「先生…！」

伸ばした手は虚空を掴み、視界は酷く歪み始めた。
景色は崩れ、波の様に揺らいで、やがて何色とも形容できない不可思議な色彩が私の眼前で、何かの器官の様に蠢く。

前後も天地も無い、浮遊感。水の中を漂うような感覚。
空気も風も音も光も感じない。
この色の無い場所は、この旅の間に何度か訪れてきた。
ここは空間跳躍の魔法によって移動する途中の空間…名も無き空間とでも呼ぶべき場所だ。

…察するに、先生は私を逃がしてくれたらしい。
ディラックがいなくなって、私が指名手配されて。今も混乱しているし気を抜くと泣きそうだし、心細かったけど、先生の不器用な優しさを感じられた気がして、何とか冷静さを保つ。

そうだ。今は、状況を考えないと。
まず、先生は私をどこに送るつもりだろう？
一つの大陸程度の距離なら、ほんの数分あれば移動するはずだが、既に十分近くは経過している。
余程遠い場所か、あるいは空間跳躍を妨害する何かしらの要素がある地域に移動しているか……恐らくは後者なのだろうが、心当たりはなかった。

それに、ディラック達の事も心配だ。
ヴィルムはグリフに送られて行ったはずだから、グリフが何とかしてくれてると信じたいが。最悪、拘束されているかもしれない。
ディラックは、多分、既に拘束されているのだろう。

拘束で済めばまだ幸運なのだが、それ以上、悪い方向に考えるのはマイナスにしかならないので止める事にした。

「……しかし遅いわね。どこまで送ったのかしら」

不安を掻き消すように呟くが、返ってくる答えは当然、無い。
ただ、呟きを待っていたかのように、揺らぎが徐々に収まって行くのを感じる。

視界に灰色と黒が混じり、広がり、形を作っていく。
肌を撫ぜる風を、空気の冷たさを感じる。
ぜえはあ、と私は喘ぐように息を吸い込んだ。あの空間は、どうしても慣れない。
今までは数分で済んでいたが、今回はかなりの時間、あの不愉快な場所にいたせいか身体がこわばっていた。
足下に感じる大地の感触と、空気の冷たさが今は嬉しい。

数度深呼吸をして気持ちを落ち着けると、すっかり落ち着いた周囲の景色を見遣る。


そこにあったのは、視界いっぱいに広がる廃墟だった。
所々がひどく崩壊した、石造りの巨大な建造物が、そこにある。
空は薄暗い。
夕刻だろうか、と考え。すぐに否定する。
いや、この場所は、この明るさで昼間なのだと私は知っている。
私は経験している。

「……ここって…」

残骸に触れる。纏う冷気が、私の指先を冷やした。
その指先をずずず、と動かして埃を取る。
浮かんできたのはとあるレリーフ。この建造物にいくつも飾られていたシンボルだった。

「…………」

ざり、と音が背後で聞こえる。
とっさに振り返った私は、己の予感に確信を得た。

そこにいたのは、数百はあろうかという、あらゆる種類の魔物の群れ。
私達が探した時には確かにいなかったのに。彼等はそこにいた。
その絶望的な光景に、一瞬、思考も言葉も失いかけた私に、この場に不釣り合いなのんびりとした老人の声がかけられる。

「ようこそ。お待ちしておりました。魔王様」

それも実際は、殆ど変わりはしないのだけれど。移動の回数が多ければ、失敗する回数もあがるわけで。
あとの3割は先程の制御しきれなかった部分や、足を踏み外して階段から転げた程度の事故によって作られる。

ほぅ、と息をついてから

曰く、云われなきゃやらない。やるつもりもない。挙句何かを望む、という。
こちらもバツが悪そうに苦笑した。

おずおずと、視線を逸らして安否を気遣うあなた様に答えた。
考え込む様子に、くたりと首を傾げた。ネコミミ帽子が同様にピコっとへたれた。

ぽつ、と呟いた言葉は、情緒を揺らがせ、大気を震わせた。

　信頼できるかと言われ、少し怒ったように返す。

　そう言うクーリアの目に、涙が滲む。
　一緒に攻城戦をしてきた仲間達、はじめてできた友達、皆の傍を離れたくない。
　でも、一緒に居られないなら……

また彼の常識に照らしてはとんでもないことを言い出す彼女を半目で眺めながら、

気が向いたら来てみれば、と話を振る。
半目を向けられたパロロコンはこちらもいささか目を細めて、

名前を問われれば、さらりと、およそ人の名前ではなさそうなそれを言い放つ。

しかし、しばし中空を見つめて考える。集中して、何かを思い出そうとしているように見える。

脇で聞きながら、突然に口を挟む。

ころころと変わるフィーグルの表情を、相変わらずの鉄面皮で見ている。
それから、そうか、と、相槌のような静かな声を返した。

美徳があろうがなかろうが。
望むものなど何一つ手に入りやしないとでも言うかのように。

だからこそ、惜しむだけ。

なるほどとどこかおかしげに、他人ごとじみて呟きを漏らす。

そうか、光より速いのはすごいのか。
最後までやはり面白がるように。

短い言葉を一言返し、首を傾ぐ。

おもわず二度聞きしてしまうほど、驚いているようです

複雑そうな表情に首をかしげる。

頭のほうに伸ばされた手をわくわくしながら見つめている。