 |
■■■■ 「……。」 |
プツ。
 |
* 「…………ん〜」 |
8月、晴天。
雲一つない夏空の下、木製のイーゼルにかけた真白のキャンバスと、
少年がにらめっこをしている。
左手には平筆。右手には、ソーダ味の棒付きアイス。
キャンバスから遠ざかったり、近づいたり、空を見上げて、またキャンバスを見て。
太陽の光に照らされ溶け始めたアイスが、
雫を滴らせては、地面に染みを作っていた。
 |
■■■■ 「……………あかん、なんっも思いつかん。 新斗なんかええ案ある?」 |
 |
新斗 「ハブvsマングースとかでいいんじゃないか?」 |
 |
■■■■ 「アホか」 |
現在、夏休み真っ只中。
──遠くに聞こえる風鈴と蝉の声をBGMに、誰も居ない公園で二人の少年が話している。
 |
新斗 「絵もいいけど、アイス。垂れてるぞ」 |
 |
■■■■ 「えっ? あっ、マジじゃん!」 |
慌ててアイスをパクリと咥えれば、じゅわりとソーダの甘みが口の中に広がる。
遅れてきた冷たさに「つめた!!」と大げさにリアクションを取れば、
傍らの椅子に腰掛ける少年がクスクスと笑った。
ここで何をしているのかと言えば、夏休み明けにある作品展に向けて描く絵を描いているのだ。
とは言っても構想は全然浮かばず、キャンバスは新品同様……
いや、ちょっと溶けたアイスが付いたかもしれない。
ともかく、進捗、ゼロ。そんな感じだ。
 |
新斗 「ずっとにらめっこしてるな。 今日はもうやめにしたらどうなんだ?」 |
こんなに暑いんだし、僕の家でも来ればいいのに。
笑いながらそう言う少し年下の親友は、一年前に近所へ越してきたばかりだ。
中学生だというのに利発で、行儀が良くて、そして生意気だった。
家の構えからしていいとこの坊っちゃん、という感じなのだが、可愛くない。
趣味も思考もタイプの違う人間ではあったが、それでも意外と、仲良くなれるものだ。
尋ねられた言葉に緩くかぶりを振って、またキャンバスに向き直す。
 |
■■■■ 「いいや、また今度。つか、時間が余ったら? これでも楽しんどるんよ。悩む時間も絵描きの醍醐味ってな」 |
 |
新斗 「アイデアが枯渇している事への負け惜しみは聞き苦しいなあ! 進まない進捗、決まらない進路、はてさて彼の未来はどこへ向かうのか……。」 |
 |
■■■■ 「お前な」 |
ちょっと耳が痛いからやめてほしい!
じゃなくて。
口が減らないこいつに、少々灸を据えねばなるまい。
アイスをさくりと一口かじり、茶々を入れてくる新斗の頭をわし、と掴む。
そしてわしわしと高速で頭を撫で始める。
 |
■■■■ 「お前な〜っ!! あんま生意気言うとるとこうやで!!」 |
わしわしわし!! 容赦の無いタイプのなでなでだ!
 |
新斗 「うわ〜っ!! 先輩がいじめる〜〜!!」 |
ごめんなさ〜い! と、容赦の無いなでなでに後輩はすぐに白旗を上げた。
お互いにケラケラと笑って、ひとしきり撫でたら手を止める。
乱れた髪型を直している新斗の横に腰掛け、ぐいーっ、と背伸びを一つ。
アイデアが枯渇しているのは事実なので、視界を変えてからまた何を描こうかと考え始めた。
小さくなったアイスを咥えながら、ぱたぱたと両足を揺らす。
刈ったばかりであろう芝生の匂いが、鼻をくすぐった。
進路が決まらないのも、事実だった。特になりたいものも、憧れるものもなく。
唯一好きな所謂「創作活動」を仕事にする、と言えば先生達は口を揃えて『やめておけ』と言う。
承知の上だ。甘くない事だなんて分かっている。
でも、やりたいことをやらせてくれてもいいんじゃないか?
