――攻城戦の合間、休憩中。


背負っていた荷物を下ろして、一息つき。ぼんやりと景色を眺めていた時のことだった。

「ねえ、ミハウ。トーコに貰った……ええと、ぷろふぃーるしーと？　って、もう書いた？」

声を掛けられて向き直った先、真面目な顔をしたコトカさんの片手には、以前貰ったプロフィールシート。
明るいピンクとオレンジが基調の、女性が好みそうなそれは、トーコさんが別れ際にくれたものだった。
問いかけに、手帳に挟んである自分の分を思い出して、頷く。

「え？　あ、はい、一応、一通り書いてはみました。……どうかなさったんですか？」
「……『めーる』と『でんわ』って、ミハウは知ってるのかしら」
「めーると、でんわ？、……少しお待ちを」

首を傾げれば、早いのね、と呟いたコトカさんが、シートの項目を指しながら、そう尋ねてきて。
書いた、だろうか。
思い出すよりも、出して見た方が早いなと、傍らの荷物から手帳を取り出す。
挟んであったシートを抜き取り、問題の欄を見れば、空白になっていた。
まあ、そうだろう。言われても対象の物が思い浮かばないのだから、書いているわけがない。

「あ、これは…その、私も知らないんです。…何なんでしょうね」
「あ、やっぱり知らないのね。何なのかしらね……トーコ、別の世界から来たって言ってたから。また今度、訊いてみましょ」
「ええ、さっぱり。トーコさんの世界では、一般的なものなのかもしれないですけど…そうですね、それが良いと思います。きっと、ちゃんと教えてくださるでしょうし」

持ち主のトーコさんなら、快く応じてくださるだろう。かの人を思い浮かべて賛同すれば、コトカさんも頷いた。

「他はもう、全部書いたの？」
「はい、あとは特に迷うところもなかったですから、ほら」

彼女の視線が、私が持っているシートへ向いたのに気付いて、見えるように軽く持ち上げる。

「コトカさ……、コトカは、どうですか？」
「私も大体は……ミハウ、自警団員だったのよね」

そうですか、と相槌を打って、コトカさんの言葉にも頷く。
青灰色の瞳は、しょうらいのゆめ、と書かれた部分を眺めているように見えた。

「ええ、一応は。…何か、ありましたか？」
「どんなことしてたの？」

うちにはそういうの無かったから、と言われて、思い出すように空に目をやる。

「そうですね…街に怪しい人物がいないか、なにか異変はないかを確かめる為に巡回したり、街で起きた揉め事を仲裁したり、街に来られた旅の方の道案内、とかですね」

基本的には、そんなところだろう。ほんの数ヶ月前までは、毎日、行っていたことなのに、なんだか遠い昔の出来事のように感じる。
それだけ、今が忙しない、ということでもあるのだろうけど。
他には、何かなかっただろうか、と記憶を探って――あ、と小さく声を上げて、コトカさんへ視線を戻す。

「…あと、花畑の監視も自警団の役目でした」
「花畑の、監視？　ちょっと物々しい気がするけど、そういうものだったのかしら」
「ええ、私の故郷では、花は育てて、見て楽しむものであり、大切な交易品でもあったので。生花はもちろん、香りの良い花は香水やお香に加工して出していました。…そういった事から、花畑は重要な場所だったんですよ」

言いながら、記憶の中の風景が懐かしくなって、目を細める。
街を出てすぐに、目の前に広がる美しい花畑は、人々の手で大切に維持されていた。様々な人が訪れる街を、いつ来ても何度見ても、良いと、綺麗だと、思ってもらえるように、皆、手入れには余念がなかった。
あの、咲き誇る花々の姿は、私を含めた街に住む人々の誇りでもあって。

「……成る程。素敵なところね」

落ち着いたら行ってみたいわ、と。なんてことのないように、コトカさんは言った。
その言葉が、――素直に、嬉しくて。大切な故郷を褒めてもらえるのは、自分の事のように嬉しいものだから。

「ありがとうございます。ええ、是非。良いところですから」

贔屓目が入っているかもしれませんが、と続けたところで、自分の顔が綻んでいるのに気付いた。
表情に出るなんて、余程、嬉しかったのだろうか、と、今更、我ながら、ちょっと気恥ずかしい。
少し、きょとんとした顔をしていた彼女は、もう一度、私のシートに目を向けて、

「……あと、もう一つ良い？」
「え、はい、なんでしょう？」
「これ」

つられるように視線を向けた先、細い指が指し示したのは、たんじょうび、と書かれた箇所。
そこには、10月7日、と書き込んであった。

「とっくに過ぎてるわ」
「え？……あ、そういえば、そうですね」

さらりと、そう言われて、肯定して、気付く。
進攻の為に旅暮らしを続けているせいで、日付の感覚が狂っている。よく考えなくとも、とうの昔に過ぎた日付だった。
だからといって、特に、思うことはなくて。ましてや、当日は気付きもしなかったのだし。
どうしたんだろう、と、彼女を見れば、どこか不満そうな顔を、していて。
その表情が意味するところは、正直わからなかったけれど、……何となく、責められている気は、した。
――何で言わなかったの、と。

