
休憩を許可され、久しぶりに一人になった。
「やっほー、結城さん。この間ぶりだね。……大丈夫だった?」
石を集めながら、考え事に没頭しようか。
そう思っていたところに、そんな声がかかる。
振り返ると、つなぐ先輩がいた。あの男──オニキスとの戦いが、まだ記憶に新しい。
「……ええ。あの男の指示で、何とか戦えて、生きてもいます。
自分のやりたい事に正直な点では、信用できる人ですよ、彼は」
──本当にいいのか。
以前の別れ際、そう聞かれていたことを思い出し。その点の心配は無いと伝えたくて、そう言った。
安心した声で良かった、と口にする先輩は、普通の良い人だ。けれど、
「先輩の方こそ、大丈夫ですか?
……あの男との戦いぶりを見ていたから、あまり、心配はしていなかったんですけど」
あの男との戦いで生まれた疑念は、私の中で燻ぶったままだ。だからつい、探るような言葉を口にしてしまう。
「んー、こっちはちょっと厳しいかな。
ちょっと異能が使えても、やっぱりただの学生だって自覚させられたよ。強いね、アンジニティの人……」
カラスとかは大丈夫だったよ。
と続ける先輩の言葉を聞きながら、浮かんだのは、無事でよかった。という思いだった。
疑っているけれど、以前と変わらず、親しくも思っている。
今の兄への思いと重なって、少し、胸が苦しくなる。
「……信用できる人、か。結城さんはどうしてそう思ったのか聞いても良いかな」
少し間をおいて、先輩はそう問いかけてきた。
「……信用、と言っても、彼の全てを、ではないのですが」
どう言葉にしたものか。迷うように一度言葉を切る。
「彼の目的を聞いた訳ではないんですけど、どうも、侵略には興味がないように感じるんです。
戦いに不得手な私たちを導くのにも、
……こう、この戦いの決着を、一方的に終わらせたくないような意図を感じて」
「だから少なくとも、わたし達が十分に戦えるようになるまでは、その可能性がある限りは、大丈夫だと。
……これも、勝手な希望と推測ではあるんですけどね。
イバラでの彼の記憶のように、また全てが嘘だった……という可能性も捨てきれません」
確りとあった筈のものが、全くの虚ろだった。その事実が、こんなに自分を揺るがすものだとは思わなかったから。
どうしても声や表情に、苦みが滲んでしまうのを、抑えられない。
「それは……信用して、いいのか?」
まあ、今の所は手助けしてくれてるってことかぁ、と取り敢えずと言う納得を見せてくれる先輩。
もっともな反応に、つい小さく笑ってしまう。
利用価値があると思われている内は、この首も飛ぶことは無いという部分にだけは、信用を置ける。
というのは、果たして信用と言って良いものなのか。
けれど、今はそれに縋るのが最良だと、判断したのは自分だ。
「正直なところ何を信じれば良いのやら、という状態です。
これもまた正直に言うと、つなぐ先輩達のこともわたし、疑っていましたから……」
「あー……そうだよね、助けられてたーなんて分からないまま戦っちゃったし。
あの時はごめん。もう少しちゃんと見るべきだった……」
「……いいえ。ただそもそも、この世界に来たばかりの先輩達が戦えていた事自体に、違和を感じていたというか。
騎士になれるふたば先輩以外は本当に、ただの学生だと思っていたので」
先程の彼の言葉を拾いながら。
ふたば先輩の為に、つなぐ先輩が攻撃を凌いだ事。駆け付けたばかりのリリィ先輩が、するりと参戦していた事。
共に戦うことに慣れていると思って。予想外のそれに疑念が生まれてしまったのだと、伝える。
疑っている相手にここまで素直に言葉を紡いだのは、
頭に流れ込んできた、イバラでもハザマでも変わらない先輩の笑顔を見たからか、
嘘でも本当でも、彼自身の言葉で答えが欲しかったからなのか、自分でもわからなかった。
