オーガスト・ワトキンス。

　最初は叔父として、次に傭兵のひとりとして、最後は執事として。
　ロルのアルファへ仕えた人狼がひとり。

　生まれはジェントリでなくとも、彼自身は誰よりもジェントルメンだろう。
　わたくしが幼い頃から、わたくしの存在を許せぬ輩から守ってくれたのは、何時だって彼ともうひとりの叔父だった。
　わたくしの後見人として、上位ナンバーでない人狼傭兵に出来る限りの愛を注いでくれた。

　物心ついた頃から、彼は戦場に生きていた。
　そこで死ぬつもりでもあったのだろうと、今になってふと思う。

　彼が戦場を退いたのは、わたくしの夫――ロルのアルファに頭を下げられたからに他ならない。
　パック間の政治的な駆け引きが酷く激化し、時に流血沙汰にすらなった時代。
　戦場から退くことを許されぬ己の代わりに、断壁の向こうにいるわたくしを守るようにと頼み込まれて、だ。
　オーガストほど腕の立つ人狼は居らず、オーガストほど信頼に足る男も居ない。
　彼は執事として、ロルの女アルファの隣に戦場を移した。
　昔交わしたたった一つの約束を守るために。

　彼は夫が事実を隠したがっていることを知っているし、わたくしが事実を知っていることも理解している。
　それでも、彼は何も言わないし、わたくしも何も言わない。

　沈黙は金です、お嬢様――…彼に窘められた事は、この一事だけであった。


　彼は自身の振るまいが完璧であることを求める。
　老執事の矜恃でありダンディズム。

　彼は“何処か”より“何か”を取り出す。
　それらは短刀であり、治療道具であり、時に香しい紅茶でもある。
　彼の辞書に不可能はない。何を対価にしようとも、あらゆる事態に対応するのが執事たるものの勤めだからと。







　遺跡の中にいるのに、僅かにも乱れぬタキシード。
　丁寧になでつけられ、ひとくくりにされた髪には癖一つ存在しない。
　片眼鏡越しに輝く金色の瞳は、涼やかにこちらを見つめている。

　人狼で眼鏡を身につけるものは珍しい。彼らは大抵おそろしく目がよいものだ。
　わたくしが知りうる限り、視力に劣る人狼はレイフだけで――…無論、ワトキンスの両目は人狼の平均よりも上である。

　彼が片眼鏡を自発的に身につけはじめた頃。
　社交界に於いて、使用人に眼鏡を掛けさせるのは、自らの財を誇示するステータスとなっていた。
　――が、わたくしも夫も知るよしはない。
　揃いも揃って、流行よりは蒸気機関と魔術研究を愛する手合いだ。
　ロル夫妻は流行に対する熱意がないと、他者に冷笑されるのが常々許せなかったらしい。

　わたくしたちを変えられないなら、自分が変わって主を立てる。
　例え実益のないことであれ“完璧”であることを目指す。
　彼はそういった男だ。

「奥方様、お久しゅうございます」

　お辞儀一つ取っても、社交界に於いて“完璧”とされる角度を保っている。
　定規で測れば1度も違っていないだろう。

「久しぶりね、ワトキンス――おじさまとお呼びするべきかしら」

「いいえ、奥方様。以前と同じくオーガストとお呼び下されば。
　私は奥方様の執事です。後見人の地位はとうの昔に御前様へ明け渡しております故」

　ロルへ輿入れしたとき、わたくしについてきた数少ない人狼がひとり。
　あの日から、彼はずっと“ワトキンス叔父”ではなく“人狼のオーガスト”としてわたくしに付き従う。
　自らのルールに厳格な男。厳しすぎるほどに。

「それで、奥方様。私を呼び立てた理由は何でございましょう」

「そうそう、すっかり忘れてたわ！　ごめんなさいね」

　ちらりと手元を見る。
　そこには見事な彫刻を施した手摺が据え付けてある。
　かつて英雄と呼ばれた女が魔王へと堕落する絵図――…おそらく、外部世界の彫刻師が彫り上げたものだろう。
　美しく、計算され尽くした彫りに、うっとりと指を滑らせる。

「ここの手摺をとってくれないかしら」

「手摺にございますか」

「ええ！　とても良い材質の手摺なのよ、地下牢に据え付けておくのは勿体ないわ」

　それはどうかと思いますが――と言わんばかりに、老執事は右眉をくいっとつり上げる。
　ただし、彼のように優秀な執事は例外なく心得ているものだ。

「かしこまりました、奥方様」

　主人の奇行に関しては、他者の目に触れぬ限り従っておく方が得策である――…と。

ウンディーネの必死の消火（？）活動により黒焦げから回復したカーライルだったが、冷たい水を浴び過ぎたせいでブルブルふるえている。

その時、視界に湯気を出しながら近づいてくるドラム缶の姿が目に入る。

ずぶ濡れになって身を震わせているししょーに、申し訳なさそうにそう告げている。
が、言いながら農これをプレイしてタブレットを弄っている辺り本当に悪いと思っているんだろうか。

またエミリーの中途半端な映画知識が発揮されている！
キラキラと目を輝かせながらドラム缶風呂を指さしている！

軽快に走り寄ってくるドラム缶をビックリ顔で迎え撃つも、
冒険家師弟が“温泉”だ“風呂”だとはしゃぎ出すや、更にビックリした様子で運び屋の方を振り返る。

どこかずれた感動を呟いている。

御者台から遠くを覗くように手のひらを目の上に当てれば…

幌馬車の中へと振り返れば、“それ”が当然のごとく破顔する。

インディストラの"遺跡"というのはどうにも体系が他の世界とは少し違うのかもしれない。
勿論オーパーツなどの蒐集家もいなくはないのだが、それでも企業から買い取らなくては非合法な密売品扱いである。

まるで言葉遊びである。ゴミを集めるではなく、可愛さ由来で視線を集めることに特化したと考えるのが妥当なのだろうか。

本当に大丈夫なのだろうかこいつは！？
一番大丈夫じゃないのは彼女の緩い思考回路なのかもしれない。

本当はまだセクハラの件で怒っているのではなかろうかコイツ！
ずるずるとししょーをドラム缶風呂へと引きずり込もうとしている！

元気いっぱいのドラム缶。
なみなみ注がれた温泉は、どうみてもぐつぐつ煮えたぎってる！

軽口とは異なり、真剣な瞳で大弓を構えれば、
今にも“おんせんどんどん”と歌いだしそうなドラム缶に矢を番える！