「ねえ、ミハウ。トーコに貰った……ええと、ぷろふぃーるしーと？　って、もう書いた？」

　休憩中の彼に話しかける。件の、プロフィールシートを片手に。
　このカラフルな紙――プロフィールシートは、別れる前にトーコから貰ったものだ。
　『おなまえ』、『おすまい』、『とくぎ』、『しょうらいのゆめ』。他にも、自己紹介のために様々な欄がある。
　これを書いてほしい、とトーコに言われて、私もミハウも受け取った。
　どうして書いてほしいのかはよく分からなかったけれど、それでもトーコに頼まれたことだ。断る理由も、無いし。
　それで、書き込んでいたのだけれど。
　ぼんやりしていた様子の彼は、私の言葉に気付いて、こちらに向き直る。

「え？　あ、はい、一応、一通り書いてはみました。……どうかなさったんですか？」
「……『めーる』と『でんわ』って、ミハウは知ってるのかしら」

　自分のシートの該当箇所を指しながら、そう尋ねた。
　書かれた『めーる』も『でんわ』も、私は聞いたことがない。
　ミハウも、その二つの言葉を不思議そうに繰り返した。知らなさそうだ。
　彼は近くに置いた荷物から、本（たぶん、手帳だ）を引き出して開き、挟んでいたシートを取り出して、確認した。
　あ、と声を漏らすのが聴こえた。

「これは……その、私も知らないんです。……何なんでしょうね」
「あ、やっぱり知らないのね」

　良かった、知らないのは私だけじゃなかった。
　少しほっとしつつ、もう一度、手元のそれに目を落とす。

「何なのかしらね……トーコ、別の世界から来たって言ってたから。また今度、訊いてみましょ」
「トーコさんの世界では一般的なものなのかもしれないですけど……そうですね、それが良いと思います。きっと、ちゃんと教えてくださるでしょうし」

　それもそうだ。うっかり訊きそびれてしまったが、トーコはきっと教えてくれると思う。
　頷きを返して、ふと、ミハウの持つシートを見る。覗き込むようなことは、しないけれど。

「他はもう、全部書いたの？」
「はい、あとは特に迷うところもなかったですから、ほら」

　言いながら、彼らしい几帳面な字の並ぶシートを軽く持ち上げて見せた。
　結構、項目はあったはずだけれど、もう全て埋めているようだ。

「コトカさ……、コトカは、どうですか？」
「私も大体は」

　まだ、最大の敵は残っているのだけれど、とりあえずそれは置いておく。大体は埋めた、大体は。
　どうやらそのまま見せてもらえるみたいなので、彼のシートに軽く目を通す。
　『しょうらいのゆめ』。『一人前の自警団員になって街を守ること』。

「……ミハウ、自警団員だったのよね」
「ええ、一応は。……何か、ありましたか？」
「どんなことしてたの？」

　うちの村や森には、『自警団』なんて言うものは、少なくともその名を冠せられるように組織立った形では、無かったと思う。
　似たようなものはあったとしても、きっと彼のやっていたことは、また違うのだろうし、少し気になった。

「そうですね……街に怪しい人物がいないか、なにか異変はないかを確かめる為に巡回したり、街で起きた揉め事を仲裁したり、街に来られた旅の方の道案内、とかですね。あ……あと、花畑の監視も自警団の役目でした」
「花畑の、監視？　ちょっと物々しい気がするけど、そういうものだったのかしら」
「ええ、私の故郷では、花は育てて、見て楽しむものであり、大切な交易品でもあったので」

　ミハウは、少し懐かしそうに目を細めた。
　故郷。
　やっぱり、彼も早く帰りたいんだろうか。
　……森は今、どうなっているだろう。
　彼は、話を続ける。

「生花はもちろん、香りの良い花は香水やお香に加工して出していました。……そういった事から、花畑は重要な場所だったんですよ」
「……成る程、素敵なところね」

　それなら、花畑を監視する必要性も分かる。
　きっと彼らは、花と共に在ったのだろう。生活の友で、生きる糧でもあって。
　それは単純に、素敵だなと思って。
　ぽつりと、

「落ち着いたら行ってみたいわ」
「！　……ありがとうございます。ええ、是非。良いところですから……贔屓目が入っているかもしれませんが」

　そう呟いた、ら、嬉しそうに、笑うのだ。彼にしては、珍しく。すごく、珍しい気がした。初めて見たかもしれない。
　……何となく、話題を変えたくなった。
　プロフィールシートに目を移す。
　さっきから、気になっていることはあったのは確かで。今、言うべきかは分からなかったけれど、このまま黙っているのも、何だか変な気がして。

「……あと、もう一つ良い？」
「え、はい、なんでしょう？」
「これ」

　『たんじょうび』の欄には、『10月7日』としっかり書かれている。
　その日付の時点で、私たちは一揆に参加していた。
　つまり、一緒に居たのだ。

「とっくに過ぎてるわ」
「え？　……あ、そういえば、そうですね」

　彼は目を瞬かせた。心なしか。気まずそうな感じがする。
　多分、何で言わなかったの、って顔に出てるんだと思う。……私の良くない癖だ。
　口籠り、少し躊躇ってから、ぼそぼそと決まり悪そうにミハウは言う。

