――遠い日の記憶。『花凪祭』。

「真依……叔父さん……」

流行りのアニメの主役のお面をつけて、食べかけの綿飴を片手に。
少年は涙混じりのか細い声で、己の家族の名を呼びながら、縋るように歩いていく。
神楽舞台や屋台を通り過ぎ、奥に奥に進むと、気付けば彼は酷く閑散とした場所に出ていた。


木々ばかりで、灯りは申し訳程度。
祭囃子が、喧騒が、遠い。
水音に振り向くと、吊るされた小さな外灯が、杓子の置かれた水飲み場を照らしていた。

水を吐き出す龍の像が、ギロリと少年を睨みつける。


広場には他に、奥へと続く石の階段があった。

淡く灯りが見える。


惹かれる侭に階段を上って鳥居を潜ると、並ぶ篝火のその奥に、
周りを林に囲まれた、古く寂れた社があった。


――僅かに、人の気配がする。
視線の先。着物姿の少女が、そこにいた。

「……きみ、は？」

狐の面を被った少女が、少年に歩み寄る。薄暗闇の中で、その姿は、ほんのりと不気味さを含んでいたけれど。

「……あなたは、…ありしろの子では、ない……？」

迷ったの、と問う言葉も、声も、人間の少女のもので。
再び口を開こうとする前に、少女が社へと振り返った。視線を追うと、話し声と共にこちらに近づいて来る足音があって。

「……こっち」

囁くように短く言葉を落として、手を取られる。そのまま境内から離れた林の陰へと導かれた。

「……大人たちに見つかったら、怒られる」

少女に手を引かれるがまま、少年は涙でぐちゃぐちゃの顔で、心の内を告げる。
『ありしろ』という言葉の意味など、彼には分かる筈も無くて。

「はぐれ、ちゃって」

彼はただ、家族を探すあまり、人の姿も見えない道までやってきて、途方にくれていたのだ。
離した後、少女の手が彷徨うように揺れる。
お面で表情は読み取れないけれど、泣いている少年への接し方に迷っているようで。

「……だいじょうぶ。表へ行く道は、知っている」

結局、その手は少年の頭に伸ばされた。
ただ乗せて、頭の形をそのままなぞるような、たどたどしい手付きで少年を撫ぜる。
少年には、母親という存在の記憶がおぼろげにしか存在していない。自分と妹を産んですぐに病床に臥してしまったからだ。
だから、なのだろうか。少女のなんとなしの手つきから感じた『母性』のようなものに、少年は安堵を覚えていた。
――大丈夫、と。その言葉を、噛み締めて。

「……っ、……、……」

しゃくりあげ、それでも、少しずつ、少しずつ。落ち着きを、取り戻していく。
嗚咽が収まっていくのを見て、少女はほっと息を吐き出す。
少女が知っている泣いている子どもの宥め方は、それしかなかったから。
それから一度、視線を境内へと向けた。大人達はまだ、近くで雑談を続けている。
……彼らの目を盗んで表へ下りて行くのは、難しいだろうか。
首を、傾げる。どうすれば少年を、はぐれた──恐らく家族の元へと、届ける事が出来るのだろうと。

「……きっと、心配している」

独り言のように、零して。

「叔父さんと真依と……花火を見に来たんだ。でも、人が、凄くて」

たどたどしく、声を震わせそうになりながら、少年は自身の置かれた状況を再確認する。
少女が取り合ってくれたことだけが、唯一の救いだった。

「……叔父さんはきっと、ぼくを探してなんかくれないよ。だって」

すぐに泣いちゃうぼくよりも、真依の方がたいせつだから、と零して。
少女は相槌なんて気の利いたものは入れられないまま、ただ静かに、丁寧に。
そうして、最後に悲しみと共に零された言葉に、ことりと首を傾げた。少し考えるような間が、あって。

「……泣くことを、わずらわしく思う人もいる」

「けれど、あなたが大切でないのなら、最初から、ここに連れて来てはいないと思う……」

きょとり、と視線を上げる。
見つめる先、少女の規則正しい息遣い。

「……ぼくも？」

でも、と、少年は続ける。

「ぼく、背もちっちゃいし、泣き虫だし、運動も出来ないし……いいところなんて、一つもないよ。『メイワク』なんだって」

自分は叔父にとっての『メイワク』なのだと、そう言われたこともあった。
近所の野次馬の使っていたその言葉の正確な意味を、少年は知らない。けれど、良くはないものだということくらいは理解していた。