「……え、あ、そ、その……、……わ、忘れて、たんです。その、色々、ありましたし……」

しどろもどろに返す言葉の終わり、彼女が眉を顰めたのに、しまった、と思った。

「そ。……否定はしないけど」

言いながら、コトカさんはこちらに向き直って。

「誕生日、おめでとう」
「……すみません、……あ、え、えと……ありがとう、ございます」

祝いの言葉をもらって、嬉しくないわけは、ない。でも、どう表していいのか分からなくて。
結局、ぎこちなく、いつものように笑って、礼を言うに留まった。

「…あの、コトカさん……じゃなく、コトカ」
「何？」

謝罪の言葉には何の反応も見せずに（多分、内心はそうではないだろうけれど）、礼にはどういたしまして、と返して。淡々とした態度には、先ほどの不満そうな色はない。

じゃあ、――何故、さっきは、あんな顔をしたんだろうか。
彼女にとって、誕生日、とは何なのだろうと、思って。

「その、……君の誕生日は、いつなんですか？」

書いてあるのだろうか。
彼女が手にしたままのシートを一瞥して言えば、ふい、と視線が逸れた。

「……、……教えてくれなかったから教えないわ」

持っていたシートも後ろ手に遣ってしまって。
その行動に、思わず、きょとんとして、小さく、え、と声が漏れる。

「……え、そ、それは、いや…私が、悪かったですけど、」

確かに、コトカさんには教えていなかった。
というか、一揆に参じてからは、誰にも教えていない。そこまで踏み込むような付き合いも、特にしていなかったし。
それに。教えなかったのではなく、少し前までは、そう、気軽に教えられるような、そんな雰囲気ではなくて。
だから、仕方ないとも思うけれど。
流石に、それは彼女には言えない。やっと、少しは話せるようになったのだから、いつまでも、前のことで嫌な思いはさせたくない。
でも。

「こ、コトカ、だって、さっき見て分かったじゃないですか、それなのに、それは……」

ずるいんじゃないだろうか。そう非難するのも、何か間違っている気がして、口からは出なかった。
言葉を継げずにどうしたらいいかと思い始めた頃、ため息がひとつ、聞こえた。

「12月1日よ」

さらり、と言われた日付。頭の中で数えて、さほど時間も掛からずに結果は出た。

「……12月1日、って、……もうすぐじゃないですか」

零れた言葉に、そうね、と肯定が返る。
本当に、もうすぐだった。両手の指で数えられてしまうほどには。隠そうとしたのは、このこともあったのだろうか、なんて考えて。
けれど、逆に言えば、まだ数えられるだけ、時間の余裕があることにも気付いた。

さっき。もう、だいぶ日が過ぎてしまったにも関わらず、彼女は、誕生日を祝う言葉をくれた。
なら、そのお返しにお祝い、くらいはしたい、と思う。
お返し。私にできることは。考えを巡らせて、ふと、思いついて。

「……、誕生日、何か食べたいもの、あります？」
「……食べたいもの？」
「ええ、食べたいもの、です」

聞き返されて、頷いた。コトカさんの目をまっすぐに見て、言葉を紡ぐ。

「故郷で、誕生日に食べてたものでもいいですし、君が食べたいと思うものでもいいです。こんな時ですけど、誕生日くらい、好きなもの食べてもいいと思うんです。……それに、私にはお祝いといっても、それくらいしか出来ません、し」

付け足すように口にした言葉に、コトカさんの目が、こっちを見る。
……毎度のことではあるけれど、じっと見られるのは、苦手だ。何か、見透かされるような気がして。

「……自分で『それくらいしか』、なんて言っちゃうもので、お祝いしようと思ってる？」

淡々と、感情を荒立てることもなく問われて、う、と小さく呻いた。
確かに、祝うにしても「それくらいしか」なんて、聞いていてあまり気分は良くないだろう。
つい、謙遜、というか、自分の能力を卑下してしまうのは、癖になってしまっているけれど……行き過ぎは良く、ない。
料理は、好きだ。趣味だと言えるくらいには作ってきたし、何かしらで人に振る舞ったこともある。作った料理を食べてもらって、美味しいと言わせる自信は……ないとは、言わない。
ほんの少し、間を空けて。

