風が、吹き抜けた。
　取り巻きと共に、大男が倒れる。
　考え込むように、その『風』を巻き起こした二人は、口を噤んでいた。
　奇妙な、静寂。
　呪術師が何かを言おうとして緩く片手を上げた時、その肩を小さく叩く指先があった。
「……」
「……解ったよ、メィレー」
　振り返れば、紅い瞳が、小さく首を振っていた。
　戦いの最中(さなか)の激しさは無い。まるで燠火のような暖かい視線に、呪術師は、多くを語らずに頷いた。
　夕凪が残る庭園。番(つがい)の風をその場に残し、呪術師と魔術師は、来た道を、出来るだけ静かに戻る。



「あ、メィレーさん、ソルトさん。よかったあ」

　水辺で再会したのは、弓使いの少女だった。
　安堵めいた声を上げて駆け寄る姿は、一人。少女は事の顛末を簡単に説明する。
「実は地下で出てきた敵を倒した所までは大丈夫だったんですけど、通路が崩れるし、みんなとは逸れるしで、ちょっと迷ってしまって、やっと見つけた出口から取り合えず外に出てきたんですけど、誰もいなくてどうしようかと……あれ？」
　はた、と、視線が周囲を見回す事、数度。
「トウカさんは、一緒……ではないんですね、なにかあったんですか……？」
「ああ、ユパック。無事で良かったわ。トウカ？……トウカは……」
　真剣な面持ちに、答える声。
　少し考えた後で、桃色の髪の魔術師は、黒髪の呪術師を一瞥して、小さく笑った。
「緑色の目をした、ヒーローが」
「……つれて行っちゃったよ。風と一緒にね」
　言葉を繋げるように、肩を竦めるような、仕草。
　メィレーと目を合わせた灰色は、そのまま、重ねるように溜息めいた呼吸を吐き出した。
「まぁ、あの二人の事なら、心配は要らないよ。それより、『ユパ』？　丁度いい所に来てくれた。少し、水辺で気になる情報を聞いたんだ。少し休んだら、案内してくれるかい？」
　疑問符を浮かべる相手の名前を、まるで当たり前のように、呪術師は呼んだ。


「案内は良いですけど、何を聞いたんですか？」
「何、大した事じゃあないさ。この先に、『化物』が出るってさ。……ははは、そんなに心配そうな顔をしなくても、大丈夫だよ。僕らのリーダーを、少しは信じてあげようじゃないか」

　談笑めいた口調で話ながら、水辺を歩く。
　やっぱり、ユパックは納得出来ないような、微妙な表情をしていた。


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　その夜、呪術師は夢を見た。

　枕元に、ぞっとするくらいに美しい、肌の白い娘が立っていた。
　呪術師は、ゆっくりと起き上がりながら、それに向き直る。
　今日は、水辺で火を熾してそこを野営地としていた。それが、今では真っ暗な、何も無い空間があるだけだ。
「……主さま」
「……やぁ、『サティ』。久しぶりだね。君も、随分ときれいになった」
「勿体無いお言葉に御座います」
「……どんなに姿が変わっても、君なら判る。こうして僕の夢枕に立てるのは、君くらいのものだから」
　若い娘は、自分よりも二回りは年下に見える少年の前に、しゃなりと跪いた。
　その裾を払う挙措の一つをとっても、普段から高い衣装を身に付けていると判る。動きが、たおやか過ぎる。深窓の令嬢か、そうでなければ高級娼婦だ。
「主さま。とうとう、『主さまの部屋』が崩れました」
「……そっか。思っていたよりは、早かったね」
「主さまの言付けに従い、館は焼き払いました。私達は、リヴィエランセからアレスマグナへと渡り、ゴグスチルエムドへ向かいます」
「仕方無いね。もうあそこは、向こう５年くらいは、草木も生えないだろうから」
「後の事は」
「任せるよ、サティ。君はそれが出来るし、そう出来るように育ててきた」
「はい、主さま」
　抑揚のない、言葉。
　鈴が鳴るような澄んだ声色は、甘ったるい呪術師の声の前でも揺らがなかった。
「……君が、態々、僕の夢枕に立ったんだ。『あれ』は、こっちに向かってるんだね？」
「はい」
「……そっか」
　呪術師は、頭上を見上げる。そこに星は無い。ただ、塗り潰したような闇があるだけだった。
「人間っていうのは、面白いね、サティ。元々、『帰れる』なんて考えていなかったけど、いざこうなってみると、思っていたより寂しいや」
「主さま、サティは、主さまと会えて――」
「サティ」
「はい」
　娘が、何かを言おうとしたのを、呪術師は重ねるように『名前』を呼んで遮った。

「……君は、幸せになるんだよ？」
「はい、主さま」

　娘は、笑ったような気がした。
　目覚めれば、水辺。風が木々を揺らす音と、川のせせらぎが聞こえていた。

ソルトさんの『世界渡り』の話を聴いて

（綺麗な所作で腰に下げた鞘から長剣を抜き放ち、片手で構えを取る）