榊からの歓迎を済ませタクシーから降りた吸血鬼は周囲を見渡し、背が高い廃墟を見付けるとさっそく飛び移る。そして意識を集中させる。
目的を達成するには取り敢えずの人手が必要だ。
永き幽閉により衰えた力。案内人からの説明を丸呑みしたとしても数多く残る不可解な点。そしてイバラシティでもアンジニティでもないこの空間――それらを己が一人でどうにかできると思う程オニキスは愚かではなかった。
『天河ザクロ』の知り合い、それもできれば素質を持ちながら今現在は戦うことのできない人間がいい。
第一目標はイバラシティとアンジニティの戦力を均衡させること。その為には元々率先して戦いに導ける者には別々に動いてもらうべきだ。たとえば神実はふりのような。
その点を踏まえて探索を続けているうち、まとまった大きな気配を察知する。
余程運が悪いのかナレハテの大群に取り囲まれたようだ。中心に居るのは三人。全員が顔見知りだ。しかもそのうちの一人は『自分と同じ』だ。
ヤツがどういうつもりなのか見極めさせてもらおうか。
物見遊山気分で観察していた口許はしかしすぐに不快感に歪められることとなり。ナレハテの群れの中へとその身を躍らせる。
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オニキス 「興醒めだ」 |
ぢ、と空気が焼け焦げる音と共に亡者の隙間を縫って奔る閃光。
一行を呑み込まんとしていたナレハテの群れを、熾きる炎が真逆に喰らっていった。
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オニキス 「なんだ、その無様な姿は」 |
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オニキス 「手始めにこいつらを喰らうのか。けしかけたところを助ける一幕を演じ『使える駒』を手中に収めるのか。そう思って眺めてみれば、まさか無策で飛び出した挙句に犬死に寸前とはな」 |
"導火線"に従って放たれた炎はさながら炎の大蛇。
血と汚泥の混じりあったような魔物はとぐろを巻く捕食者になすすべもなく呑み込まれ、ひとつまたひとつと断末魔と共に消滅していく。
目の前の存在――結城伐都の姿を模した化物、アンジニティの虜囚イデオローグ。知った顔だ。そして奴の信念からすれば今のただ単に他人の盾になるような行動は決してしない筈だった。
自分を貫き通す覚悟のないものはこの先の戦いでは使えない。イバラシティの人間ならそれを促し待つこともできるが、己を見失ったアンジニティまで抱え込むつもりはさらさらなかった。
使えないようなら容赦なく焼き尽くし、幻影が解け露わになった黒焦げの蝙蝠を使って結城巳羽と都筑乙壱子を引き込む。「騙されるところだったな」と。初めから正体を明かして助けに入った化物と、嘘をついて何もできなかった化物。どちらの信用が得られるかなど明白なのだから。
「おれだって分かんないんだよ……どーして身体が動いちまったのかさ」
「無様で結構、おれだってダセーと思ってるよ。他にいくらでもやりようはあったってな。
こんな衝動、初めてだった。心臓が焼けるみたいに熱くなって、そいつに従って動いてみたらこのざまさ」
そしてイデオローグの返答に、ぴくりと眉を震わせる。
吸血鬼の知るイデオローグ。それは弱者から奪い強者に媚びへつらい、更にその裏では主の寝首を掻く算段まで立てるような賢しい盗賊。
卑怯千万と罵られて当然の行為。
しかしそこには常に"現実"があった。己の持つ能力を冷静に分析し、不毛の荒野が広がるだけの牢獄で少しでも生き残る可能性を上げるため――"生きたい"というもっとも根源的かつ強い欲望。イデオローグの言動に反してそこにはひとかけらの嘘も混じる余地はない。
それが。
今、なんといった?
