「……よっ…と」


　影に描いた術式から体を引っ張り上げ、カサネはやれやれと溜息を吐いた。
　自分が踏んだことのある影ならば“渡る”ことのできるこの術式は、クレノがカサネに教えた魔法の一つである。
　魔力の行使には不慣れなカサネではかなりの集中力と時間を要してしまうため、未だ気軽に実用できるものではなかったが、
利便性の高さには無視できないものがある。
　特に現在砂漠の探索を行っている身としては、食料や飲み水の確保にはことのほか重宝することになった。
　多少魔力の行使による疲労感はあるものの、我慢できないほどのものではなく、砂漠で飲み水や食料を探すことや冷え込む
夜を過ごすことを思えば、惜しくはない労力である。

　そうしてカサネがやって来たこの水辺に沿うように広がる森は食料豊かで、その水辺出身のエンブリオの案内によって比較的
容易に様々な食材が手に入る。
　山菜や木の実は言うに及ばず、魚や小動物もアウインの力を借りれば容易に狩ることができたが、ニグレドはそれを良しとは
しなかった。


「主殿も立派な雄なんだから、食い扶持は自分で稼がないとネ！」

「狩りは様々な知識と技能を必要とし、それらは他の役にも立つからな」


　ルベドがニグレドの元へ戻る以前より行われているカサネ単独での食料確保は既に日常で、ルベドはそれを半身から聞いた
際にはなるほどと同意を示していた。
　クレノもアウインもその意見に否やはないようで、当のカサネ自身も異を唱えることはなかった。
　この世界に召喚されて半月以上が経ち、サバイバル生活も随分堂に入ったものになってきたなと、適当な木の枝を削りながら
しみじみ思う。

　基本的にエンブリオ達は手を出さないが、助言はしてくれる。
　それらは森の歩き方から始まり、風の読み方、足跡の探し方、追跡の仕方など、それぞれが持ち得る知識を惜しみなく教えて
くれた。
　お陰で、今のカサネは食料確保が苦にならない程度には森で行動することができる。

　削った木の枝を手に、カサネは日が落ちてしまう前にと川辺の岩場へ急いだ。
　日が落ちると、大抵の魚は眠るために流れの穏やかな場所へ移動する。カサネがやって来た岩場もそういった場所の一つで、
入り組んだ岩の隙間に流れが緩やかな場所がいくつも存在していた。
　魔力の活性化に伴い、身に宿る闇属性も強くなった影響で徐々に夜目も利くようになっている。狩りも当初に比べると随分と
楽になったものだ。

　じっと息を殺し、気配を消す。
　周囲の空気の流れに呼吸を合わせるような感覚。
　やがて夕日は沈み切って、どんどん周囲が暗くなってくる。
　いよいよ、狩の時間だった。

　岩の隙間からするりと流れの緩やかな場所へと魚が入ってくると、すかさずカサネは手の中の枝を放つ。
　手ごたえがあり、カサネの放った枝は見事魚の胴を貫いていた。
　鮎ほどの大きさの魚を熊笹に似た植物に結わえて、再び不動の姿勢をとる。
　そうやって立て続けに四尾を仕留めると、カサネは深く息を吐き出した。
　これだけあれば、今夜と明日の朝は十分だ。

　「あとは…」

　水辺を探索してセリなどの野草をいくつか採取する。
　臭み消しに使う程度の量を摘み取ると、満足して野営地へと戻ることにした。
　新鮮な魚や野草は塩だけでも十分旨い。
　だが、しかし…


「あー…米食いたい…」


　主食を米とする文化で生まれ育った身には、現在の生活はなかなかにつらい。
　それでも市場のある街や、農業を営んでいる村に寄れば手に入れられない物でもないのだが…見知らぬ人間と交渉するくらい
なら、主食を抜くのがカサネである。
　先日、忍者にもらった手料理で久々に米にありついたが、既に食べ切ってしまった。
　お返しにと渡したむかごで炊き込みご飯を作ってくれるとのことなので、数少ない楽しみの一つとして待ち遠しい限りである。




　魅惑の米へと思いを馳せて、カサネは野営地への岐路を急ぐのだった。

竹の皮に包んだものを手渡そうとした。

使い捨て弁当箱を手渡そうとした。

（同じ術が、の問いに頷き）

（『蛇の愛情表現』についての言及は何かこう、どことなく、何となく、
自分がいたたまれなくなりそうなので、思わず口を噤む忍者）

＊

（エンブリオとの在り様について思う所があるも、言い澱んだ己に気付いたのであろう。
何か問いたげなカサネの視線を感じ――るのと同時、姦しい襲撃を受けた！）

（主からお叱りを受けて鼻鳴きする羽目になった犬達に近付き、
おもむろに懐から櫛を取り出す）

（断りを入れてから、胸元の毛束に触れる。
痛くない様、指で押さえた毛先から少しづつ、ほぐす様に櫛を入れた）

（そうして黙々と、大体十分程の間犬の毛を梳いた後。
毛玉も取れて更につやつやモフモフになったのを確認した忍は、
満足気に頷いた）

＊

（忍の口元から、ふと笑みが零れる）