
──また繰り返すの。
そんな声が、聞えたような気がした。
ひとりになって、手にしていた石を軽く握って、離す。
祈りを込めるようにまた握るけれど、その石に花が咲くことは、やはりなくて。
「らしくねえな、巳羽さんや」
どうしたものか。そう考えていた時にかかった声に、私は振り返り、咄嗟に笑う。
「……そうですなあ。でも、それもわからないようにしたつもりだったんですが? 兄さんや」
どうしてここに、と問うまでもなかった。
後を付いてきたという事は、自分の動揺を察されていたのだろうと。
「何年おまえさんの兄貴をやってると思う?
その顔を見りゃあ、何かあったってすぐに分かるさ。まだまだ修行が足りねーな」
「それはそれは、おみそれしました」
案の定で。兄はなんだか昔から、変なところで人の感情の機微に聡かった。
普段はころりと騙されたり誤魔化されたりしてくれる癖に、
ここ、という肝心な部分を見逃さない。
それが気恥ずかしいような、気まずいような、ありがたいような、微妙な心地になる。
近場の岩に腰かけて、いつものように足を組む兄。
複雑な気持ちを誤魔化すように軽い口調で返しながら、その隣に寄り掛かった。
「で、どうしたよ。オニキスには……いいや、さきにも言い辛いことなんだろ?」」
「……そうだねえ」
少し迷うような間が生まれてしまったのは、一人で解決しようとするつもりでいたから。
けれど兄の真剣さの滲む表情を見て、結局、ぽつりと先の出来事を掻い摘んで話すことにした。
異能の発動時に、ハザマではいつも咲いていた花が咲かなくなったこと。
戦闘に支障は無かったが、今度もそうであるとは限らない不安がある事。
「――ふうん」
一通りを聞いての兄の相槌は、どこか気の抜けたものだった。
「なあ、巳羽。異能ってのは、持ち主のコンディションに大きく左右されるもんだ。
これまでと、さっきの戦い。異能に変化があったってんなら、何か違いがある筈だ。
体調が悪かったとか、心に引っかかることがあったとか、なんでもいい。何か心当たりは無いか?」
「心当たりは、まあ。……ない事はない事は、ない。というか、それだと思ってる。
……そうだなあ。まあ、ここまで話したし、話しちゃおうかな」
元々兄へ抱いていたストレスが原因だからと、兄には意図的に内緒にしていた過去。
ほんの少しのフェイクを交えながら、
幼い頃、異能を暴走させ部屋を滅茶苦茶にしたと、これまたさっくりと説明する。
「まあ、幼い頃の笑える失敗談、って感じだけど。
ほら、オニキスさんの定義の話で、あったでしょ。力を付けろって。
私も力はあるに越したことは無い、と思ってたんだけど、
多分、当時の記憶が戒めのように残ってて、それで歯止めがかかってしまってるんだろうな、っていうお話」
いやあ、過去の話って案外根深いよね、と軽い口調で言葉をしめようとして、
その時頭に過ったのは、定義の話をするあの男と、吹っ切れたような幼馴染の言葉。
「……さっちゃんは、どうやって覚悟を決められたんだろうねえ」
私は私の為に飛ぶと、彼女は言った。
自分も自分の為に力を使おうと決めたのに、何が違ったのだろうかと。
「どうやって、か。そいつは直接本人に聞くしかねーな。
でも、切欠の一つくらいなら心当たりがあるぜ」
「さきはきっと……自由になったんだよ」
何かを思い出すように、兄は目を細める。
「変に我慢するのが良くなかった、って言やいいのかな。
使わないように、無かったように振る舞うよりも、
あいつは自分の異能を受け入れて、一緒に生きていくことを選んだんだ」
彼女が幼い頃、異能の制御に苦心していた事、家族との隔たりがあった事は、朧気ながらに覚えている。
母との約束で異能を制限されていた自分と重ねて、人知れず親近感を覚えていたこともあった。
思えば、今の彼女は問題なく異能を制御出来ているし、当時時折見えていた影めいた雰囲気が、無いようにも見えた。
引っ越してしまった時も、そうして今も、何か良い切っ掛けが彼女の中であったのかもしれない。
「もし、おまえさんを縛る何かがあるのなら……
そいつのことは、一度忘れちまうのも手かもしれないな」
「……忘れる、か」
最後にそう締めくくった兄から一度視線を外し、考える。
確かに、リセットしてしまえるなら話は簡単だ。
あの日の誤った力の使い方の結果も、両親との会話の記憶も、無かったことにしてしまえば、私を縛るものは無くなる。
「……でも、それは難しいかも。忘れようにも、っていうのもあるけど」
忘れて、無かったことにしてしまうのは。前提を切り崩してしまうのは。
そんなのは、ワールドスワップで作られた記憶だけで良い。
「さっきのバツ兄の話でいうなら、受け入れて、その失敗ごと共に生きていきたいというか」
そう。だから。
思考の糸口を掴めたような気がして、口元に手を当てる。
「何も知らないまま力を使ってしまったあの頃とは、違うか。今の私は、力の使い方を選べる」
その選び方も、まだ間違えるかもしれないけれど。
少なくとも、もうあの時のように、一時の感情で周囲を傷つけることはない。
「……なんだ、御節介だったみたいだな」
「自分の異能を知り、正しく使う。たった一度の間違いも無しに振るうことなんて、誰だって出来やしねえさ。
いいか、おまえさんの傍にはおれがいるんだ。
おれは喧嘩はからっきしだし、出来ることだって少ないが――」
兄は、相も変わらずの緩い笑みを浮かべて言う。
「それでもおまえさんが失敗しちまいそうな時は……うん。ぜーんぶおれがなんとかしてやる。
“そういうの”が得意な異能だってのは、おまえさんが一番よく知ってるだろ?
天文部やとっしーたちだってそうだったみたいに、おれたちは一人で戦ってる訳じゃない。
たまには兄貴を信じて、どーんとぶつかってみな」
「……そっか。それじゃあ、後の事はぜーんぶバツ兄に任せることにして、私は遠慮なく異能をふるわせて貰おうかな」
それが、その表情に反して真摯な思いである事を、私は良く知っている。
だから、私も彼の"知っている"に甘えるように、まぜっかえすような言葉を紡ぐ。
「ふふ……バツ兄がこんな兄貴らしいことを言うなんて。空から埴輪の群れでも降って来るかもね」
「ちぇっ、素直じゃねーヤツ。
ま、いいや。なんにせよ、今のおまえさんならきっと大丈夫だろ。
そろそろ呼んどいた次元タクシーが来る頃だ。おまえさんも準備を済ましとけよ」
──ありがと、バツ兄。
去る背中に、ならばと素直に感謝の気持ちを投げかけてみる。
兄は振り向かず。けれど、背中越しにひらひらと手を振って応えた。
素直じゃないのはどっちだ。その向こう側にある表情を想像して少し笑いながら、
重苦しかった気持ちがいつの間にか取り払われている事に、
やっぱり何か降ってくるかもしれないな、と、不思議色の空を眺めた。