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それは、酷く寒い春だった。
寒梅が遠くで鮮やかに花をきらめかせ、その姿を誇らしげに澄んだ空に刻んでいる。



それは、酷く寒い春だった。
堅く冷たい色彩は何も知らない顔で、寒空と共に見窄らしい私を見下していた。



何処かで賑やかな団欒が聞こえる。
隔ての向こうは、まるで私を嘲笑っているようだった。







昨日、母が死んだ。過労だった。
昨年死んだ父の、その後を追うように。
ふつりと燻りが途絶えるように死んだ。


誰も悲しまないのは、二度目なので知っていた。
……むしろ疎まれているのを知ったのが、一度目のことだった。




「……」


私は歩いている。
肩から掛けた縄の束は、両の手で握っても掌から零れ落ちそうだった。





売買、徴収、泥棒。
家長を失ったその納屋に、めぼしいものは最早残っていなかった。

残されていたその縄には、誰が見てもただの縄以上の価値がなかった。
けれどそれは、私にとっては幸運なことだった。






私は歩いている。悴んだ手足の、その痛みはもう気にも留めなくて良い。


そうだ、死んでやろう──と。
冷たくなった母を弔うでもなく。
殆どないような食糧を手に去っていった彼らの背を見送りながら、そう思った。




桜の木が見える。この時候のそれは、忘れられたように静かだった。

その姿さえ恨めしいと思った。
今はひとりきりでも、きっと。開花を迎えれば、奴らの拠り所となるだろうから。

故にこれは決して、永劫私に寄り添うことはないだろう。









己の背丈が小さいことを恨みながら、時間をかけてその枝に縄を巻きつけた。

恨めしかった。
だから、一泡吹かせてやろうと思った。
暖かく麗らかな彼らの時間を、奪ってみせようと。




宙に浮かぶ口に手を掛ける。

平穏を壊される様を想像するだけで幾許か溜飲が下がる。
けれど、想像だけでは足らない。足りるはずがない。




これから私を咬み殺す穴を覗く。


想像するうち、……一陣、熱を冷ますような隙間風が吹いて。
聡いこどもは空っぽの輪郭を捉えて、少しだけ眉を顰めた。



くぐれば、それで最後だ。果実を捥ぐように容易なことだ。
命は呆気なく終わる。

道理だけならそうだった。
けれどそのとき、私は気づかないところで躊躇をしていた。
それを自覚するのは、少し後の事である。




訪れるかも分からない一時の満足のために。有り得たかもしれないこれからを。


















冷たい春の風に、あたたかなものが混じる。














「……」




「……………へ」




手抜かりだった。
“先客”の可能性を、全く失念していた。


手に握りしめたままの輪っか。
この状況が何もないのだと、言い訳するには無理がある。













白髪のこどもは黙ったまま、私をじっと見ている。
背丈は、同じくらいだったろうか。







「……。なに、お前。　なんか文句、あるの」



眉間に力を入れる。
木の戦ぐ如、胸の内が騒めいた。













こどもは、ほうけた声で反芻をする。




「…………」



「ないなら、どっか行けよ。　見世物じゃない」















「……」










こどもは、無垢の瞳を私に向けていた。

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呆れたことを覚えている。





結果として、そのこどもは立ち去ることがなかった。


幾らか言葉を交わして分かったこと。

このこどもは殆ど無知であった。まるで、赤子同然のような。

それどころか、名すらもなく。親もないという。



本当にそれだけだった。



ただそのことから。
このこどもの境遇は、恐らく私と似通ったものだろうと導いた。
孤児や物乞いも、村外れの方では珍しくない。



首を括るその機会も、その気概も。このひとときで失せてしまった。

ひとつ確実に言えること。私はそのとき、死に損なったということだろうか。




……辿るつもりのなかった明日だった。

それを少しの安堵と、このこどもと過ごすことになるとは。
このときの私は、夢にも思わなかっただろう。

▲	タヌキ 「む、お前だな。 俺と一緒に、カンモンに立ち向かおうという奴は。」

	【どこからともなく、タヌキが舞い降りて。 シュタッと地面に着地すると、鼻先を高く掲げて貴方を見上げようとした。 豊かな胸の毛が、風に吹かれてふわりふわりと揺れる。】

	タヌキ 「本当は、俺だけで戦ってみたいのだけどな。 勝負に勝つには柔軟な考えも大事だと、母さんも言っていたから。 たぶん今が、その時なのだと思う。」

	タヌキ 「俺の力と技を、お前のために振るってやるからな。 俺も、お前のことを頼りにしているぞ。 俺が言いたいのは、それだけだ。」

	【ツンと澄ました顔のタヌキは、貴方の姿をもう一度見上げて。 そうして、今度は不思議そうに、小さく首を傾いで見せた。】

	タヌキ 「……それにしても、お前は真っ白だな。 初めて雪が降った日の、朝陽が上ったすぐ後の景色みたいだ。 眩しくて、少し目が眩みそうになる……。」

	タヌキ 「知ってるか？ 身体が白い奴は、森の中だと目立ちすぎてすぐに死んでしまうんだ。 寝ても覚めても、色んなやつが襲って来るからな。」

	タヌキ 「お前も、少しは黒くなった方が良いんじゃないか？ 例えば、タヌキの毛皮みたいにさ。 俺がお前に、気持ち良い泥遊びの仕方を教えてやろうか？」

▲	（ふつりと像が絶えたあとも、“クルハ”はじっとそこを見つめていた） （覚えのある顔立ち、覚えのある声色） （――けれど、纏う雰囲気は人の枠からおよそ外れたものだ）

	仁枝 「……誘乃くん。そのぶんじゃ、あの子もあの街の住人じゃなさそうかしら。 　てことは、あんたはあたしたちとおんなじ――」

	仁枝 「って、雰囲気でもないし。どっち側でもないような、よくわかんない子ね。 　心配する必要はなさそうだけど。……お優しくって、まるで神様みたいだわ」

	仁枝 「善意がない、なんてただの脅し文句。あそこにだって、善意がないわけじゃないもの。 　――でも、アンジニティにいて善性を貫けるとしたら、悪意よりよっぽど怖いわよ」

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立ちはだかるもの 守護者《DEER》 守護者《DEER》 守護者《DEER》 守護者《DEER》

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