「……わ、忘れて、たんです。その、色々、ありましたし……」
「そ。……否定はしないけど」

　つい、短く返してしまった。
　……一揆もごたごたしてたけど、自分と彼との仲も、まあ微妙なものであったのは間違いない。教えてもらえるような感じでも、無かった。
　ミハウに向き直る。「すみません」と聴こえた謝辞は、この際、気にしない。
　それより、言わないといけない気がしたから。

「誕生日、おめでとう」
「……あ、え、えと……ありがとう、ございます」

　唐突にも程がある。それに、随分前の話だ。
　彼はいつもの困ったような笑みを浮かべた。事実、あんまり嬉しくもないのだと、思う。
　勢いに任せて言ってしまったけれど、言わない方が良かった気もしてきた。
　そう思っていたら、ミハウは私に声をかけ、

「……あの、コトカさん……じゃなく、コトカ」
「何？」
「その、……君の誕生日は、いつなんですか？」

　手に持ったままの、私のプロフィールシートを一瞥した。
　私の、……誕生日。
　視線を逸らして、シートも後ろ手に隠す。

「……、……教えてくれなかったから教えないわ」
「え、……え、そ、それは、いや……私が、悪かったですけど、」

　ミハウは私の返事に、きょとんとした表情を浮かべている。
　まあ、今の流れなら、教えるのは自然な気はする。それは私も思う、けれど。
　彼は少しだけ、間を置いて、

「こ、コトカ、だって、さっき見て分かったじゃないですか、それなのに、それは……」

　ずるい。不公平。
　続けかけた言葉は、この辺りだろうか。
　……ミハウにしては、言い返してきているな、と思った。
　今までならもうちょっと語気も弱かっただろうし、言葉も少なかっただろうし、そもそも一度断ったら、引いてたと思う。
　しょうがない。
　溜息が零れたけど、それは大目に見てほしい。

「12月1日よ」

　12月1日。それが私の誕生日。
　その日付までは、もうそんなに日が無い。
　ミハウは目を瞬かせて、口を閉じた。

「……12月1日、って、……もうすぐじゃないですか」
「そうね」

　だからこそ、言いたくなかった。だって、彼、絶対祝ってくれそうだし。そのくらい律儀なのは、流石にもう分かる。
　けれど、それは何だか悪い。
　私は、言葉しか渡せていない。多分、そんなに嬉しくもなかったと、思うし。
　何も言えずに、沈黙が流れる。
　それを破ったのは、ミハウの方だった。

「……誕生日、何か食べたいもの、あります？」
「……食べたいもの？」
「ええ、食べたいもの、です」

　彼は私の目を見て、頷いて繰り返した。
　至って真剣な顔で、彼は言う。

「故郷で、誕生日に食べてたものでもいいですし、君が食べたいと思うものでもいいです。こんな時ですけど、誕生日くらい、好きなもの食べてもいいと思うんです。……それに、私にはお祝いといっても、それくらいしか出来ません、し」

　最後に、続けられた言葉。
　彼、料理に関しては少しくらい自信があるはずだ。多分。実際、彼の料理はおいしいし、作ってる時の彼は楽しそうだ。
　胸を張れば良いのに、って思う。
　――ふと脳裏に浮かんだ、『褒め殺し作戦』という単語。
　今、何か上手いことを言ったら、もしかして自信を付けてくれたり、するだろうか。

「……自分で『それくらいしか』、なんて言っちゃうもので、お祝いしようと思ってる？」

　あ、違う。何か違う。っていうか絶対違う。
　普通に、ミハウの料理は謙遜しなくて良いくらいおいしいとか、誕生日に料理を作ってくれるなら嬉しいとか、そんな感じで良いはずだ。
　言い方が悪い。悪すぎる。
　何で私はこうなんだろう。
　そもそも今まで気まずかったのも、私の言い方の悪さに起因しているところは、あると、思う。
　……何で私はこうなんだろう。
　それでも、じいと彼を見返す視線は、今、逸らすことはできない。
　う、とミハウは小さく呻いた。ほんの少し、間を空けて。

「……訂正します。私からのお祝いとして、腕によりをかけてご馳走つくるつもりなので、好きなもの言ってください」

　すごく、すごく真面目な顔で、一気に言い切られた。
　正直、びっくりした。
　ここまで言ってくれるとは思わなかった。
　何て返そう。食べたいもの、って、言ってたから。

「えっと、……誕生日は、よく母様がパイを作ってくれたわ。コケモモとか、ブルーベリーの入ったやつ」

　それから、何となく視線を逸らしてしまう。
　横目に見えたミハウは、目を瞬かせていた。……多分、私がびっくりした顔をしたからだろう。

「……作れるのかしら」
「え、ええと、コケモモとか、ブルーベリーの入ったパイ、ですか……ええ、大丈夫だと思います。ただ、そのものの味を知っているわけではないので、同じ材料を使った、似たようなもの、となってしまいますけど」
「別に、ミハウが作ってくれるもので良いわ。……腕によりをかけてくれるんでしょ？」
「ええ、分かりました。美味しく作れるように、頑張りますね」

