
イバラ陣営のベースキャンプ。
探索から一時帰還したその場所は同じように戻ってきた参加者でそれなりにごちゃついていた。
喧騒から少し離れた場所にいたフェデルタは、アイテムを物色しながらいつものようにシガーケースを取り出した。
「おい」
「……あん?」
咎める声に不機嫌さを隠さずに返事をする。その態度に同じように不機嫌な顔をしたグノウの眉間に更にしわが寄った。
「いい加減にしろ」
グノウのその言葉が煙草を指してものだとはすぐに理解した。つっかかるのも面倒なフェデルタは、わざとらしく溜め息を吐くとシガーケースをコートのポケットに戻した。
「……はいはい。と、そうだ、お前、ペン持ってない?」
返事ついでにそんなことをたずねる。単に軽い気持ちだ。なにか持ってるならラッキーとか、その程度の。
「は?」
「うわその何で俺がみたいな顔やめろ」
「その通りだ。なぜ私がお前にそれを貸してやらなければいけない?」
フェデルタの冗談目かした物言いに、グノウは不快感を露にした顔をする。睨み付けているかと言うほどに鋭い視線がフェデルタを刺した。
「ちょっともの書くだけだよ」
「その文字で何を、誰に伝える? 他のアンジニティの仲間への密告に利用しないという根拠は?」
グノウの信用していない、というのを微塵も隠さぬ態度にフェデルタは舌打ちした。
しかし、グノウの気持ちもごもっともである。と、いう理解くらいはするもののペンひとつでここまで警戒されているのは、正直やりにくい。
「……あー、なんだ、その……ここいらでハッキリ改めて言っておくがよ、俺は、お前達を出し抜こうとか邪魔しようってのは毛頭無い」
「口だけなら幾らでも言える……そして、協定を結んでいるのはお前だけではない」
そばにいる大きな異形。その上に乗る姿。グノウが軽く視線を向けるのに釣られるようにフェデルタも視線を向けた。
自分が彼ら主従をどうこうしようと考えてないのは事実だが、それと同様にスズヒコが何を考えているかハッキリと理解していないのも事実だった。
「……っ!!」
フェデルタが、グノウに何かを言おうとした瞬間、いつもの記憶の流入がはじまり思わず頭を押さえて軽く呻く。
相変わらず平和で恵まれて、楽しそうに過ごす少年の記憶。
「……"グノウさん"?」
「ッ……」
今の今まで一緒にいたのに、まるでなぜそこにと言いたげにフェデルタ――否、吉野俊彦が呼び掛ける。
「ねえ、グノウさん、迦楼羅は……それに、兄貴と……愛夢と……ねえ、どこに、守らなく……ちゃ……ッ、くッ」
グノウが言葉をかけあぐねている間に吉野俊彦の意識がすらすらと言葉を並べていく。が、それもそこまでだった。フェデルタの動きが止まり、忌々し気な舌打ちをひとつ。それから、ああくそと悪態をついて無意識にシガーケースを取り出した。
「……」
「なんだ、今度は止めないのかよ?」
フェデルタが自虐めいた笑みを浮かべながら煙草を取り出し、火をつければグノウの眉間の皺がまた増えたが咎める言葉は聞こえて来なかった。
「……俺が煙草を暇なし吸ってるのも、お前らを出し抜くつもりがないのに、手を組めと提案したのも理由はひとつだけだ」
「……」
煙と共に吐き出した声には自嘲が含まれている。出し抜けなくてもいつもならもう少し取り繕えた気がする。
それが今はただ正直に話す他無い。まるで、先程記憶を見た吉野俊彦のように、バカみたいに正直に。取り繕う余裕もなければ、気分でもない。情けなさだけが去来する。
「安心しな。お前が情に絆されるなんてこれっぽっちも思っちゃいねえからよ」
グノウから明確な返答を聞くより先にフェデルタは手をひらりと振って先を歩き始めた。
