花冠を追い、川の原を駆け走る。

ヤツの笠も荷も、全てがあの場に残されるままであった。

遠くへは行っておらぬと見るが、されど行方は杳として知れず。

あれほど大地を濡らした血も、近辺に措いて痕跡すら残されていなかった――


*　*


一昼夜を走り続けたことで身体に異状を感じ、一旦心身を整えることとする。

水辺に措いて、花冠の進んだ形は見られなかった。

そもそも、あの血はどうしたことだ？

ヤツが獣相手に不覚を取るとは、容易には考え難い。

追うべきモノでもあったか、さもなくば、重篤な病でも発したか？

それならば、何故黙ってあの場を離れたのか。

思考は回れど、確たる答えは一つとて無く。

思えば、道連れたる子供たちにも、声を掛けずに来てしまった。

手元に残るヤツの笠が、ひどく軽い。


明くる日もまた、川の流れに沿い、道を行く。

されど、川の辺にも水面にも、ヤツの影は一つとて無く。

此処で無いならば、他に向かうべき場所は……。



*　*　*



水辺より然程の距離も無い、鬱蒼とした森。

その入り口、光殺す葉陰の釜も、この場所は未だ明るい。

周辺に大きな気配は感じられねども、油断は出来ぬ。

歩を進め、気配を探り、魔の潜む森の奥へと。



前方に、気配が一つ。

只管に静かで、隙を見せないソレは、己に最大の警戒を呼び起こさせ。

……次の瞬間、揺れるその布が、自らの捜し求めていた形であると悟った。

ただ、全てが赤に染まっている事実のみを除いては。

意識する間も無く、声が発せられ、花冠へと向けて駆け出していた。

いつ花冠が振り返ったかすら、定かでは無い。

手の中に笠を握り締め、まず何よりも、何よりも、ヤツの元へと。

距離が詰まるにつれ、花冠の状態が露となる。

染まらぬ場所の無いほどに、全身が血で浸されている。

見える限りで大きな外傷は認められ得無いが、完全には判別出来ぬ。

――目前に突き付けられたるは、刃の切っ先。

唐突な挑戦に、思考が鈍る。

花冠らしくも無い、何をそう気が立っているのか。

せめて、身の回りの始末を付けてからでも、遅くは無かろう。

今この場所において、急ぐことなど一つとて無い筈なのだ。

次いで、頬を熱が走った。

肩に滴る液体に意識を戻せば、目前には切っ先を濡らした刃。

明らかに、尋常では無い。

今の一閃は、意志を以って断ち斬ろうと、抜き放たれた。

ヤツの様子に決して錯乱した風こそ無いが、さればこそ――

花冠の顔が、楽しげに歪む。

最早此処に来て猶予は無い、先ずは荷を降ろすべく備えを急ぐ。

生じた隙を、刀の柄が叩き、肉体は後方へと突き飛ばされた。

もんどり打とうとする身体を、両手で支え、立ち上がり。

腰の刀に手を掛け、構えた。

目前の男より習いたる刀術の作法、そのままの姿勢。

未だ付け焼刃の技巧なれど、この業人に通じるモノか。

大きく、息を吐いた。


瞬時に踏み込んだ足に乗せて、花冠の獲物が斬り払われる。

されば、その勢いを殺すこと無く受け流し、落ちた重心を以って体躯をぶつけんと。

力に頼らぬ、この男より学びし技。

されども、ヤツの身体は崩れる事無く、勝手知ったるが如く飛び退き、転がる。

そのまま打ち払われるがままに足を取られ、我が身は地に転げ落ちた。


間髪を置かず、倒れた身上に花冠が躍り掛かる。

この様にして組み伏せられるのは、我が生に措いても初めてのこと。

全身に圧し掛かる重さを、どの様にあしらうべきか。

片腕は堅く抑え込まれるも、こちらも片腕を以って花冠の刀を制す。

何よりも、似合わぬと感じた。

力で組み伏せ、抑え込み、制する。

追い立てられる獣の如き、己が凶暴さに身を任せた戦いの仕草。

この男の真価は、何よりも卓越した――


不意に、己を掴む腕が解き放たれ、花冠の動きが止まる。

その所作の意味が図れぬまま、腕を振り解かれ、ヤツは地上に舞い戻った。

急ぎ刀を拾い、再び構えて対峙する。

彼我に開いた距離は、踏み込み一つで足りるモノではない。

されど、其処に横たわる障りは、唯それだけのみ。

先手を打たんと地を蹴り、大振りの一撃を振り下ろす。

花冠の呼吸を見据え、打ち込んだはずの一振りは、容易く空を斬り。

体躯に込めた勢いは、ヤツの肘に乗って我が喉を穿った。


刹那、呼吸が止まり、視界が色と形を失い歪む。

力を失った刀は容易に叩き落され、我が身は再び地表に押し倒された。