「……訂正します。私からのお祝いとして、腕によりをかけてご馳走つくるつもりなので、好きなもの言ってください」

真面目に言い直して、どうだろう、とコトカさんを窺えば。
――ひどく驚いた顔をしていた。そんなに驚くことだっただろうか、と数瞬、私も目を瞬かせて。

「えっと、……誕生日は、よく母様がパイを作ってくれたわ。コケモモとか、ブルーベリーの入ったやつ。……作れるのかしら」
「え、ええと、コケモモとか、ブルーベリーの入ったパイ、ですか…」

視線を些か逸らしつつ告げられた希望を、気を取り直すように繰り返して、少し考えてみる。
フルーツを使ったパイ自体は、故郷でも祭りや祝い事の際に、母やその友人の方と一緒に何度か作った事はある。その時は、リンゴや桃を使っていたっけ。
コトカさんが言う、コケモモと、特にブルーベリーを使うなら、少し甘くした方がいいかもしれない。
材料については、改めて揃えなくてはならないだろう、けれど。
――多分、問題はない。
つらつらとそこまで考えて、頷いた。

「…ええ、大丈夫だと思います。ただ、そのものの味を知っているわけではないので、同じ材料を使った、似たようなもの、となってしまいますけど」
「別に、ミハウが作ってくれるもので良いわ。……腕によりをかけてくれるんでしょ？」

完全な再現は無理だというのは、流石に分かってくれていたんだろう。
返った言葉に、笑む。

「ええ、分かりました。美味しく作れるように、頑張りますね」
「それじゃ、楽しみにしてる」

意気込みを口にしても、コトカさんは、視線を逸らしたままだったけれど。
それでも、そう言ってくれたから。


――できる限り、頑張ろう、と。そう思った。


　→次回に続く？

努めて、普段通りだ。
ミハウに、コトカに笑って声を掛け、山道を登る、一番前を軽い足取りで進む。
一方、山を進むと分かっていて、それでも共に行動することを選んだシズも、普段通りだ。

時折、一番後ろを進むアリシアを振り返りながら。
彼女が此方を見ないように努めていることに気付けば、前を向き直る。
ポケットから出し掛けた手を、何でも無いように押し込んで、進む。

いつものように、挨拶をして。
以前とは違う三人の雰囲気に、ミハウは一度、戸惑うように表情を曇らせ。

その様に、イェジも肩の上で不思議そうに首を捻って。

いつものように、注意の言葉をかけることくらいしか、出来なかった。

　ちらりと、アリシアたちを見る。
　どこか感じる、違和感。

左拳を唇に当てて考えるような表情をする、少し経ってから

そう提案しました

皮肉げにそういって、剣の鞘をかちり。と触りました。
無表情ではありましたが、瞳の奥で感情が揺れたのが見えたかもしれません

どこか悲しげに笑いながら言いました

何を根拠に、と言われると、ルカにそれを説明させるのは難しいかも知れない。
けれど、彼も、彼女も、森に近い色をしていて、だから、何となく。

彼の歳は知らないが、彼の落ち着いた、柔和な一面にこうして触れていると、そう思う。
もっとも、自分が子供っぽいのだろうということも、また。

手招くように小さく片手を動かして、イェジを誘う。
したがってくれたなら、その頭を撫でようとするだろう。
嫌がられれば手は引っ込むし、勿論、手招きに応えるかどうかも彼次第だが。

　そう鸚鵡返しをして彼の言うことを聞けば、ああ、と納得したように。

　食事に関して、そう言えば。直ぐに話題を変えるように。

ちらりと自分のエンブリオを見ると、トカゲは小さく首をかしげるようなしぐさをした後、一回転して姿を消す。

考えながら、口に運ぶ。

　どことなく違和感を覚えつつも、山を登る。
　普段よりも多くない、会話。

　誰に向けてか、そう呼びかけた時。
　目の前に立ちはだかるは、巨大な体躯を持つモンスター。
　今は、お喋りをしている場合では無いようだ。

　ウルヘアは敵を威嚇するように、大きく羽ばたいた。

　　　　　　　　　きみ達は下がって。 最初だけ、僕がきみ達を守るよ。 ）

──何処からか 声が聞こえる。
くすんだ青と白が溶けるように入り混じり、やがてそれは、ウサギの形を成すだろう。

影のような幻は、今にも消えそうに風に揺らいだ。

武器を下ろして、周りを見。脅威がないのを確認して、息をつき。

ちいさく、ちいさく、呟いた。

　仲間の無事を確認して、それから、

　何か言い出そうとして、結局は言えなかった。

いつも、お世話になっているから、と付け足して。

一つ頷き、彼から大棍を受け取った。
桜貝を手に取った瞬間、桜貝を包むように青白い炎が灯り、

──ちり、と音を立て、桜貝は消えてしまった。
と同時に、その炎はルカの指先に宿る。
その指先で大棍の柄をなぞったなら、そこに小さく小さく、文字が刻まれていく──

きょろきょろと、青年は周囲を見回すのであった。