「……」
グノウから離れ、人気の少ないところの崩れかけた柱に凭れかかりながら紫煙を燻らす。
肺に煙を吸い込んで思い切り吐き出しながら、軽く頭を押さえた。まだ、違和感がある気がする。
吉野俊彦の記憶を見る度にこれでは、本当にやってられない。そのためにも自分の事を記しておかなければならない。自分は、フェデルタ・アートルムだと。
あとでキャンプでペンを手に入れよう。そんな事を考えていると、ずん、も僅かに地面が揺れた。
「……ん?」
何事かと辺りを見れば背後の方からじっとフェデルタを見つめる大きな獣の双眸と視線がぶつかった。
見慣れた怪物の姿に驚く事はなく、それよりも共にいるはずの姿が無いことに首をかしげた。
「……スズヒコはいねえのか」
ぐるる、と返事のかわりに唸り声が返ってきた。獣自身もまたスズヒコではあるのだが、フェデルタの口からでたそれが、己で無いことは理解できているようだった。
買い物にでもいったのだろうと納得をしていると、獣は大きな体を丸めて座り、首をフェデルタの方に伸ばしたまま大人しくしている姿はスズヒコと共にいる時と印象が違って感じる。
いつもが手のつけられない獰猛な獣なら、今は飼い慣らされた大人しい生き物、という感じだ。
「……何だお前、慰めにでも来たのかよ」
短くなりすぎた煙草を手の中で灰にしながら、冗談っぽく呟く。ただ、なんとなく今となりにいる姿に妙な安堵感を覚えるから、慰められている、と言われれば否定は出来ない。
「……こんなはずじゃ無かった。もっとうまくやるつもりだった。少なくとも、このハザマとやらに来たら、少しは上手くいくと思ったんだ」
フェデルタは、無意識に口が開いていた事に自分の声を聞いて気付いた。けれど、それを止めたいとも思わない。口に出して吐き出さないと、やっていけない。そう思った。
「……俺自身が揺らいでる。それはずっと、感じてた……これ以上死ねば、炎に喰われちまうって。……そんな所によお、俺よりもはっきりと意思と形を持った男の記憶が来るんだ」
吉野俊彦の存在は記憶を見る度に大きくなっている。眩しいほどに真っ直ぐで純粋な少年の姿。守りたい人がいて、その為に邁進する姿がうらやましくて、自分よりも彼の方が本当ならば必要とされているのではないかと思いたくなる程に、心にずぶりずぶりと入り込んでくる。
「……いつか、あいつに喰われちまいそうで正直怖い。俺の身体の筈なのに」
溢した声は僅かに震えた。青い獣は、反応するでもなくただ静かに側にいる。フェデルタは、その姿を一瞥してから大きな息を吐いた。
「我ながら情けねえよな。いっそ、俺も意地はるのやめちまおうか」
狂ってしまった方が余程楽だろうと、何度も何度も考えた。それこそ、狂ってしまったスズヒコを見る度に、自分もそれに習えばいい――目の前の事に蓋をして逃げるのはいつだってしてきた事だろう、と。
フェデルタは大袈裟に天を仰いで、空笑いをこぼす。そんな姿を大きな瞳がじっと見つめてきた。先程までは見ていなかった筈なのに。まるで、何かを見透かしたかのような視線。
フェデルタは頭を乱雑にかきむしった。
「……わかってる。わかってるよ」
咲良乃スズヒコは逃げない。彼は戦い続けて、そして狂ってしまった。彼の狂気は現実から目を背ける為ではない。戦い続ける為のものなのだ。自分が求めているものとは同じではない。だからこそ、自分は狂うという選択肢をとる訳にはいかない。いまだ戦い続ける彼を差し置いて、自分だけ逃げる訳にはいかないのだ。
「ぐるる……」
「……情けねえな、俺」
獣にさとされたフェデルタはため息と共にもう一度天を仰いだ。