渡辺慧の場合
「……それで、なんでヤエたちは迷子になってんですか? なんかみんな乗ってきましたけど。なんですあれ。あれ、ヤエたちは乗れねんですか?」
寝ぼけた顔をして、鏑木ヤエ――彼女はそう嘯いた。
自分はというと、――……その恍けた、分かりきった言葉に態々言及する気もなく不貞腐れた様に吐き捨てた。見知らぬ土地。戦いの舞台。だが、その中心に身を置く気がなければこうも陳腐に成り下がるのか。
イバラシティでの記憶は存在する。記憶は連続し、だからこそこの場における記憶は連続性を失う。
その上で、“大したことはなかった。”大したことなど、何もなかった、と嘯ける自分はどこか人間的な欠陥でもあるのだろうかと少しばかり訝しんでしまう。
或いはそれが意図的な物であろうと――どちらにせよ“大したことなど、何もなかった。”
「……知るか。バカだからだろ、お互いに」
「これ、待たされてる馬締とおにーさん、どんな顔しますかね」
どうせそれに対する言い訳を考えるのは己だ。
彼女に任せれば碌な事にならない。言い訳も何もないのだが。
靴を脱いだ足先の指に、座り込んだ水辺の水の感触が触れる。
ちゃぷり、と。どこまでも普遍的な音を立てて水が揺れた。
で、だな。
「俺達が考えるべきは今あいつらがどんな顔するかより、追いついた時にどんな顔をされるかの方が重要なんじゃないかな。頭が痛い」
「そりゃあ、あんなことやこんなことを二人でシてたと思うでしょうね。ヤエならそう思いますけども、言い訳の準備はいーんです?」
「思わねえよ君じゃないんだから。言い訳するとしたら、……なぁんで乗れてないんだよ」
「なんでですか?」
こっちが聞いているというのに、分からない振り――果たしてそれが降りなのかどうか知った事ではない。――でこちらに回答権を投げる。質問を質問で返すな。それこそ自らに向ける言葉にもなりえそうなことが酷く億劫だ。細めた目付きで、横目で視線を向ければ、いつも通りのとぼけた顔が見えた。
ため息を一つ。
言いたくないからこそ、投げたというのに。
「一つ。バカだから。二つ。死ぬほど言いたくないけど、あの人のせい。どっちにしたい?」
「……まあ、少なくとも影響はあんでしょうよ。でも、ヤエと渡辺慧がバカであるのは疑いようのねー事実なんですよ」
知ってるよ、そんなこと。
……やはり、言うべきではなかったという感想。
だが、こんなところで彼等に追いつくために迷子になっている現状で、どうしたってそれに行き当たる。
「俺だってこんなこと言いたかないけどさ。……いやあの人に悪いとかそういうあれじゃなくて。自分達の馬鹿さ加減を誰かに委託するの、あれだろ。バカで阿呆だろ」
「まー、愚かしいってのが正しいのでしょうね。……それじゃあ、ヤエと渡辺慧は単純にバカってことになりやがりますけども。だとしても、異能に意味がなかったとは思いにきーんですよ。……『ファンブル』。……なるほど」
「だから、言っただろ。『どっちにしたい?』って。……正直、どっちでもいいんだよ、あの人のそれがどんな影響を与えてんのか、とか。結果は結果に過ぎないしさ。因果ってか? 厭なもんだな、異能って。なんでも、せいかもしれないって思われんのは」
そう、愚かしい行為だ。
いつもと変わらないように、いつもとは違う空を仰ぎ見る。
ここにあるのはいつもとは違う空という結果だけだ。
ミステリーのそれだ。
実現可能な物は、実現されたかはともかく、可能性を残す。
トリックを実現できる人物は、それを否定できるまで犯人足り得る。
火を放てる異能でもあって、そして火事でもある。
なまじ便利な物、あるいは“強力”なものであるから可能性を色濃くする。
“解決不能の密室殺人事件”とでも銘打った売り込みの小説でもあったとしよう。
では仮に、そこにテレポーテションを行える人物が紛れ込んだらどうなる。
実に明白。そう、“実に明白だ”と言えてしまうような状況がそこに出来る。
事実がどうであったところでだ。
だが、こう綴っていようとも。結局はもしもの話に過ぎない。