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オニキス 「……は、てめえが陽炎に浮かされるとはな。すぐに消えるぞ、何もかも。手を伸ばしたところでせいぜいが冷たく固まった蝋の感触が残るだけだ」 |
あれほどまでに"現実"を生きてきたものが束の間の"夢"で支配される――それが吸血鬼には理解できない。
しかし、だからこそ、
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オニキス 「お前がいつまで寝言をほざき続けられるか――少しだけ興味が湧いた。暫くは茶番に付き合ってやるよ、 コウモリくん」 |
理由にはなる。
始末をつけるのはいつでもできる。それまでこの『コウモリ』がふらふらとあがいているのを眺めるのも悪くないだろう。
酷く脆くて歪なものとして男の目には映ったが、取り敢えず『少年』の意志を確認できた。残るはイバラシティ民の二人。
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オニキス 「おい。いつまで呆けてるんだ。生きてるならなんとかいえ」 |
明確な応答はない。しかし状況は確りと認識しているようだ。
現にか細い少女の声が耳に届いた、「ザクロ先生」と。
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オニキス 「ああ……『ザクロ先生』、ね」 |
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オニキス 「いいか、よく聞け。」 |
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オニキス 「――『天河ザクロ』なんて人間は本来イバラシティに存在しちゃいねえ。そいつの正体はアンジニティの罪人、この『吸血鬼オニキス』だ」 |
息を呑む気配。吸血鬼は続ける。
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オニキス 「ついてこれねえか?これねえだろうな。……仕方ねえ。その天河ザクロとやらの流儀に倣って、一度だけ授業をしてやる」 |
"時間がない"。
派手な騒ぎのせいであちこちから気配が集まってきていた。
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オニキス 「アンジニティの侵略は紛れもなく『現実』だ」 |
一つ、
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オニキス 「お前達を助けたと思われた『天河ザクロ』はそのアンジニティだった」 |
二つ、
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オニキス 「そして『敵』が迫ってきている」 |
三つ。
悠々とした所作で指を立てる。授業のポイントを『天河ザクロ』が説明するときのように。
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オニキス 「これらを踏まえた上で以下の問いに答えろ。解答時間は首が落ちる前までとする」 |
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オニキス 「てめえらが生き残るために選択すべきことはなんだ?」 |
――「私の力を、教えます。使えるのなら、いくらでも好きに使い捨ててくれて構いません。その代わりに、私にここでの、力の使い方を教えて下さい。……オニキスさん」
結城巳羽。
――「ごめんなさいねえ、老体には難しいことはわからないのよ。とりあえず若い子たちを生かすためにも、戦わなくちゃいけないわねえ。逆に、私の力で出来ることがあれば、教えてほしいわ。少なくとも先生は命の恩人だもの。できることは返さなくちゃ」
都筑乙壱子。
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オニキス 「アンジニティ"なのに"助けた。それは俺が別の思惑を持っている証拠に他ならない。てめえらひ弱な人間にも付け入る隙があるってこったな」 |
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オニキス 「だがそれはイバラシティに守ることとは決してイコールでは結ばれねえ。あくまでイバラシティの住人であるお前達が己の意志で立ち向かわなきゃいけない戦いだ」 |
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オニキス 「――正解、ということにしておいてやる」 |
論理を以て冷徹に言い放つ男はその実、内心では僅かに驚嘆していた。
あの安穏としたイバラシティで日常を過ごしてきた人間が覚悟を持つには相応の時間を要するだろうと。故にこの問いは確認作業、どの程度『使える』かを正確に見極めて急場を凌ぐためなのだが……それは実際はどうだ?
結城巳羽は親しい教師が偽りの存在であったという事実に打ちのめされながらも決して目を背けず、その小さな白い掌を握り込んで真っ直ぐな瞳を向け。
都筑乙壱子は流石に人間の中では年長者ということはある。直後は巳羽よりも混乱しているのではないかとさえ思われたが年若い者達の姿を見て立ち直り、少女を安心させようという気概すら戻っているではないか。
吸血鬼は、"人類の敵性種"は、だからこそこの光景を識っていた。
元の世界で数度遭遇し、その度に必ず手を焼かされた稀有な現象。
儚き命の者どもが魂を種火に熾す条理を覆さんとする力、鮮烈な『生』の眩い耀き――。
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オニキス 「……その『答え』が試されるのは、これからだがな」 |
呟き、近付いてくる気配の方向と数を確認して向き直る。
そして背後の三人へと声を掛けた。
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オニキス 「小娘。今吐いた言葉、決して忘れるな。なら『価値』を示せ。俺はお前みたいに石ころの中からひとつひとつ探しだしてやるほど気は長くねえ」 |
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オニキス 「婆さん。繰り返しになるがいっておく。俺はもう"先生"じゃねえ。若い奴等が無残に殺されるところや俺に使い潰されるのをみたくなきゃ、その霞んだ瞳を今この瞬間からはずっとかっ開いて光らせておけ」 |
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オニキス 「で、だ――頭は冷えたかいコウモリくん。いいか、てめえに二度目はない。燃えるのは勝手だが、それで守るだのなんだのぬかしたもんまで火だるまにしてちゃ世話ねえぞ」 |
にい。口許を歪め、牙を覗かせる。
それも全ては、ここを乗り切ってからだ。
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オニキス 「さて、そろそろ来そうだな、てめえらの『敵』が。さっきまでの有象無象とはわけが違う。目を閉じるな。耳を済ませろ。俺の声を、身振りを、指示を。決して漏らすな」 |
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オニキス 「――いくぜ」 |