迫る力を押し留めんと、歯を食い縛り、花冠の肩へ両腕を伸ばす。

されど篭る力も僅かに、刃で牽制された腕は思うに動かせぬ。

呼吸に苦しむ腕一つでは、この力を止めることは、最早。


――その時、花冠の口元にこびり付く赤黒い血に、視線が留まった。




忘れ得ぬ言葉と言うモノがある。


　　　呪いに蝕まれたこの身体は、ひとよりも容易くその生命を落とす

　　　心の臓を抉られればひとは死ぬが

　　　俺の場合は、掠められるだけで――




心臓が、大きく脈打つ。

目立った外傷が見当たらぬ以上、ヤツの血は全てその体内から……。

血の乾きを確かめようと、肩から腕を離し、花冠の口元へと触れる。

花冠の吐き出す呼吸ばかりが、いやに生温い。

溜め息と共に、花冠は静かに退いた。

その身を追わんと、続けて膝を立て起き上がる。

刀を納めた花冠が身を引き、再び距離を取らんとする。

負けじと大きく踏み込み、距離を詰めた。

そうだ、この男は、余りにも容易く死ぬ人間だ。

獣を易々と仕留め、山間を飛ぶ様に駆け、竜に打ち克つ力があれども。

その身中に流れる血は、変わり無く赤に澱み。

何よりも未だ、我は未だに、この男を――


唐突に、花冠は身体を瞬時に翻し、背を向けた。

このまま捨て置けば、再び何処へと消えて行くことか。

両の腕を伸ばし、その身を捉えようと、身体を前へと押し出し進む。

刀が引き抜かれ、切っ先が突き付けられる。


勢いそのまま、刃は肩を貫き、肉を以って我が身体を押し留めようと。

肩より拡がる肉の裂け目は、熱く鋭い痛みを齎し。

両脚は痺れを伴い、幾ら食い縛った所で、この痛覚を和らげるには至らず。

されどされど、強く止められる程に、確かめねばならぬ事実が、其処に。

我は確かめて居ないのだ、この男の内の――


瞬間、視界が激しく揺さぶられ、肩から刃先が抜け零れる。

花冠の蹴りが強かに腹部を打ち付け、我が身は鞠の如く吹き飛ばされた。

赤の混じった様々が口より溢れ、立ち上がることすら侭ならぬ。

咳き込む喉を堪え、どうにか嗄れ声を搾り出した。


されども、既に返答は無く。

花冠は背を向けたまま走り出し、木々の間を軽々と駆けて行った。

傷付いた肩と腹を抑え、追い縋ろうと試みるも、すぐに影すらも消え失せて――



最早追い付くことは、適わぬだろう。

呼吸を整えた後、道を戻り、地に散らばった荷を掻き集める。

少ない手荷物も、笠すらも再び置いて行ってしまった。


後を追わねばならぬ。

肩の傷を気遣う猶予は無い、すぐに動かねば。

ヤツを一人にさせたままでは、また何があるとも知れぬ。



――花冠の身を蝕むモノを。

その正体を、我は知らぬまま、此処に居るのだ。

　ロッテは女性の頬に軽くキスをした

小さな溜め息を一つ吐き。

つんつんと角のような仕草を両手でつくる

ぼんやり、彼の様子を思い出しながらこてんと首を傾げたりしてみせた。
意外と大きな声も、という言葉に顔に熱が溜まるのを感じて、少し俯いた。
けれど、自分の頭にその手が触れたのなら、驚いたように顔を上げて。

落ち着いた声で返すシズの横で、ルカはへにゃりと笑って見せた。
何か言いたげにこそしたものの、何も言わずに。

人懐っこい笑み一つ、彼女を見上げて。
元の世界へ帰る方法については、そうですか、とシズが小さく呟いた。

シズが、彼女が言い掛けた“何か”に、泳ぐ視線を目で追う。
も、問うたところで──と思えば、目を伏せるだけに留まった。
彼女が此方を向き直ったなら、ルカがその問いに、数度、瞬いて。

局部の次は腕を掴まれて、フローラはあなたの成すがままになった。
次は何をされるのかと身構えていたが、あなたの発言に同じく首を傾げる。

そしてしばらく考え込む。
「のえっち」ではなく「えっち」だと言い直すべきか。
そしてそれは何と言えばこの女性に伝わるのか。
いや、そもそもえっちが何かも知らない相手に、わざわざ解説してあなたはHENTAIだというレッテルを貼り直す必要があるのだろうか……。

適当な事を言って誤魔化そう！

　

　警戒されてる事にも全く気にした様子は無く、かといってはぐらかそうと言った様子も見えない。

　どうも、これが素らしい。

　

　

　鳥の事を言及されて、警戒を持たれた理由はこれのせいかと納得したのか、ポンと手を打つ。

　

ゆっくりと刀を引き抜き、構える。