利き腕を深く切り裂かれ再び鞭を手にとることも叶わないイリスは、ただただ焦燥に駆られ、それでも必死に右手に力を込めて鞭を取ろうと足掻いた。
最早仲間の声は無い。追い詰められたアエレアの射撃音が、それ以上の喧しさを伴った害悪相手に奮戦する様子ばかりが耳に飛び込む。

「ミス・ゼペット！」

戦いの喧騒の中、確かにイリスはアエレアの声を聞いた。

「皆様の退路は」

わずかに生まれる静寂の合間を縫って、アエレアのもともと良く響く声が森林に木霊する。

「私が作ります」

思うように動かない右腕を睨みつけていたイリスは、そこでようやくアエレアの声の側へと顔を上げることができた。
１対４。最早覆しようのない劣勢、敗北は明らかだ。だが、退路を作ると言われてもイリスはその手段が思い浮かばない。

「アエレア、何を……！」
「自律自爆を提唱」

自律自爆、その言葉の意味はイリスにはよくはわからなかった。
しかし意味がわからずとも、その言葉の意味するところが、とてつもなく恐ろしい物ではないかと、心の臓がひやりと震えた。
やらせてはいけない。

「だめアエレア！　やめなさい！　命令よ！」
「――今のうちに遁走を」

必死に声を荒らげ中止を命じるも、最早それは誰も止めようがなかった。

「何かする気だぞ！」

最も早く異変を察知した人狩り、案山子の少女はそう鋭く自身の仲間に伝えれば槍を突き出す。

「……！」

紙一重で避けた槍の切っ先をアエレアが掴み取り、まずは一人を封じる。
それを見た人狩りの残り三人が、一斉にアエレアに群がった。

「よろしい」

危険だと判断した残りが一斉に自身を排除するため接近する、そのタイミングをアエレアは自ら創りだしたのだ。

「コード認証」
「っ！？　待てっ、みんな離れ――！！！」

それが罠だったと気づいたのもやはり案山子の少女。
しかし最早、それは誰も止められなかった。

「アエレア――！！！」

閃光。
まばゆい光が辺りを包み、そして。


凄まじい音と光、そして火炎と煙による暴力が、アエレアを起点に人狩りもろとも覆い隠した。

「あ……あぁ……！」

イリスが顔を覆った腕を降ろせば、その様相は一変していた。
アエレアが立っていた地面は小さく抉れ、彼女の頭上を覆っていた木々は焼け飛んでいる。
その周囲には少なからずダメージを受けた人狩りの連中が膝をついており、特に最も近くに居た案山子の少女の介抱に意識を取られていたようだった。
アエレアの姿は、無い。いや、正確には。

「アエレアっ……アエレア！！！」

彼女の頭部だけ、無造作に焦げた地面に転がっていた。
人狩りもろとも道連れを狙った捨て身の戦法、タイミングも完璧だったそれは、一つアエレアの誤算があるとするなら、それをも連中が耐えてしまったことだろう。
“逃げろ”と指示されたものの、イリスはそこから一人逃げ出すなど到底できなかった。
アエレアの指示に反し、全くの無防備のまま転がった頭部に駆け寄り抱きしめ、座り込んでしまう。
ただただ仲間を失った事実に、残ったアエレアの名残を胸の内に抱きしめることしか、考えられなかったのだ。

「おい、平気かー？」
「いたた……びっくりしたぞ」

ブリキの人形の周りを飛び回るトンボがそう呼びかければ、むくり、と一本足で器用に地面に立ち上がる案山子の少女。
周りの様子を確かめれば、自身の勝利を確信したらしい。

「千巌の勝ちだな。それじゃ、色々もらっていくぞ」

彼女はそのまま、イリスのポシェットに手を伸ばして――。

「うわっ！？」

次の瞬間、放物線を描いて明後日の方向に飛んで行くそれを、見送った。
眉を潜め文句の一つでも投げかけようとするが、それは叶わない。

「……奪いたいなら勝手にあれから盗っていけばいい」

座り込み、仲間の頭部を抱きしめたまま人狩りを睨むイリスの視線は、文句の言葉をすべて喉奥に引っ込ませていた。

「お、おい！　“いのち”！　“いのち”わすれんな！」

ブリキの人形の修繕を見守っていたトンボがようやく声を上げると、見慣れない制服に身を包んだ、大鎌を持った少女が軽くうなずき、改めてイリスに近づいた。

「……何を」
「動くんじゃないわよ」

自分に用はないはずだと怪訝な顔を見せるイリスを少女はそう制して、白く繊細な手をその見事な金色の髪へと伸ばす。
獲物である大鎌が静かに動けば、一房の金色の束が少女の手に残った。

