レラの咳払いに思わずパッと離れる。

ちょっとした恥ずかしさで頬をぽりぽりと掻きつつ状況を確認する。
周囲を覆っていた黒霧のほとんどいつの間にかいなくなっていた。
今は周囲にわずかが漂っているだけだ。

そう言ってシアが指差す方を見ると、遠くで炎や光が黒霧に交じって弾ける様子が見て取れた。
アイズとルーデルだ。
二人は黒霧を寄せ付けない力を発揮しているが、一方の黒霧は物量で攻めており、戦線は拮抗しているようだ。

加勢に行くべきだろうけど、今の僕では逆に邪魔になるのではないか。

思案している僕を見て、レラがはっきりとそう言う。

分かってはいたが、はっきりそう告げられると堪えるものがある。
僕は自分の無力を噛みしめる様に視線を下げる。

その言葉にはっと顔を上げると目の前のレラは「しょうがない子ね」と言った顔をしていた。

そう言ってにっこり笑うレラに頷き、僕は目を閉じる。


僕にできる事、今すぐにできる事。

『慧眼』、『千里眼』、『鈴鳴』……力に頼らない所であればこの三つだ。

それらが成すのは、見えざる物を見て、見るも物の真を見抜き、その真を辿る為の導きを示す……だろうか。

そこまで考えて僕は大事なことに気付いた。
僕は黒霧を『根幹』そのものと思い込んでいた。
だから黒霧の物量に真っ向から相対し、みんなの助けがなければ飲み込まれて終わっていただろう。
そしてアイズとルーデルも今は拮抗を保っているが、このまま消耗戦が続けばそれも危うい。

そう、僕はやるべき事は黒霧を、いや『根幹』を正しく捉える事だ。

そうして僕は目を開く。

そう言って微笑むシアを少し撫でた後、僕は中空に目を向ける。

心強い返事に満足しながら僕は改めて精神を集中させる。

まずは『千里眼』を発現させる。

見えている黒霧、
視界外の黒霧、
視界の遙か先の黒霧、
そしてこの場の外側にいるだろう黒霧、

その全てを見据える。

全てを見据えて改めてその大きさを、物量を思い知る。
でもそれはきっと『根幹』の真実ではない。


次に『慧眼』を発現させる。

見据えている黒霧の隅から隅まで、その真なる姿を探る。

それによって黒霧は言わば手足のような物だと理解した。
つまりは末端、いくら消した所で大した成果をあげられないという事だ。

それではその核心はどこにあるのだろうか。
末端よりずっと追っていくと、いつしかその果てに辿りついた。

その『核心』は黒く、丸く、ただ静かに鳴動している球体だった。

僕は思わずそう呟く。
しかし、見つけたのはいいけど、それからどうする……？
そこまでは『鈴鳴』の導きで辿る事ができるだろう。
でもそこまで相手が何もしない訳でもないし、最悪移動中に遮断される事も考えられる。

そうやって思い悩んでいると、シアがそっと話しかけてくる。

シアはそう言って手を胸の前に組んで祈るように目を閉じる。
すると、その手を中心として光が生まれる。

その光は小さいながらも強く輝き、見た事もないような強さを放っていた。
そして、その光からはまたどこか暖かさも感じる事ができた。

僕は促されるままに『鈴鳴』を発現させ、その鈴を手に取る。

シアはそう言って組んでいた手を広げる。
『夢の力』の光はそれに沿って形を変え、弓矢となる。
それは何物にも負けず、その真を射抜くという意思の表れに違いない。

僕は言われるまでもなく、その意志に導かれるように鈴を光の矢に沿えた。
光の矢はその鈴を取り込み、光を強める。

僕はシアの手に自分の手を合わせ、一緒に弓を引く。

そして、僕は願う。
全てを終わらせる事を、その先にある未来をみんなと幸せに生きる事を。

その願いに応えるかのように弓矢の光はさらに強くなる。





凍結凍結凍結凍結凍結凍結凍結凍結！！！





その光の、力の異常を察知したのか、遠くで戦っていた黒霧が、一気に押し寄せてくる。
しかし、その全てがフォッセグリムの――レラの展開するシールドに阻まれる。

レラの言葉に僕達は頷き合い、改めて射るべき相手を見据える。
そこまでの距離は遠く、さらに危険を察したのか相手は内面世界から自らの存在を隔離しようとしている。


だが遅い――いや、もはや空間の隔たりも意味をなさない――


僕達はどちらともなく、矢から手を離す。
矢は少しの間その場に止まり、チリンという鈴の音を残してその姿を消した。




次の瞬間、激しく結界を撃ちつけていた黒霧の動きがパタリと止まる。




――しばしの静寂。




長いようで短いその静寂の後、周りを覆っていた黒霧は乾いた音を立てて崩れ去り、そして消失していった。

僕は目を閉じ、その決着を噛みしめる。
全てが今、終わったのだ。

その声に眼を開くと、アイズとルーデルがちょうど戻ってきていた。

僕達は互いに無事を確認し、互いに労う。
暫くそうしてると、前触れもなく視界に靄がかったものを感じる。

こうしてシア達が内面世界より去って、僕は一人残される。
アイズが言った通り、転生システムを本当の意味で支えていた『根幹』が消える事によって、その一部である内面世界も消える事になる。
その後、僕は改めて現実で目覚める事になるだろう。
消えゆく世界の中、僕はふと思考を巡らせる。


ずっとずっと昔、僕はあの世界の神に捕らえられ、転生体として存在を作り替えられた。
そしてと転生体の始祖、1人目であるラージェとしてとある世界に産み落とされた。
その後、数々の人生を経て、63人目である僕に至ったのだ。

あの世界の神が僕達転生体を使って何を生み出そうとしていたのかは今になっては分からないし、今更知るつもりもない。

ただし、その系譜の中には先代の中には心半ばで倒れた人、全てに満足して終わりに至った人、道の中途を惜しみながら終わりに至った人、色々な人がいた。

転生体という系譜は僕の代で終わり、レラ達を除いた先代達の存在は転生システムの記録として追う事はできなくなるだろう。
それでも僕に至るまでに様々な先代がその人生を送った事、それだけは忘れないようにしたい、そう思った。

そして僕は前に進むのだ。

25歳までの人生、という制限に縛られずに、ずっとずっと先の未来まで。

大切な人達と共に。




さあ、転生体としての自分を終え、新しい自分の人生を始めよう――！

龍は彼の名前をしっかりと呼んだことが無かったことに気づいた。
目の前に立つ少年は、体は少年でも、今や自らが侮っていた一揆のはじまり時点とは比べるべくも無い。
戦士とよぶにふさわしいと龍は感じた。

少しばつが悪い、といった態度で顔を背ける。

返事をまたずに龍は一陣の風のように姿を消した。