「あ……、そっか。……あいつ約束守りすぎだろ」
控えめな、でも聞こえる程度の声で、先輩は言った。
「あー、ごめん、バツから聞いてると思ってた。
えっと、剣道とかそういうのやってるのは確かにフタバだけなんだけど、
何かと戦うのってあれが初めてじゃないんだよね。……うちの学校さ、なんかたまに変なこと起きない?」
遭遇したことはある。失せ物だとか、幻が見えただとか。不思議な音が聞こえたとか。
嘘かまことかわからないおかしな事が、学園では時折起こり、生徒たちの間で噂になる。
警察や、先生が騒ぐ程のものではない、というのが自分の認識だったけれど。
話の続きを促すと、先輩は話し始めた。
天文部の別の活動。先生や、他の何人かのサポートを受けて、厄介なそれらを退治していた事。
その過程で、戦闘の経験を積んでいた事。
そして、『バツから聞いてる』という言葉で思い出した。
「……一時期、兄が放送室でCDが無くなったって騒いでいた事があって」
やたら遅い時間に帰って来るし、DJ帰りにしては妙に疲れ切ってるし、理由を聞いても歯切れ悪い。
そんな日が、確かにあった。
それがもし、彼らの手伝いをしていたのだとすれば。
私の予想に頷きを見せながら、先輩は話を続ける。
放送室で起きたこと、物の紛失、
先輩たちの異能の事、敵の異能が先輩たちには手に負えなかったこと、
そしてバツ兄の異能によって、それを切り抜けられたこと。
「ホント助かったよ。俺たちああいうのどうにもできないから……。
でも、一応ってバツに口止めはしたけど、結城さんには言ってると思ってたよ」
「兄は案外、そういう所は律儀なので」
兄は、結んだ約束に嘘はつかない。そういう人だから。
「……だから全然知らなかったとは言え、疑ってしまって申し訳なかったです。
兄と合流できたのも、先輩方のおかげですし。ありがとうございます」
小さく頭を下げる。それから、
「……ちなみに、なんですけど。ハザマで兄と会ったときに、何か変わった様子とかはありませんでしたか?
いえ。……率直に聞くと、兄の事、どう『見え』ましたか」
この問いをするのには、少しの勇気が必要だった。
言葉にすると同時に、達成感よりも、罪悪感に苛まれる。けれど、一度吐いた言葉はもう、飲み込めはしない。
「普段学校で会うのとは、やっぱり全然違ったよ。体調も悪そうだし……。
まあ、聞きたいことはこういう事じゃないんだろうね」
先輩はすぐに、質問の意図をくみ取ってくれた。
「俺がバツと合流したのは、バツの方から連絡が来たからなんだ。
急に飛ばされて、味方とか敵とか全然わからないし、全然見た目も見慣れない人も多い中で……。
あいつは『巳羽を無事に帰したい』っていつも通りに妹を心配してたよ。
絶不調って感じだったし、自分がまず危ないのにね」
「まーなに、俺が異能で観れることって結局表面的っていうか……。
さっき結城さんがあの……名前しらないな。あいつを信用できるって感じたのとそう変わらないんじゃないかな。
俺はバツの言葉を信じてるよ」
言葉を選ぶような間の後に、
『異能』ではなく、その『目』で見て感じたことを、思いを答えてくれる。
真実を示される事よりも曖昧な筈なのに、わたしはそこに、彼の誠実さを感じた。
「……こんな質問をしてしまったから、ばればれだと思うし、酷い話だと思われるかもしれないんですけど。
わたし、兄の事も少しだけ、疑ってしまっていたんです」
その理由を、話す。
『結城伐都を信じるな。結城伐都は裏切り者だ。結城伐都に心を許すな』
ハザマに来て間もなく送られてきた、匿名のメッセージの話を。
「何かの冗談だって笑い飛ばしたい自分も、
別の知り合いがアンジニティとわかって、不安を払拭しきれない自分もいて。
だから、誰かの後押しが、欲しくなってしまって」
