■*19XX年 男性*■
それは、何かのドラマや漫画の中であったり、何処かのニュースであったり、ともかくその男は、自分には全く関係のない事だと思っていた。
付き合って数か月の彼女から、連絡が届く。
スマホに指を滑らせて、内容を確認して、一気に思考が凍り付いた。
『できちゃった』
……何かのドラマや漫画の中であったり、何処かのニュースであったり。
そんな自分からは離れたものの、けれど良く見る一言。
それが、今、自分の身に起こっている事に手が震えた。
――――覚えがない、訳ではない。
もっと言えばこの最近、少し恋人の様子がおかしかった。
そう、何かを思い詰めたような、何かを訴えてくるような。
何か言おうとしたのか、けれど促せば「なんでもない」と濁される言葉。
だから、男は、
心のどこかでほっとして、彼女の頭を撫でながら
「そっか。それなら良いんだ」
なんて答えてきた。
得た違和感には蓋をして。
喉が酷く乾いている気がして、ごくりと鳴らす。
どうしよう。
どうしよう、どうしようどうしようどうしよう。
彼女の事は、大好きだ。愛している。
自分よりも年下で、可愛らしくて、自分のが大人だから少し背伸びしてくる少女の姿は、愛しい。
だけど、
………………だけど。
■*19XX年 少女*■
怖い。
身に宿る命の存在を知って、まずそんな感情を抱いた。
こわい。怖い怖い怖い。
怖い。
少女の中に自分ではない何かが宿っている。
子供。赤ん坊。
――――まだ、学生なのに。
親に言うべきだ。言わなければ。
あの人にも言わないと。言わないと。
……何かが宿っているという事実からなる、心地の悪さと、恐怖と。
……一人でどうにかできるものではないが故に、そして、自分の立場が故に。
周囲へ知られた時、どう思われるか、どう見られるかの恐怖と。
初めてできた恋人に。
……知られたら、どうなるのだろう、という恐怖と。
何もかもが怖かった。
少女以外の命を抱えることも、知られることも、視線も、この先が。
スマホに細い指を滑らせる。
……漸く、この間、彼へ知らせることはできた。
ただ、待てども返信が来ない。連絡が来ない。
電話に出ない。会いに行っても家にもいない。
想像していた恐怖のひとつが現実になった気がして、少女はその大きな瞳からぽろぽろと涙を零す。
一人きり、少女の部屋で、嗚咽を抑えて、彼女は蹲る。
「空菊の友人」から離れて、ぼんやりと世界を見やる。
そこに【ナニカ】の姿は殆ど見えない。
はっきりと見えるのは、内包していた鍵と時計と、2枚の翅。
時折、とぷん、こぽんと水の音が小さく落とされる。
考える事のできる自我は、何かを得たいと願う思いは、話す事ができる程度のものは、持てていた。
辛うじて持てている、だけで、それを積極的に使おう、とは思わない。
ただ、【空菊】が大事に思っているという事は、分かっている、つもりだ。
何かを掴めども掴めない。
何かを得ども得られない。
それでも意識無く、手が伸びる先。
【空菊】は、手が伸びてしまう先に、一番近いもののように思えるのだ。
…… 記憶が流れ込む。
【空菊】の記憶だ。
――――女性と話している。
良く分からないが、少しだけ厭な気持ちが流れてきた。
――――少女と、少年と話している。
ぐちゃぐちゃに何かを煮詰めた熱い何かと、そこに混ざる冷ややかな気持ち。
――――級友と話している。
殆ど何も無いが、呆れのような、そんなような小さな気持ちだ。
それらを落とし込んで
落ちていって空を見上げる。
暫し、ぼんやりとそこに在って。
かちかち、かたかた、こぽん。
そんな音と共に、また彼らの場所へ戻っていく。
【街に来たモノ】
ずる
り。
ずるり。
何かを引きずる音がする。
すでに多くの人が立ち去った始めの場所に、黒い何かが蠢いている。
じっとりと湿っている羽のようなものは鎖と時計の針と、黒い液体で汚れきっている。
それを背中に引きずって、人ならざる形の人間が、ゆっくりと歩を進めていた。
ずる
り。
ずるり。
ずるり。
口らしきものが、ぐぱりと開く。
声にならない音が低く、低く響いて。
何かを求めるように、這いずっていた――――