09:錐 [スイ]
【 Type:E 】
Section-A
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雫 「…………」 |
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相変わらず伊予島はCross+Roseの前に張り付いている。 画面にはそれぞれ"我が子"が映し出されていた。 |
よく見れば映し出されている映像はチャット画面ではなく、どうやら過去の記録を再生しているらしい。
焦点の合わない瞳でぼんやりと眺めている様は、果たして本当に「見ている」のか疑問ではあったが、
時折Cross+Roseを操作している事から、
少なくとも何かしら意志を持って我が子の様子を観察しているらしい…というのは見て取れた。
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雫 「…………」 |
…これでいい。
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雫 (…これでいい 全ては順調、思惑通りなんだから) |
……だから、これでいいのだ。
余計な事を考える必要はない。
余計な事は、何も。
考える必要など。
何も。
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雫 「なにも」 |
伊予島
現役セレブサバゲーマー66歳。戦闘、は、
あまり物事を深く考えた事はない。
そもそも必要ない。それで生きて行けるのだから。
だから貴方にも必要ない。
雫
元裏社会住人の世話役55歳。非戦闘員。
色々考えがちな気質だがセーブは出来る。
そもそも決定権はボスに委ねてこその生き方だ。
そう言えば最近はあまり考えた事がなかったか。
これまでにも疑問や違和感を抱く場面は数多くあったように思える。
思えるというのは、その殆どは今この場で思い出そうとしても思い出せないからなのだが。
疑問。
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雫 「一番の大きな疑問と言うのなら、勿論それは『AA』の事だわ …異能の内容、それによる実際の影響、その発動条件」 |
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雫 「それにあたし達の状況もそう、 なぜ記憶の上書きがされないのか それから …」 |
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雫 「 『なぜ電動ガンでまともに戦えるのか』」 |
改めて口に出してみれば、自分でも奇妙だなとは思う。
一つ目の疑問と内容は等しいと言えるのに、どこか違和感がある。
そもそも"ここ"には初めから違和感があった。
ハザマに来て最初の戦闘。その直前に感じた違和感。
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雫 (何だろう…) |
何というべきか、"そう"ではない気がする。
勿論それは伊予島の異能の影響だろう。でなければ説明がつかない。
だが結論をそこへ結びつけようとする度に違和感を覚えるのだ。
何かが違う気がする。
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雫 ( まぁいいわ……次) |
そもそも"異能"とは何か?
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雫 「…個人が持ち得る力、他とは異なる能力、個性、才能…」 |
異能を持つ人間。
持たざる者もいる。持っていたとしても気付かない者もいる。
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雫 「あたしも持っている 八重子も持っている…でも内容は調べても分からない」 |
この"差"は何だ?
自分は己の異能の内容も、その恩恵も制約も知っている。
反面、伊予島は全く知らない、分からないと言う。
これまでにあらゆる機関で調査を続けてきたというのに、その殆どが未だ解明されずにいる。
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雫 「…別に、解明されない事自体は問題じゃあないわね…そういう事もある」 |
そう、それは何も珍しい事ではないのだ。
イバラシティ。
特殊な能力を持った人間たちが住む世界と言われているが、
実際の所、蓋を開けてみればその形態は様々だった。
人伝に話を聞くだけでも『持たざる者』『不明の者』は少なからずあの街に存在していた。
所持の有無だけではない。
"異能というものは"本当に様々な姿であの街に存在していたのだ。
己の肉体を変化させるもの
自然現象を操作するもの
無から新たに存在を創り出すもの
既にある要素を別のものに変化させるもの
概念を固定させるもの
規則や制約に縛られるもの、縛られないもの
他者の精神という形すら存在しないものに関与するもの、しないもの、出来るもの、出来ないもの
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雫 「内容だけじゃない、発現形態にしてもそう」 |
最初から持って生まれてくる者
年齢経過と共に育んでゆく者
経験や心境の変化によって獲得する者
儀式や物質のエネルギーを介して発動する者
他者から譲渡された者
自らが思い描き創造した者
親から同系統の異能を受け継いだ者
両親の異能を丁度掛け合わせたような異能を持つ者
まるで関係のない固有の異能を持つ者
血族すべてが同じ異能を持って生まれて来る家
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雫 「そしてこのハザマでの"異能" …Cross+Rose、基本異能、異能レベル、スキル、アンジニティ勢の能力…」 |
実際に異能について調べようとすれば、材料となるサンプルは多い。
だと言うのに、どうにもそれらが噛み合わない。
多種多様が過ぎて、逆に条件や確定要素を絞りにくいのだ。
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雫 「何をもって異能と定義する? あたし等全てに共通する発現の必須条件は何? なぜ認識に至る内容に、過程に、ここまで差が出る?」 |
ふと思い出す。
今まですっかり忘れていた事ではあったが、
このハザマで初めて異能について意識した時、自分は確かにそう思ったのだ。
・・・
雑だなと。
"異能"の定義が、あまりにも"雑"過ぎる。
決して才能や個性、奇跡などといった言葉で代用しない程度には、
各々の中で確固としたニュアンスの区別があるというのに、
