ENo.1058 クライカリオス・Ｅ・ユルングさんをまた書いてしまいました。女装ネタが琴線に触れてしまったんです。

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　照明と一体になった天井扇がゆるやかな風を起こす。三○人は会食できる広さを持つユルング家の食堂にタマネギの香ばしい匂いが漂っていた。
　クライカリオス・Ｅ・ユルング――クライは、紺色のエプロンを前にかけてオニオンスープを作っていた。タマネギを焦がさないようにじっくりと炒める必要がある。だがクライは楽しそう。時折クライの口から鼻歌が漏れ、金属的な光沢を放つ尻尾が猫のように踊る。凝り性のクライは料理にも明るい。クライの料理は弟たちや妹たちに好評だ。
　オニオンスープができたらメインディッシュに移ろう、とクライが思っていると背後から妹の一人が声をかけてきた。
「兄貴さー、暇だろ。俺に付き合えよ」
　末の妹・ヴィントだ。
　ヴィンデーミアートリクス・Ｓ・ユルング。愛称はヴィント。
　クライと同じ色合いの明るい金髪はふわふわな髪質で、小柄で細身な体型と相まって少女らしい愛らしさを醸し出す。クライとは反対に左側を三つ編みにしている。外見は人間で言うなら一五歳前後。だが一人称が「俺」であるなど、色々と少女らしさが台無しになっている。
　ヴィントはクライたち竜の中でも一番幼いが、最近は生意気な言動が目立つ。幼い頃は長兄のクライにべったりだったが、今では一人で村の外を出歩くようになった。
　料理に集中していたクライの手が止まる。
　振り返ったクライの顔には明らかに動揺が走っていた。
「いや、待て。お兄ちゃん、そーいう目でおまえを見たことないぞ」
「うわ、キモっ。兄貴、マジキモい。俺と付き合えなんて言ってねーよ」
　実に可愛くない答えが返ってきた。
「女子会があるからついて来いって言ってんだよ」
「女子会ってあれか？　女だけの宴会のことか？」
　とクライはようやく合点がいった。
　だからよ、とヴィントは嬉しそうに答える。
「兄貴はこれを着ること」
　ヴィントは背後に隠していた女物の服を突き付ける。
　クライはこの妹への接し方を間違えたのではないかという後悔の念に囚われた。
「いやいや。無理だから。俺の身長で女の格好なんて絶対ばれるって」
　クライの身長は一八○センチを超える。ただ、ほっそりとした柳のようなクライの立ち姿は背の高い白人女性に見えなくもない。
「でもさあ、姉貴たちに聞いたけどよ、兄貴って女装したことがあんだろ？　すげえ似合ってたって聞いたぜ」
　クライは舌打ちした。
（あいつら……余計なことを……）
　クライの名誉のために記しておくが、彼は自発的に女装するに至ったのではない。
　じゅうう、とタマネギの焦げる音がした。慌ててクライは鍋を火から下ろそうとする。
「あちっ！」
　熱さに耐えて鍋を下ろしたクライは冷水で手を冷やす。
　そんなクライの背中にヴィントは言い募る。
「なあ、いいだろ。姉貴たちはみんな忙しいって言いやがってよ。兄貴しか暇そうなのいないんだよ」
　ヴィントに背を向けたままのクライは苦い顔になった。
（あいつら、絶対面白がってるだろ……）
　クライが振り返ると、ヴィントのスカートからのぞく尻尾がうなだれていた。クライには分かる。気持ちを上手く言い出せない時にヴィントはそんな仕草を見せる。言動は男勝りだが、まだまだヴィントは子供だった。
　仕方ねえ、とクライは折れた。
「ついてってやるよ。で、どこへ行けばいいんだ？」
「秋葉原」
　どこだっけ、とクライは首をひねった。

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　クライたち竜は次元を渡って時代を超えることができる。と言って竜たちは住処から積極的に出ることは稀。クライもあまり外の世界を知らない。だがヴィントは慣れたもので、雑踏の中、兄の腕を引っ張ってすたすた進む。
