
"これは、或る悲劇をつづる偉人の言葉である。"
『今望んでいるものを手にして、何の得があろうか。それは夢、瞬間の出来事、泡のように消えてしまう。束の間の喜びでしかない』
- William Shakespeare
――ある夜、俺は愛車の外国車に乗っていた。なんてことはない。俺だってたまには、若さをそのままに力として、時に大胆な遊びに耽ることだって珍しくもない。
だから夜のツクナミ区の辺鄙な場所、それも峠だとか山道だとかを駆け抜ける間は、誰も俺を見向きせずに、気になんてしないだろうと、そう思ってたのに。
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ガァンンッッ!! |
次の瞬間には、"真っ赤な空と崩れた廃墟の中、化け物の群れの中に突っ込んでいた。"
世界がひっくり返り、窓が割れて、破片を顔に被った。
何かどろどろの固体と液体の間のような何かをタイヤが挽き潰し、聞いたこともないような断末魔と、化け物共の怒号が響き渡った。
どうやらその化け物のうちの人気者でも轢き殺したらしく、それはもうお冠なのだけは言葉が解らなくても理解出来た。
その後どうしたか?そりゃ、必死で逃げるさ。得体が知れない化け物――暫定的に"ナレハテ"と呼ぼう。あいつらに俺の"異能"が通じなかったからだ。
通じるなら、最初にツラを見た瞬間には毒が効いて動きを封じたり、動き出せば足元から酸を吹き上げて殺すことだって出来たはずだったのに。
それが通じなけりゃ、俺は間違いなくここではただの、"ガキ"でしかない。
だからひっくり返ってた愛車に、泣きの異能で強化を込めた蹴り一発入れて起き上がらせて、乗り込んで全速力の逃走を開始した。
こんなに必死で逃げるのはあの時以来だと、まるで走馬灯のように、過去のことを思い出した。
それは、俺がこんなことになるよりずっと、前。
『今から十年前の、東欧でのお話だ。』
…………
AM 1:25 ...『チェコ・ブラハ ある路地裏にて』
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ナツキ 「……ッうぁ、ぁ……」 |
――俺のその時の名前は、なんてことない。特に映えた名前でもなかった。
錐旗ナツキという名前を得る前、向こうじゃ俺は異能を使えるガキのことを、妙に生命力があるだのなんだのとボロクソに言う為に、蔑称をそのまま名前にされていた。
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シュヴァーヴ 「……く、そ、痛い……痛いッ……!」 |
明日を生きる事も出来ない。金なんてものはない。
元々は、ちょっと有名な病院を経営する父親と、優しい母親がいた。
だけど、二人とも紛争地域で活躍するという医師団に所属して遠くに行ってから、帰ってこなかった。
当時向こうは、過激派のカルト宗教によって起こされた紛争によって、その宗教に従わない者は戦わない人間でも、助けようとするだけの心優しい医者であっても、例外なく処刑された。
死にざまは知らない。きっとそれは、とても惨たらしい死に方をしたのだろうなという想像でしかなかったが。
まぁ、間違いなく生きてはなかったと思う。
そんな取り残された俺は、所謂マンホールチルドレンなんて名前を与えられるような奴等の中にいた。
勿論、そんな中でも特段俺は嫌われていた。"蠅をたむろわせる異能"なんてものを使っていたからだ。
だからこうして、折角取り分を得てきたにも関わらず、他の奴等に持ってかれ、顔を殴られ、血を流しながら悶えるしかなかった。
冬は寒いうえに、水気があるから裸足の足は皮がふやけ、ボロボロに剥がれて血が流れ、自分の上の薄い一枚の服のような布を敷いて、その上で足の皮膚が乾くのを待つしかなかった。
腹は減るし、血も流れて意識ももうろうとする。
……だから蠅を寄せ集め、そいつらを"食った"。この世の味じゃないそいつらを噛み締め、飢えを凌いだ。
そんな俺のことを、やはり"ゴキブリ"と気持ち悪がるものだから、誰も俺を扶けないし、手を差し伸べることはなかったんだ。
あいつ以外は。
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優しい男の子 「……大丈夫?」 |
――――最初は女だと思った。余りにも、綺麗な顔をしていたからだ。
鈴のような声で、震える俺の元に、そいつは現れ、羽織っている黒い布を、俺にかぶせてくれた。