「だからきっと、本当はぼくをおいて帰っちゃうつもりなんだ」

詰まるように、少女の呼吸が一瞬止まった。狐の面が、ゆっくりと俯く。
そして再び顔を上げるまでの仕草は、これまでの言葉を見付けた時のそれとは、また違った。
まるで、何かを堪えるような。何かを振り払うような。

「……めいわく、と。おじさんに、そう言われたの？」

何事もなかったかのように、少女は再び首を傾げ、問いかける。
伸ばした手が、少年の少しだけ大きな手に触れる。

「そうでないのなら、心配はいらない。何もできなくても、ゆるしてくれる人は、いる。
　それが、『家族』というものだから。……めいわく、と言うものは、もっと、冷たいものだから」

呟くように最後の言葉を落として、少女は一度だけ、少年のお面を見詰める。
買い与えられたのだろうそれに、少女は『家族』を感じていた。自分のそれと重ねただけの、けれど、少女にとっては大きな根拠。

「それでも不安にかられるのなら、聞いてみれば良い。……そのためにも、あなたは、戻らないと、だめ」

「……せたけと、運動は、何も手伝えない。……けれど、あなたのなみだは、なくしてあげられる、と思う」

くい、と。立ち上がるままに少年の腕を引っ張る。これまでと同じ。無理強いのない、ささやかな力で。

「来て。……教えてあげる。とっておきのばしょ」

「あ……まって！」

ただ一人になりたくないその一心で、縋る様に少女についていく。
彼女の言葉に、少年は何も返すことが出来なかった。
叔父自身にその一言を言われたことは無かったからだ。
少女の瞳の意味は分からなかったけれど、言葉の意味だけは、深く理解している。
だから、その時初めて彼は――『いてもいいんだ』と思った。


草を踏みしめる音が響く。
少年が来た道とは、反対の方向へ。獣道と呼んでも良いような細道を、少年を導くように進んでいく。
月と星の明かりに照らされた森の中、外灯に頼るばかりでは出会えない暗闇の中を、躊躇いも怯えもなく。
その時にはもう、不思議と『怖い』とは思わなくなっていた。
今の自分の右手には、彼女の手が繋がれていたから。
決して離すまいと、きゅっと握り締め、そうしてたどり着いたのは――。

「……わぁ……」

満点の星空に、花が咲いたように思えた。
左手の確かな感触に、涙の引いた表情に、少女は仮面の向こう側で微笑む。
邪魔をしないようにと、こちらから何かを言う事はなく。次々と咲く光の花に吸い込まれるように、顎を上げた。
手の大きさは違うけれど、いつか、祖父と見た花火を思い出して。ゆるりと息解く代わりに、その小さな温もりを握り返す。

「……見れないと思ってた」

煌々とした空の明かりに照らされて、夜闇に映る少年の輝いた瞳。
叔父は自分に、この景色を見せたかったのだろうか。
星天に広がった大輪の美しい輝き。めまぐるしくかたちを変えていくそれを見て、ただ――

「『花火』って、すごくきれいなんだね」

そんな感想だけを、口にして。
いつしか、音も遠く、月と星の光だけが、二人を照らしていた。

「……次は、『家族』と見に来るといい」

本当は、その筈だったのだと思うから。
心臓を直に打つような音と、瞼に焼き付くほどの光の余韻。
最後に視界いっぱいに広がる程大きな花弁を咲かせて、夜空は元の明るさと静寂を取り戻す。

「……花火の終わりは、祭りの終わり。あなたもそろそろ、表に、戻らないと」

その言葉を聞いて、少年の表情が少しだけ翳りを見せた。

「あ……うん」

それでも、渋ることは無い。
祭りの終わりが来たということは、今を逃せば叔父たちの元へ戻ることも出来ないということだ。
花火を見ていたであろう叔父たちも、祭りが終われば帰ろうとするだろう。
それを逃したら、自分はもう叔父たちには会えないかもしれない。
そう思った少年は、少女に手を引かれるがまま、来た道を戻るしかなかった。

「……入り口に出られるから、二人の事も、見つけやすいと思う」

隣を歩く少年の表情が翳れば、家族と再会できるか不安なのかと思い、言葉を掛けた。
とっておきの場所にたどり着くまでと同じように、仮面で視界が狭くても、暗闇の中でも、少女の歩みは危うげない。