　人、人、人。どこを見ても人ばかり。クライはあまりの人の多さに呆然としていた。
　鋭い西日を受けてヴィントの金髪が淡く輝く。
「おい、ヴィント！　あんま引っ張んなよ！　一人で歩けるって！」
「兄貴がとろとろしてんのが悪いんだろうが。それじゃ田舎者だって丸分かりだっての。いいから黙ってついて来い。あと、せっかく俺が可愛い服を見繕ってやったんだから、ちゃんと女言葉話せよな」
　白いレースで飾られた青いブラウス。新緑のジャケット。草色のロングスカート。深いスリットからは素足がのぞく。クライは完璧に女に化けていた。重ねて記すが、女装はクライの趣味ではない。
　クライの声域は男にしては高く、女にしては低い。背の高い女性は声が低いことがある。クライは見事にそんな女性像に合致していた。
　赤レンガで組まれたレトロな雰囲気のレストランに着いた。
　すでにメンバーの顔合わせが始まっていた。
「遅くなったな、俺がヴィントだ。こっちが話してた姉貴」
　男勝りにもほどがある自己紹介に皆、唖然としてしまう。
　クライは妹の将来を案じながら姉として振舞うことにした。抵抗がなかったわけではない。
「よ、よろしくお願いします」
　綺麗なお姉さんねー、とメンバーが笑顔で応える。どうやらクライが男であることは露見していないようだった。
　ＯＬ、主婦、学生とメンバーの構成は多様だった。
（一体、なんの集まりなんだ……？）
　クライはしばし会話に耳を傾けたが、内容はほとんど理解できなかった。しかも男性の目を意識しない遠慮のない雰囲気に居心地の悪さを感じる。
　ふと隣の席のヴィントを見れば、彼女は時折グラスを傾けるばかりで人の輪に入ろうとしなかった。
「ヴィント？」
「なんだよ？」
　と答えるヴィントは明らかに無理をしていた。
（こいつ、緊張してるのか？）
　仕方なくクライはヴィントの手を握ってやった。それくらいしかクライにはできることがなかった。
　結局ヴィントは場に溶け込めずに女子会は終わった。
　女子会が終わってレストランから出ると、日はすっかり沈んでいた。高層ビル群がシャンデリアを逆さまにしたように輝いている。
　歩きながらヴィントは苦笑いを浮かべる。
「俺、なにをやってんだかな。同じ趣味の奴らと一緒だったら打ち解けられると思ったけどさ、全然駄目だった」
　クライは昔を思い出す。いつも自分の後ろについてきた妹の姿を。ヴィントは時折そういった幼い面を見せる。どこか人見知りなのは変わらないらしかった。すっかり生意気になったというクライの認識は誤りを含んでいたのかもしれない。
「おまえはよくやった。俺はちゃんとおまえが頑張っているところを見てたぜ」
　クライはヴィントの頭を撫でてやる。
　ヴィントは答えなかった。クライに撫でられるまま。いつものヴィントであれば手を跳ね除けていただろうに。
　すっかり夜の装いを整えた街を兄妹二人で歩く。夜の匂いを孕んだひんやりした風が二人の頬を撫でる。
「人ってすげえよな。こんな大きな街を作るんだからさ。命は短いかもしれないけど、人は確かに生きた証を残してゆくんだろうな。俺たちとは違う」
　次元の狭間にある小さな村で暮らす竜たちは、長命であるためか一生を無為に過ごすことがままある。そんな生き方にヴィントが反発を覚えたのかどうかはクライには分からない。ただ、妹が大人になろうともがいていることは伝わっていた。
　それから間もなくヴィントは「世の中を見てくる」と書き置きを残して村から姿を消した。
　あの時なにか言葉を掛けておけば妹は村を出ていなかったかもしれない、とクライは思うことがある。
（やれやれ……あのバカはどこをほっつき歩いているんだかな）
　妹を探しに出たクライは様々な世界を見ることになった。美しい世界も醜い世界も。
　もしかすると妹はこの景色を見たかったのかもしれない、と思いながら。