龍は、主のいなくなった廃図書館を後にした。

　
聞き覚えのある声があなたの名前を呼ぶ。

　
その声は、姿は、いつか呼び止めたときとは別人のようだ。

　

　

　

小さな手紙が置かれている。

「龍へ
貴方には冒険で何度もお世話になったわね。
でも、あまりしっかりと話す機会がなかったのはちょっと残念だったかしら。
貴方の求めるものが今回の旅で見つかったのなら嬉しいわ。
私は、楽しい冒険ができたわよ？
　　　　ミラ・レラーバナより」

（久々に顔を出した先で大体似たような反応を返されるが、豆鉄砲をくらった鳩のような顔に失礼だと思いつつ小さく吹き出して。駆け寄ってきてくれた折にあげられていた右手に、右手を重ねて打ち合わせるようにする。所謂ハイタッチのように）

（曖昧に言葉を濁す様子に）

（声をかけてから、考える事暫し。そこで気付いたのか）

（酒瓶と同様に準備万端。以前と同じく干し葡萄・林檎・無花果辺りとナッツ類が見て取れる）

（普段の何処か強気で不敵な笑みではなく、珍しく満面の笑顔で笑った。その後の謝罪には）

（だが全く悪びれもせずに笑いながら言う様に釣られたように笑う）

（続く言葉には何だかバツの悪そうな顔をしている）

（だが些細な事だと言って貰って嬉しそうに微笑みつつ）

（思っていた以上に力強く手を引かれるのに新鮮さを覚えながら。件の場所へたどり着くまでにその後姿に声をかける）

（そこで少し声のトーンが落ちる）

（さらに声のトーンが寂しげなものになってから、それを押し隠すような明るい声が届く）

（そう語っているうちに件の場所が近づいてくる。他愛のない事を肴にしながら杯を交わした、街を一望出来、人々の息遣いが感じられる、最後の酒宴に相応しい場所が――）

+++++　+++++

――その世界に辿りつくこと自体はそう難しいことではなかった。
花蓮が龍を召還する際に使用した術法は廃図書館で意外なほどあっさりと発見出来た。
そもそも丁寧に元の世界へ戻るためのメモ書きが纏められていた。
龍がそれを発見するまでには、そう長い時間を要したわけではない。
書籍の内容に関しても、世界間移動はメルンテーゼでは技術的に十分に確立しているらしく、初歩レベルものものであれば容易に習得が可能だった。

しかし問題となったのはその先だった。
酷く閉鎖的、とシェリィは言っていたが、龍にとっては砂漠の中にある一粒の砂を見つける行為に等しかった。
契約したエンブリオ達の力も総動員しての捜索だったが、そもそもあまりそういう作業を得意とするエンブリオがいなかった。
せいぜいが空を飛ぶ事のできるドレイクやブラックドラゴンの召還や、鳥の声を聞くことの出来るファフニール程度が多少役に立っているという程度だった。

世界の調査から２年あまりが経過していた。
龍自身、何度かこの調査を断念するか迷うような場面があったが、それでも今の今まで調査を続けてきた。
それでも、何か熱病のように自身を突き動かす何かがあり、それがよくわからないまま足だけは前へと歩み続けてきた。

だが……それももはや限界に近かった。
そんな折、眼前の岩山を見て、彼女と２度夜を明かした岩場が頭をよぎった。

一度目は再開を祝して

二度目は別れを惜しみながら

思えは龍は別れの二文字に抗い続けてこんなところにまで来てしまった。
随分、らしくもなく感傷的になっている。
そこに彼女がいるわけでもないのに、龍は岩場へと腰掛けた。

その折である。
空には朝焼けが見えていた。
龍はその天の様子に何か違和感めいたものを感じた。
その光の中から突然に一羽の鳥が現れた。

――そこは酷く閉鎖的、等と生易しい表現を彼女がしていたのに呆れる程度には、そうそう見つからないようになっていた。
時空の狭間に浮く島のようなもの、しかも侵入者対策なのか結界のようなものまで張られている。
自然物のように見せかけられてる樹木や小川等も、全てが“魔力”で形作られているのが、見るものになら分かるだろう。
島の中央上部には城のようなものがあり、その周辺は不自然な程に生活感の類がない、そういった人工物だけの光景が続く。

そんな中で噴水のようなものに腰掛けて、ぼんやり空ともつかぬ場所を眺めていたのは、互い違いの瞳、灰色がかった金の髪、その疎らに色の入り混じった宝石を思わせる容姿と、それに似つかわしくない豪放な態度を取る存在。
だが、龍はそういった彼女の振る舞いを好ましく思うことも少なくなかった。

声をかければ、彼女はそれこそ豆鉄砲をくらった鳩のように静止してから、まじまじと相手へと視線を送る。

（シェリィのそんな態度を見て、龍は何故だか胸のすくような感覚になっていた。

見間違いではない証拠だといわんばかりに、あの何時かの光景と同じように、龍は右手をあげて駆け寄った。
彼女もあの折をなぞるようにして、右手で応じてから）

（開かれた片手には、赤い雫の形の魔法石が乗っている。それを見て彼女は左耳に触れる。そこにはあの日交換したイヤカフが鈍い光を放っていた）

（そこまで呟いてから、ふとある可能性に気付く）

（努めて何事もない、という態度をしようとするが、それでも自然と口端が釣り上がっていくのを龍は抑えられなかった。
まだ現状を受け止めかねているシェリィをよそに、龍は言葉を続けた）

（破顔一笑。酒瓶と、以前のように何やら肉類のようなものを懐から取り出す。相手の満面の笑みに釣られるようにしてシェリィも心から楽しげに笑った）

（その言葉に照れ隠しをするように、そこが故郷だからだろうか。以前と違って手袋と篭手をしていない素手を差し出す。今度は手を引く側が逆になって……夢か現か。最後の酒宴の続きが、異世界で始まろうとしていた――）