いざその区分を見定めようとすると境界がやけに曖昧だ。
本当にただ『人が共通して持たない能力』、ただそれのみを指して言っているかの様だ。
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雫 「… 何よりも、奇妙なのは」 |
・・・・・・・
それであの社会も、このハザマも成り立っているという事だ。
誰もがそこに疑問を抱かない。それで良しとしている。そんな印象。
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雫 「………」 |
ふと自分の中に「面倒くさい」という思考がある事に気付いた。
心当たりはある。
そもそも雫にとって異能とは、言葉で表現するのは困難でも、理解としては単純明快な存在だった。
むしろ『己の異能が分からない』という感覚こそが理解できずにいた。
・・・・・・・
自分の異能なのだ。初めから知っていて当然ではないのか。
むしろ他人に判断して貰おうなどと考える方が間違いではないのか。
そういう意識が、雫の中には確かにある。
異能の調査や研究を生業とする存在についても、やや懐疑的な心情はある。
とは言え、実際に多岐に渡るサンプルがデータとして蓄積されている事は事実だ。
それによる需要や成果も社会的に実証されているのだから、そこに疑う余地はない。
素人が手探りで推理するよりは確実であると判断したからこそ、雫もそれらを頼りもした。
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雫 「…考えてみれば、第3者による調査というのは至って必然の事なのよね 分からないから調査する、既に分かっていても調査はする」 |
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雫 「無意識下での発動や暴走、他者への影響の恐れがあるんだもの、 それを研究し定義化を図る組織も、発動を牽制し対処する存在も社会には必要不可欠」 |
イバラシティの行政や司法に明るくはないが、異能がここまで日常と密接している社会なのだ、
むしろ政府が何かしら介入していなければ不自然とも言える。例えば、
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雫 「誰もがある一定の時期・年齢でもって調査を受ける場が既にあるのかもしれない それ以降も定期的な監視がつく可能性だってある 場合によっては、能力を無効化する為の処置を強制的に施すケースも」 |
それは決して危険性の高い異能所持者だけの話ではない。
発動における消耗・疲弊が激しい者、内容が不明である者、
意思をもって本人が能力を開示しない者、第3者に悪用されやすい能力を持つ者などがそれだ。
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雫 「…そう…それが当然、必然の至り」 |
群れや社会を形成する生物というものは基本的に臆病なのだ。
未知や不安要素をあるがままにしておく事を許さない。
特定の個人が利便や恩恵を独占する事も良しとしない。
当然、そういった社会では自然とそういう流れが出来てくる。
違和感を覚える。
…自分は何を言っているのだろう。
今、自分が仰々しく並べたものは、全て当然の事だ。
あの街の事を自分はよく知らない。ただ当然そういうものもあるだろう、と。
つまりそういう話だ。
そういう当たり前の事をわざわざ口にまでして。
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雫 ( 何であたしは今、違和感を感じてるのよ…) |
疑問や違和感がAAに繋がる可能性が見えた今、それを疎かにはしない。
なぜ今、違和感を覚えるのか。
今、自分の中にどんな疑問が浮かんだというのか。
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雫 「……何で…」 |
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雫 「……何であたしは"調査"を受けた事がない?」 |
だが調査を受けて来なかった事については、別に何もおかしい事ではない筈だ。
イバラシティでも、あくまで政府らの介入は"少なからずあるだろう"というだけの話で、
当然受けていない者もあの街には多く存在していただろう。
そう、
・・・・・・・・・・・・・・
そもそも異能とはそういう代物ではない。
自分の異能を一番に理解し、把握できているのは己以外に存在しない。
その事をを他ならぬ己自身が知っている。
自負ではない、これこそが異能者であるが故の確信であり事実だった。
何故なら"Cloak Room"は、
窮地に陥ったかつての自分が、その状況を打破する為に自らが望み、思い描き、創り出した能力なのだから。
それが異能だろう。そういうものだった筈だ。
少なくとも、雫の周囲では異能者は極めて稀な存在であり、基本的には秘匿とされていた。
だからこそ異能に関する組織も、社会も、表向きには存在すらしなかったし、
雫もまた『改めて調査しよう』などという発想すらしなかった。
…違う。
ふと脳裏に浮かんだ、一つの発想。
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雫 ・・・・・・・・・・ 「…あたしにとっての異能が、そういうものだった…?」 |
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"ENCOUNTER BATTLE" |
Cross+Roseが鳴く。
……風の気配がする。
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雫 「………」 |
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雫 「…ちょっと 何してんのよ、いいからあんたは 」 |
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伊予島 「大丈夫」 |
柔らかな手が降ってくる。
座り込んでいた雫の頭部を1度だけ撫でた。
人形の様な、固定された微笑み。
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伊予島 「何もないわ 何も」 |
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雫 「何が 」 |
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伊予島 「怖い事も、心配する事も、不安な事も、何も」 |
歩き出す。
…その姿を黙って見送る事しか出来なかった。