『解析』の異能を持つ彼ならば、全てわかるかもしれないと。
寄り掛かってしまおうとした自分を、弱くて未熟だと、思う。
誰かに全てを委ねてしまうことは楽だけれど、後々後悔することになるのは、わかり切っているのに。
「でも、もっと単純に考えて良いんだって、気付けました。
わたしが兄の事をどう見たくて、どうしたいか。それだけで良いって」
真っ先に自分の心配をしてくれたという兄の話と、
彼の言葉を信じてる、という先輩の思いを聞いて、そう思った。
ありがとうございます、と。
吹っ切れたようにつなぐ先輩を見上げると、彼は視線を外し口元を手で押さえていた。
くぐもった呟きが、聞こえる。
「なんか、俺も、結城さんと一緒だったのかも。人に偉そうに言っといてだけど……。
自覚なかったけど友達と家族ってまたちょっと違うね」
言葉の断片から、何となく、彼は彼のお姉さんの話をしているのでは、と思うけれど。
つなぐ先輩から話さない限りは、と、触れずにおくことにした。
「ありがとう、結城さん話せて良かったよ」
「わたしも、つなぐ先輩と話せて良かったです」
互いに、再会したその時よりも、雰囲気が明るくなったように感じた。
少なくとも自分は、なんだか道が開けたような気がしている。
兄の事も、あの男の言う、『己の定義』の事も。
この手ごたえを離したくなくて、刻みつけるように、わたしは手元の石を握りしめていた。
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「……つなぐ先輩は、もし自分の知り合いがアンジニティだとしたら、それを知りたいと思いますか」
それは先輩との会話の中で。ザクロ先生がオニキスだったことを告げて良いものか。迷っての問いだった。
打ち明けること。それはつまり、イバラシティでのその人との繋がりが、偽りだったと知る事になる。
だからこそ、その事実を伝えることに、躊躇いがあって。反応を伺うように先輩を見上げた。
「どう……なのかな。……いろいろ言い訳しちゃうんだよ。
こっちの記憶が向こうで意味ないとか、会わなければどちらでもとか……。
結局ビビッて自分から連絡とりに行かなかったりしちゃってたりね」
「まあ、俺の場合解っちゃうから言える我儘かもしれないけど……知りたくなかったなって思うことはあると思うよ」
先輩の言葉に、は。と、息が漏れた。抑える前に、唇が『同じだ』と形を作ってしまう。
「……そう、ですよね。現実に立ち向かえって、ある人は言うんですけど、
自ら進んで知ってまで、立ち向かいに行く必要はないんじゃないかって、わたしは思います。
自衛や、アンジニティと渡り合う為に、積極的に情報を得ようとする人もいるかもしれませんが」
少なくとも自分はまだ、そこまで割り切れそうにない。
今近くにいる、たった一人の存在から思い知らされた現実さえ、未だに飲み込み切れていないのだから。
「そうだね。まー俺もそこまで余裕ないから、今はフタバとリリィと、あと友達の範囲で精いっぱいって感じ」
見えてしまう。見ざるを得ない状況にいるつなぐ先輩なら、尚の事だろうと思う。
だからわたしは、今は先生の事は伏せていようと、そう思った。
「……話繰り返しちゃうけど、さ。
アンジニティでもイバラシティでも、それだけで信用できるできないってことにはならないと思うし、
それだけで警戒する必要があることだとは思う。……気を付けてね」
「……ありがとうございます」
進んで知ろうとしなくても良いと思う。けれど、一度知ってしまった現実には、向き合わなくてはいけないとも思う。
自分で見つめて、考えて、信じたい相手を、心を傾ける度合いを、選んで行く。
それがこのハザマで、この先にある未来で、少しでも、悔いのないように生きるために必要な事なのだろうと。
なんとなく、わかり始めていた。