唯一自分に残ったペンと筆すら、再び大人に、周囲の何も知らない人間に奪われるのか?
嫌だ。そんなのは嫌だ。自分はこのまま、自分に残った物を握りしめて進んでいくんだ。
──そんな事を口に出す勇気もなく、先生に勧められた大学を適当に志望した。
はっきり言ってやる気はない。
大学なんて場所に行けば、また周りのゴミみたいな人間がズカズカと近付き
笑いながら自分の事を「友達」と称し遊び道具かのように扱い、
飽きたら捨てていく。知っている。すべて知っているのだ。
今までそうだったなら、これからもそうなのだ。そうに決まっている。
期待などしていないし、希望など持っちゃいない。
そう、希望なんて持つから絶望するのだ。
その点の学習能力については自信があった。同じ過ちを犯すような馬鹿はしない。
閑話休題。
 |
■■■■ 「……そういや、お前は?」 |
 |
新斗 「え?」 |
 |
■■■■ 「進路。目処ついとるのかって話」 |
そう訊ねられれば、新斗は「あ〜……」と声を零し、浮かない顔で空を見上げた。
……彼の進路もまた、明るくないようであった。
 |
新斗 「僕、異能の関係とかもあって。出来る仕事も限られてくるだろうし。 大学に行こうとは思ってるけど、その先は何にも。」 |
お前、ピアノ習ってたよな。音楽の道とか、進まへんの。
そう聞くと、困ったような笑顔で「辞めたよ」と返された。
好きだけど、もう弾かない。大学行くのに、勉強しなきゃならないから。
そう言うのだった。
彼もまた未来の為に未来を奪われていた。
なんだ、自分と似たようなものじゃないか。
ふと、口に出していたのは。
 |
■■■■ 「どっか逃げるか?」 |
そんな提案。
え? と新斗の声が返ってくる。
クスクスと笑い、言葉を続けた。
 |
■■■■ 「進路とか気にせんといてさ、二人でどっか行こうや。 貯金崩して、行けるとこまで。旅! 自由に二人で歩くんよ。」 |
 |
新斗 「……どっか行って、それから?」 |
 |
■■■■ 「何もしない。遊ぶ。金が尽きたらバイトして、溜まったらその金でまた遊ぶ!」 |
 |
新斗 「何だそれ! 見通しが甘過ぎるだろ!」 |
 |
■■■■ 「だ、だってぇ……それしかないやん……?」 |
 |
新斗 「まあ、な。お金がないからなぁ。」 |
 |
■■■■ 「やっぱ金かぁ〜〜……。」 |
旅、厳しい。
何をするにもお金は必要で、自分たち学生にはそれがない。
自分はバイトの自由があるが、新斗はまだバイトができる状況にないし。
空が高いばっかりで、どこにも飛べやしない。
まだまだ自分たちは篭の鳥だ。
 |
新斗 「……でも」 |
 |
■■■■ 「ん?」 |
 |
新斗 「海は、行きたいな。」 |
海。
 |
■■■■ 「……海か。いいな。海なら金無くても行けるしな。 なんなら今からでも──」 |
 |
新斗 「言ったな?」 |
その言葉を聞くなりニヤ、とこちらに向けて笑みを浮かべる。
この笑い方をする時は大抵何かを企んでいる時だ。知ってる。絶対今企んだ。
 |
■■■■ 「……お前、まさか」 |
 |
新斗 「はい、そのまさか! 今から海行きま〜〜す!! 遅く着いた方がサイダー奢りで!!」 |
バン!!!!(これは椅子に手をついて立ち上がる音)
言うやいなや残りのアイスを咥えて駆け出した!!
そして意外と足が早い! 無情! こちらにはイーゼルとキャンバスもあるのに!!
