
第一印象は「変な名前」。
それだけだった。最初は。
×××
小学校を卒業し、順当に進学した近所の公立中学校。
中学生になった私は、いわゆる……反抗期を迎えていた。
と言っても、別に不良になったというわけではない。
ただ、親が良いと思うものを素直に受け止めるのではなく、色んなことを自分で選んでみたくなったのだ。
母の影響でそれなりにインドア派だった私が、陸上部への入部を決めたのもそれが理由だった。
その頃はまだ人より身長が低く、運動も苦手だった私でも、個人競技なら誰に迷惑をかけることもないだろうというのもあった。
×××
そうして早々に入る部活を決めていた私は、全生徒が所属を強要される委員会かクラスのナントカ係の中から、迷いなく生活委員を選んだ。
理由は一点。楽そうだから。
楽ということは、部活動に響かないということだ。
(おそらく私と同じ理由で)志望したクラスメイト達の中からじゃんけんで生活委員の座を勝ち取った私は、洋々として委員会活動へ挑んだ。
初回の活動は生徒たちの自己紹介と活動内容の説明で、その退屈な内容の殆どは右から左に抜けていったが、その中で一人だけ印象に残った人がいた。
「2年3組の若宮線引です」
(……千匹?)
人の名前としてはひどく珍しい響きだったから。
名前意外にも何か言っていた気もするけど、ただ「2年3組のワカミヤセンビキ」だけを覚えていた。
×××
初めて言葉を交わしたのは、それからもう少し後の委員会活動でのこと。
その日私は部活のミーティングに参加してて、遅れて委員会室に向かった。
違和感には、扉を開いてすぐに気づいた。人が妙に少ない……というより、一人しかいないのだ。
今日の仕事であるプリントの配布準備には、私を含めても5人は割り当てられていたはずなのに。
室内でプリントの山と向き合っていたのは、「2年のワカミヤセンビキ」だった。
私の入室に気づいたセンパイは視線をプリントの山から私の方に移し、「あー、一年の……」と考え始めた。
「風凪です。風凪マナカ。
……他の人はまだ来てないんですか?」
「ああ、そうそう風凪な。……忘れてたわけじゃないぞ。
他の人らなら帰ったぞ」
「……帰った?」
「なんか用事あるんだってさ、皆」
そう言って、何でもないように作業に戻るセンパイ。
他の生徒たち全員が用事があるなんて、そうそう起こり得るとは思えない。
要は、体よく押し付けられたということなんだろう。
それなのに、何の疑問も抱かずに一人で他の人の分の仕事までしているなんて。
――なんて要領の悪い人なんだろう。
そう思うと同時に、この変な名前のセンパイに私はなんだかとても興味を持ってしまった。
「それ」「一人じゃ絶対終わらないですよね」
私はセンパイの近くに寄って、プリントの山を指差した。
全員でやれば二十分とかからないだろう作業も、一人でやるとなれば大変なのは目に見えている。
「……俺も薄々そう思ってはいた」
「でも、二人ならいけるんじゃないですか?」
私がそう言うと、センパイは目をパチクリさせて、
「いやいや、手伝ってあげますみたいな雰囲気出してるけど……委員の活動なんだからやってもらうに決まってるだろ。
帰らないってことは、用事ないんだろ?」
そして「そっち任せたぞ後輩」と、紙の束をズイッとこちらに寄越す。
――あ、そこは騙されないんだ。
ここで「私も用事を思い出したのでやっぱり帰ります」と言ったらどうなるのか少しだけ気になったけど、もう少し話をしてみたかったのでその検証は後日に回すことにした。
×××
それから、委員会で顔を合わせる度に積極的にセンパイに声をかけるようになった。
センパイと呼べる相手との関係は新鮮で、バカみたいに素直でお人好しで要領の悪い彼の反応はいつだって楽しかった。
センパイはいつだって私の煽りにバカみたいに乗せられて、嘘を疑わず騙されて、イタズラに素直に引っかかった。
そしてそれらに対して怒りを表明したり、年上の器量を示したいのかたまには我慢してみせたりしながら、翌日になれば何事もなかったようにけろりとした表情を私に見せた。
毎回きっちり引っかかった上でリアクションを披露してくれて、しかもそれを根に持たないなんて。
イタズラされるために私の前に立っているとしか思えない。
元々多少イタズラ好きな所もあった私だけど、今ほどになったのは間違いなくセンパイのせいだと思う。
そうやって二人で過ごすことが増える内に、「若宮先輩のこと好きなの?」と友人からよく聞かれるようになった。
まぁ、そういう風に見えるだろうということ自体には、私も自覚があった。
でも、この時の私に恋愛感情はなかったと、当時も今もはっきり断言できる。
好意があったことは否定しないけど、それはあくまで後輩としてのもの。
他の人にも向けていた感情のバリエーションの一つでしかなかった。
「うーん……センパイって一緒にいるのは楽しいけど、彼氏にしたいかと言われるとナシだと思う。子供っぽいし」
「先輩と付き合わないの?」に対して、大体そのような返事が当時の私の決まり文句だった。
ちなみに、今でも結構そう思っている。
×××
転機が訪れたのはおよそ一年後。センパイは3年生、私は2年生になった年の夏のこと。
少し前から様子のおかしい所のあったセンパイが、ある日を境に突然――グレ始めたのだ。
校則違反、喫煙、遅刻に無断欠席と、それはもう絵に描いたような分かりやすさで。
突然変わってしまったセンパイに対して、先生や共通の知り合いの反応は様々だった。
更生させようとしたり、恐がったり、距離を取ったり。
私はその中のどれでもなく、なんというか……呆れてしまっていた。
――いやいやセンパイ、グレるにしてもオリジナリティとかは無いんですか?
私はそう指摘したかった。
言わなかったのは、なぜだか必死で不良になろうとしているセンパイに、本当のことを言うのがかわいそうだったからだ。
センパイの様子は「なんか、こういうことしてたら悪そうだよな」という行為を片っ端から試しているように見えた。
もしこの世に不良になる方法の教科書があり、それを実践したなら、きっとこの頃のセンパイのようになっただろう。。
「絵に描いたような分かりやすいグレ方」は、私にはそのまま彼の素直さの裏返しにしか見えなかった。
私はそんなセンパイを見ていると、なんだか無性に腹が立った。
ヘタクソな不良のフリで私を騙せると思っているからか。
私に何も言わないからか。
とにかく私はムカついていたので、センパイの変化をことごとく、徹底的に、無慈悲に。
全て無視し、それ以前と同じように対応した。
髪型を変えれば似合ってないと笑い。
睨まれれば眼科に行くことを提案し。
手を上げるフリでもされようものなら、笑顔とハイタッチで返した。
私がそうする度にセンパイは苦虫を噛み潰したような渋~い顔をしていたけど。
残念ながら私は、センパイのそういう顔を見るのが大好きなのだった。