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シュヴァーヴ 「……う、ぇ。……お前、は?」 |
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優しい男の子 「……僕のことなら、ハルって呼んで。大丈夫、君より、身体は頑丈だからさ」 |
……近くにきて、黒い布を被せた俺を、そのまま優しく抱きしめてくれた。暖かい腕だった。
真っ白な腕だった。
――抱きしめ返していいのか悩んだけど、暖かさに飢えていた俺は、何も考えずに抱きしめ返していた。
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シュヴァーヴ 「……ぁり、がとう」 |
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ハル 「……どういたしまして。今夜は、一緒に居てあげる。寒いから、一緒に寝てあげる」 |
――――それが出会いで、"一目惚れ"だった。相手が男だと解ったのは、数日後に、
そいつが"汚水の中、裸でゴミの中を探っていた"からだ。
寒くないのかと声を掛けたが、平気そうに笑って手を振られた。
想えばあの時、自分とおんなじもんを持っていると知った時は、ちょっと死にたくなった。
本気で好きになって、惚れた相手が男だったんだ。自分が男で、ガキでも、そのショックはちょっと引きずったかもしれない。
ハルと名乗るその男の子と出会ってから数日後だった。
俺は、またやらかしていた。
なんてことはない。飯を盗もうと入った店に、屈強な店の従業員がいて、そいつに追いかけられて路地裏の袋小路まで追い詰められたからだ。
細い腕を掴まれ、思いっきり顔を殴られた。頭蓋が揺れるっていう感覚を知りながら、ああ、ここで殺されるのかと思った。
――だけど。
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ライオネル 「"ライ"!!」 |
――――俺に名付けた名前、俺に『ライ』という名前をくれたハルが駆けつけて、
なんとその男の頭をそのへんに落ちてたパイプで思いっきり殴ったんだ。
敵うわけがないと思ったのに、"男の頭はパイプの形に凹んだ"。
勿論、それで即死だった。ハルが殴りつけたパイプはへし折れて、男の頭にめり込んだまま男ごと倒れて砕けた。
呆然とする俺の手を引いて、ハルは駆け出す。裸足を容赦なく傷つける地面の痛みを忘れ、二人で路地裏の果てまで逃げた。
……その時、初めて知った。
ハルもまた、俺と同じ、"忌まれる異能を持つ子供"だったんだと。
――――ゴキブリの蔑称を与えられた蠅の異能を持った子供と、
東の国の暖かい季節の名前を持つ子供。
同じ世界で生きることになるには、天と地ほどに差があって。
そんなアイツをやっぱり、"俺は好きだったんだ。"
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ライ 「……ハル」 |
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ハル 「なぁに?ライ」 |
――――忘れない夜を、一つ、越えた。
だけど、その夜がきっと、俺とハルの、最後の幸せの夜だったのかも、しれない。
お互いの、何も持たない心も、喪い続けてやせ細った躰を重ねた。
どちらからともなく、きっと俺たちは約束したんだ。
『どちらかが居なくなったら、必ずもう片方が、探しに行く』
『一生ずっと、離れない』
『愛してる』
APM:x:xx...『ハザマ世界 廃ビル群』
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ナツキ 「――――ハ、ル……ッ」 |
どうやら、意識を飛ばしていたらしい。
ぼろぼろになった車の車内で眼を覚ます。通信をした覚えはないが、
どうやら逃走中に闇雲にあちこちに繋がるチャンネルへ叫んでいたらしい。
ノイズが走り続ける車載通信機をぼんやりと眺めながら、夢の中身を思い出し、顔を覆った。
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ナツキ 「……お前を、必ず見つける。必ず、お前を救うからさ」 |
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ナツキ 「……待っててくれ、ライオネル・ハルペールト」 |