　ミハウがそう意気込んで、笑う。
　視線は、どうにも合わせられないまま。

「それじゃ、楽しみにしてる」

　そう返して、とりあえず、プロフィールシートから始まって一連の話を、終えて。
　言い方とか言うことは、改めて、気を付けようと思った。
　それと、……誕生日が、少し、楽しみになった。

努めて、普段通りだ。
ミハウに、コトカに笑って声を掛け、山道を登る、一番前を軽い足取りで進む。
一方、山を進むと分かっていて、それでも共に行動することを選んだシズも、普段通りだ。

時折、一番後ろを進むアリシアを振り返りながら。
彼女が此方を見ないように努めていることに気付けば、前を向き直る。
ポケットから出し掛けた手を、何でも無いように押し込んで、進む。

いつものように、挨拶をして。
以前とは違う三人の雰囲気に、ミハウは一度、戸惑うように表情を曇らせ。

その様に、イェジも肩の上で不思議そうに首を捻って。

いつものように、注意の言葉をかけることくらいしか、出来なかった。

　ちらりと、アリシアたちを見る。
　どこか感じる、違和感。

憎憎しげにそういってから

人が好いという言葉には、表情を暗くし、首を横に降りました

このことに関しては人が好いとか言われちゃいけない、とかみ殺すようにつぶやきました

一瞬の暗さはなかったかのようにそう返し

様々な意味を含めても、大した存在ではないのだ。
ただそうしたいとのたまっているだけの愚かな花は、ごく当たり前の様に返す。
ふふりと厚かましい微笑を浮かべ、

物騒だからあなたも用心するように、と指を立てて注意を促し、

立てた人差し指と親指を重ねる様に、ちょこんと数を示す。
他人の事を云えた義理も無いけれど、とも。

一応はフォロー。真意のみいか語らぬけれど、語るタイミングはあまり良くない所だった。

嘘偽りを言っているようには見えなかった。
感情任せではなく、あくまで冷静に考えた上で、彼女は人類にとっての敵であると、本気で言っている。

だが。「ただ」と付け加えて。

　
　

もしそんな奴がいれば、大変可哀想な人でしかなかった。
そして彼等と張り合おうとしている彼女も、見ようによっては可哀想な人だった。
頭が。
頭が。

コトカの魔法についての反応を見れば、くすっと笑って

形無きものに形を与えるのは魔道士の本分――という事なのだろう。
あくまで可能性の一つとして挙げているに過ぎないが、フィーグルの言葉には確かな実感が込められていた。

偵察とか、監視とか、もふもふしたりとか。

エンブリオがブレスレットに姿を変える、という発想が、外の世界の人間には無いものだった。
ので、

頭の中で会話している感じだ、という本人は、気難しい顔をしている。
未だその感覚に慣れていないのもあるだろうが、小さく息を吐いた後、

そう返し、思案顔でゆっくりと腕を組んだ。

俺の素晴らしい一言は一蹴されてしまった。

コトカの言うとおり、何でもない屋にくるのはだいたいお使いレベルの依頼ばかりだ。なので報酬もあまりもらうことはない。

コトカの問いに、頷くかと思いきや。
恥ずかしそうに頬を染め、声を潜めてくすくす笑う。

身を折って、少し覗き込むように。
とはいえ、流石に女の子のおみ足をまじまじ見るほど無作法ではないから、すぐに身を起こすのだけど。
そんなおどけた仕草は、伏せた碧眼の下、そっと呟かれた彼女の声の重みにかき消されてしまう。

驚いたように見開かれる碧眼には、小さく笑って。

恥ずかしそうに首をすくめる。
おどけるように、少しばかり大げさに。
そうして翳らせてしまった空気を払おうとしていたのだが。

イヌワシに顔を近づけると、じっと見つめられ、少年は見つめ返した。
鋭い眼差しはやはり猛禽であると実感させられる。
もしや取って食われはしないだろうか、と少年は一人、大変失礼なことを考えていた。

あなたとあなたのエンブリオの名前を、とても馴れ馴れしく呼んでいる。

　どことなく違和感を覚えつつも、山を登る。
　普段よりも多くない、会話。

　誰に向けてか、そう呼びかけた時。
　目の前に立ちはだかるは、巨大な体躯を持つモンスター。
　今は、お喋りをしている場合では無いようだ。

　ウルヘアは敵を威嚇するように、大きく羽ばたいた。

　　　　　　　　　きみ達は下がって。 最初だけ、僕がきみ達を守るよ。 ）

──何処からか 声が聞こえる。
くすんだ青と白が溶けるように入り混じり、やがてそれは、ウサギの形を成すだろう。

影のような幻は、今にも消えそうに風に揺らいだ。