「……たがいに会いたいと思っていたら、あえるものだから」

それは、いつだったか、祖父に読み聞かせて貰った物語にあった言葉。そして少女は、その言葉を信じていた。紡ぐ言葉には、いい加減さも不安もない。

「…………ほら」

坂をおりきり、木々の数が減って視界が開けてきた頃。遠くから、幼く甲高い呼び声が聞こえた。
妹の声。聞き間違える筈もない、耳慣れた音。

「――本当だ」

あいたい、と。その願いは、果たされた。
遠くに、手を振る双子の妹の姿がある。
その傍らには、仏頂面の叔父の姿もあった。
今此処にいるということは、おそらく二人は花火など見ずにずっと少年を探していたのだろう。

「あとはもう……ひとりで、いける？」

少女は、握る手を解くように力を緩めた。ここまで送り届けたのなら、もう大丈夫だと確信をして。

「私も……そろそろ戻らなくてはいけない」

おりてきた道を振り返りながら呟く。
そろそろ裏の祭事も終わる頃だ。大人達が動き出せば、自分がいない事に気付いてしまうだろう。

「なんで？　いっしょにいこうよ！　叔父さんにも、君のことを話したいんだ！」

少女の事情など知りもしない少年は、今度は自ら少女の手を握る。
この神社を出たら、もう彼女とは二度と逢えないかもしれない。
けれども動こうとしない少女に、寂しさとを覚えて。

「……せっかく、友達に、なれたのに」

じんわりと。再び、少年の目尻に涙が溜まる。

「……友達」

少年の顔を覗き込み、呟く
思えば少女にとって、自身を必要とされたのは初めての事だった。
叶えられたら、とそんな思いが過る。けれどもしこのまま戻るのが遅くなれば、ただ一人の大切な人を心配させるだけではなく、その人の立場も悪くさせてしまう。
少女にとって、それはどうしても避けたい事だった。

「…………泣かないで」

悩むような沈黙の後に、少女は着物の袖でそっと少年の涙を拭った。そして徐に自分のお面を外すと、こつりと自分の額と少年のそれを合わせる。

「……じいさまが、良くしてくれるおまじない。わるいもの──不安やさびしさに、つかまらなくなる」

五つを数える頃に、額が離れる。涼やかな青い瞳が、少年を見ていた。声と同じく淡々とした。けれど不思議と、心凪ぐような色。

「……おまじない」

その時初めて、少年は少女の顔を知った。
冬空の青に、吸い込まれてしまいそうだった。
涙が、止まる。きっと少女を連れ出すことは出来はしないと、そう悟ったのだ。
ならば、これ以上彼女に縋ることなど出来はしない。だから。

「――じゃあ、ぼくも」

そう言って、お面を被る。物語の中にしかいない、『魔法使い』になりきったように。

「ラ・ヨダソウ・スティアーナ……！　『また会おうね』って、魔法の言葉だよ」

その物語の中で、少年はその言葉を知った。主役の魔法使いは、いつだって別れの際にそう告げる。
魔法使いは、『さようなら』は永遠のものではないと説いていた。いつか必ず、また再会出来る日が来ると。

「もう会えないなんて思わないから！　今度はぼくが、手を引いてあげるから！
　だから、この言葉を覚えていて。　そうしたらきっと、ぼくたちはまた会えるから！」

『たがいに会いたいと思っていたら、あえるものだから』。少女の言葉を、心の中で反芻して。
そうして、名残惜しさを振り切るように、もう一度。お面を外して、微笑を作り、告げる。

「……またね、『キツネさん』！」

少年は、神社の入り口へ駆けていく。
何度も振り返りながら、手を振って。

http://p.tl/FTX1
(今回の日記は、Eno.2122　有城冬花の日記とリンクしています。)

それだけ告げて草場の影に消える眼鏡。

魔異に飛んでくる大量のうろこ。

　そのまま眼を合わせて、ん？と驚いた表情に変わる。

人間、人間、人間―――――。
立ち塞がるのは、これで四回目よ。

柊魔異。──私にとっての、祈りの花。
いつの間にか、離れ難く思っていた。
差し伸べられた温もりを、等しく返したいと。
守られる事の方が、多いのかもしれない。
また己の無力さに打ち拉がれるかもしれない。
それでも私は、もう自分の歩みたい道を、見失ったりはしない。
あの日、微笑み返してくれた眼を、握り返してくれた手を、覚えているから。
この血は、この眼は、あなたが許してくれた事で、再び生き始めたのだから。

気付いたのは、先の戦闘の最中。
今は漂うように凪いでいる『風』へと、掬うように手を伸ばす。
──彼のそれと、同じ色。

　　　　インコが


　　　　　　　　岩石を



　　　　　　　　　　　　ぶん投げる！！

　流した！！