによって消滅させることが可能である。

だが、それはやはり龍の望まない選択だった。

龍の生は夥しい死によって成り立っている。
今更この男一人を殺傷せしめることによって、その原罪が無くなるなどということはないだろう。
だが、それでも手にかけるのを躊躇する程度には龍は花冠を知りすぎたのかもしれない。

そういう思考が愚かしい、人間の価値観だと、龍は知っていた。

だが、彼が真にそれを望むのならば、きっと彼を殺傷せしめよう。
きっとそれも友情のありかたなのだろう。

だが、今はその時ではないし、彼を葬り去るのにはもっと適した者もいるのではないか？

龍はそう感じてその場を後にした。

今一度、彼とは酒を交わしたかったが、それが同時に今の決心を鈍らせるような気がして、あえて声をかけることはしなかった。

人混みの中からにんじんを肩に乗せた少年が走り寄ってくる。

ぴょんとその場で飛び跳ねれば花冠の鼻先より低い位置に頭があがる。

一方的に捲したてると、唐突に少年は終わりを告げて喧騒の中へ走り去っていった。

本当の話をつけてくるなんて。
そんな顔で目を丸くする青年である。

詳しく知っているわけではないが。
少なくともただの友人同士だの知人同士とは異なるのはわかっている。
だからこそ、正直な話意外だった……と。

迷惑な話ではないのか。
そんな言葉には首を横に振る。

しかし俺なんかで構わないのかね、と青年はぼやく。
あの竜とは、面識があった。
あまりに竜らしくないと言われた事を思い出す。
否定しきれないほどに染まっているのか、それとも元よりそうなのか。
さて、どちらだろうかと考えさせられたものだ。

だから、アンタは安心してくれ。
そう青年はつぶやく。

どちらも飛び越えてしまえる。
自由に、思うがままに。
だからこそ出来る事だ。
それが誰かの役に立つなら、使ったほうがいいってものだ。

何時の世にだって争いはあるし、争いなんて無くても危険はあるものだ。
強いとは聞いているが、それでも。
そんな言葉ぐらいは送っておいても悪くは無いだろう。

先ほどまでの会話を思い返したのか、すみません、と小さく謝罪を述べて、頭を下げ。
少しばかり崩れかけていた姿勢を正し、見送ろうとして。

頷きながら、どうしたのだろうか、と不思議そうに相手を見つめ。
告げられた言葉に、二、三度瞬きをして。

――元通りに、いえ、いっそう綺麗に、花は咲くでしょうから。
そう言って、一際、柔らかく笑ってみせ。