遠ざかる背中を見てしばらく呆気にとられていたが、何だか気が抜けて。
全く。
 |
* 「……全く、あいつは〜〜!!」 |
こちらもアイスを咥え、キャンバスを持ちイーゼルを素早くたたむ。
軽い物を選んでよかったな、と思いながらその2つを担いで、
 |
■■■■ 「薄情者〜〜!!置いてくな〜〜!!」 |
後を追って、走り出す。
公園から出れば、アスファルトから来る熱が夏の暑さに拍車を掛ける。
流れ出す汗も、アイスの雫も関係ない。
走ればさっきまで考えていた難しい事も、風に乗って吹き飛んだ。
未来のことは後にして、今は、海だ!
 |
新斗 「だって人の金でサイダーが飲みたいだろー!?」 |
 |
■■■■ 「うるせぇ〜〜!! 今回はお前が払え〜〜!!」 |
やがて追いついて、夏の街を、競うように二人で駆ける。
アスファルトに鳴る靴の音が、軽やかに青空に響く。
目に焼き付くような空の青が眩しくて、目を細めた。
目指すは、
プツ。
 |
■■■■ 「……あれ?」 |
 |
■■■■ 「新斗?」 |
 |
■■■■ 「だれか」 |
ガボ、と口から泡が吐き出される。
ここはどこだ? 俺は、どこに──
ああ、そうだ。海に行くんだ。
いや、違う。 俺はさっきまで
今まで
 |
無題 「……………………あ?」 |
記憶が流れ込んでくる。
身体が水の中に沈んでいくような感覚と反比例して、
意識は明瞭になっていく。
記憶が流れ込んでくる。
記憶が流れ込んでくる。
記憶が流れ込んでくる。
全部、全部、全部、全部
全部、
全部。
「あ」
ザバ、とインクの海から身体を引きずり出し、
乱れた呼吸を整える。
地に膝を付き、這いずるように進む。
ハザマの地。
 |
無題 「……全部」 |
無題の、男は。
 |
無題 「思い出した」 |
全てを思い出した。
自分の題も。自分がどうなったかも。どうしてそうなったかも。それまでどうしていたかも。
自分がどんな思いをして、どんな目にあって、自分が、あいつが、
あぁ。
 |
無題 「……あ、は。」 |
 |
無題 「は、はは、あはははは!!!!あっはははははははは!!!!!! あは、はははははははは、ははははは!!!!」 |
 |
無題 「最っ高や!! 最低最悪や!! あいつほんまにやりおったんや!! 俺の事殺しよった!! 成り代わりよった!! はは、ははははは!!!!」 |
息が詰まるほど笑い上げる。勝手に笑いが込上げてくる。だって愉快で仕方なかった。
全てが、思い通りになっていたから!
奴に自分を殺せと頼んだのも。奴が自分と成り代わるのも。
それなのに自分がこうやって、ここに存在する事も!
 |
* 「自由や……もう、自由なんや。俺は俺やない。 俺を閉じ込める籠も、何もない!!俺は何者でも無い!!」 |
もうどこだって行ける。どこまでだって行ける。
全てを失った今、無題の男を封じる額縁や籠すら無い。
手始めにどこへ行こうか、とも思ったが。
旅をするなら、まず『家族に挨拶をしなければ』。
Crros+roseを開き、家族の名前が無いか確認する。
 |
無題 「……あ、居た。チヨ子、あは、アラトもおる。おいおい、『俺』もおるやん!! はは、待っててな、今帰るからな!」 |
ああ、やっと異能も使える。何年ぶりになるのだろうか。
片手を上げればペンが喚び出される。虚空に筆を走らせれば、光の筆跡が残る。
 |
無題 「さあさあ、駄作、贋作、失敗作共!! 悔しけりゃ俺についてこい!!」 |
ハザマに打ち捨てられた創作物が、異能によりインクの海に還り、彼により描き直される。
虚空に描かれた"大鴉"は、彼の号令により呼吸を始める。
具現化し、羽を伸ばした大鴉の首を撫で、背中に飛び乗った。
 |
無題 「──行こうか、大鴉。」 |
題の無い彼の異能が、翼を広げハザマの地を飛ぶ。
彼の、異能は。
『神様の言う通り』
ルサンチマンズ・オーダー。
出来損ないの創作者は、形を与え、
生命を吹き込み、使役する。
――――否定されたもの達よ、復讐の時だ。