「……髪……！？」
「悪いけれどこれも頂くわ。髪は女の命、というのはわかっているけれど今の私たちにはこれが必要なの。……敗北の代償、ということでご納得頂戴ね」

“なるべく不自然にならないように頂いておいたわ”と後につければ、少女の意識はもう強奪へと向いたのだろう。
すたすたと未練も残さぬ足取りで、仲間たちの荷物を漁りに行くようだった。

「……誰か、来る」

既に荷物に手をかけていた獣人の少女が、ふと手を止めてぽつりと一言呟いた。

「さっきの爆発のせいかしらね」

最初はその獣人の少女しか耳にしていなかった、複数人の足音。
それが他の仲間達の耳にも入るのに、そう大した時間はかからない。
大鎌の少女が軽くため息を付き、イリスの胸の中に抱かれたアエレアの頭部へと視線を投げる。

「適当に奪って行きましょう。余計な人間が此処に来てもらっては困るわ」
「じゃあ急がないとな！」

じっくりと品定めしていた三人が、適当に荷物の中に手を突っ込んで手当たり次第に奪う姿を眺める気力も無くて、イリスは俯いたままアエレアの頭部を見る。
開いたままの瞳が痛々しくて見ていられなくて、自らの手で閉じてやった。

「たくあん多いな！」
「仕方ないでしょ、適当に掴んだのがこれだったんだから」
「“いのち”は貰ったから……早く行こう……」

遠ざかる人狩りの声。
ようやく、仮初の安穏が訪れた。そう思った瞬間、イリスの意識は沈んでいって――。



「あーっ！　目、覚ましたよ！　フィン！　フィンったら！　起きろーっ！」
「いったぁっ！？」

次にイリスが目を覚ました時、目の前に飛び込んできたのは、見知らぬ家屋の天井。
耳に飛び込んできたのは、かしましい聞いたことのない少女の声と、そしてもう一度聞きたかった少年の声だった。


【SpecialThanks!!】
ENo.122　ソウ
ENo.799　千巌
ENo.800　マーリファ・シェマスァ
ENo.1004　姫廻 紗綾

どうやら、この雀には特に名前はないようだ。

名前が同じなのは便利なのか面倒なのか・・・

コッ、コッ、コッ。
鈴の音にかき消されていたが、確かにしばらく前に聞いた音が、また聞こえる。

音の先には、一本足のシルクハットの女の子。
背中には先の戦いで見た長い槍と、何か風呂敷で包まれた何かを背負っている。

背中の風呂敷を降ろし、広げると、機械の部品ががらがらと姿を見せる。
ネジとか結構細かなものまである。
たくあんまである。・・・たくあん？

機械の部品がたくあんくさい・・・
おそらくたくあんは使い物にならないだろう。

どうやらイリスが自分の意見に同意してくれた様子に嬉しそうに笑みを返し。
その様子はリオンの想像よりずっと過酷な現実もあることなどまだ想像できていないようにも、例えどのような扱いを受けたとしても獣人は人間に従うべきだと思い込んでいるようにも見えた。

＞情報交換（エンブリオ）

この小さな華奢な身体でどうやって組み伏せるんだろうとまじまじとイリスの姿を改めて見つめる。

→情報交換(城内）

違うの？と問うような目で見つめ。

イリスの言葉にはおかしそうに笑い。

と、饒舌に語っていたヒナカだったが、ふと少女の右手首にまかれた不思議なバンドを目に留める。研究者としての習慣か、『不思議なもの』に対する嗅覚は人並み以上のようだ。

＞あなたの目の前にはゆらゆらと影めいた存在が朧に存在している。

右腕をかばいながら周囲を見渡し、小さく息を吐きだした……。