発火異能力者は放火などしていないかもしれない。瞬間移動能力者は殺人など冒さないかもしれない。彼はファンブルの影響を出していないかもしれない。
家は燃え、殺人は起き、自分たちは失敗した。
どんなもしもがあろうとも、結果はそれだけだ。
自身が愚かであろうと、誰かの足を引きずりこみたく等ない。そんなものは御免だ。
どんな繋がりだろうと、自身の色を変えようとする線など、あってたまるか。
「ないほうがいいって、渡辺慧は思うんですか。なかったほうがよかったと、そう思ってやがりますか。あくまで結果としてヤエと渡辺慧がタクシーに乗れなかった。まあ、落とし所としてはこんなものでしょう。……渡辺慧が『そう』なのも、何らかの異能のせいだったら救いがいくらかありましたのに」
「いいや? 無かった方がいいとは思わない。ただ……合ったほうがよかったとも思わない。それだけ。あるんだよ、それだけだろ。俺が俺で、こうなのも。『そう』なだけだろ。……俺が『どう』なのか知ったこっちゃねえけど」
そう、どちらでもいい。
自身には異能がある。なかった可能性もあるかもしれない。
だが、この世界には異能がある。自身にも異能がある。
それを否定するのも、ましてやなかったかもしれないと考えるのも、馬鹿々々しい。
そうして“今だけに”目を向け続ける事は、果たしてなにかから目を反らしている事と同義なのだろうか。
――いいや。そんなことはない。まるで未来の結果を前借するかのような自身の異能は、自身に、そんなことはないのだと否定させた。
「結果論では。だとしてもヤエは、『もしも』の話をするのは無意味だとは思いませんけれども。……『そう』なのでしょう。自覚しないうちは。それを指摘するのは、ヤエの役割ではない」
「もしもタクシーに乗れていたら。そうだな、それなら俺達のバカさも、あの人の異能に今目を向ける事も大してなかっただろうな。だからなんだよ。……まぁいいや。じゃあ『もしも』また君がタクシーに乗れないなら、君だけのバカさを証明できるのにな」
「であるのならば、無価値とは言えねーでしょうて。その『もしも』はありやしませんよ。なぜなら、ヤエと渡辺慧はタクシーに乗る。失敗を糧に学ぶことができる。……バカでねかったら、この学びを獲得することもねかったでしょう」
「……、バカって学べんのかな」
会話が一段落したと見受け、足についた水を払いながら立ち上がる。
休憩も終わり。迷子は迷子でなくなる。
「葦以下であると言うのであれば、学べやしねーでしょうね」
「割と厭だな……割と延々と水遊びしてる奴等だと思われんのは割と厭だな……」
「んであるのであれば。……、あ、ヘイ! ヘイヘイヘイ! ヘーイ! ヘイタクシー! イエス! ヘイ! イエスイエース。タクシー!」
「……こうもいつもとノリが変わらないと、精々侵略だか何だかも政治を見てるみたいな気持ちになるよなぁ。……あ、ここまでお願いします」
「政治も侵略も同じでしょうて。どちらも同じ『ショー』に違いはありませんよ」
「んじゃあエキストラとして、同じように囃し立てる位はしようじゃありませんか、ヤエさんや」
「ヤエにエキストラをやれとは、言いやがるじゃねーですか」
だからこそ、乗り込みながら聞いたその言葉に少しばかりの驚きを乗せ。
イバラシティ。アンジニティ。
別に拘りはない。侵略されてしまうならされてもいい。だが、侵略されてしまえ、とは思わない。
何処までも他人事なのだ。この心境の者が、舞台に上がりこむなど演者には酷い侮辱だろう。
……、まぁ。精々建前を並べ立てておこう。少なくとも、“自分”にはその結果は何ら関係のない話なのだから。
彼女の役割。知ることはないだろう。もしかしたらイバラシティという場所は、彼女が彼女の主張、欲、なんたるか。
何かを満たすために必要な場所なのかもしれない。なれば、舞台に上がりこんだところで文句を言う輩などありはしないだろう。
がんばれ、と紡いだ。他人事の様に。
だからこそ、自分には関係のない事だ、と笑った。
「……、じゃあ『がんばれ』といっておく、君の主役を」