
線引ィ。
お前は、どういう異能が、"ヤクザやるのに向いている"と思う。
唐突に聞かれ、
考えるも、考えは纏まらない。
……いや、そりゃそうだろう。
ヤクザの事務所で。
兄貴分と二人きり。
呼び出されて事務所の端の方で目立たぬよう座っていた俺と
その正面にどっかと座り、テーブルの上に足を投げ出した状態の若頭。
そんな状況で、組の若い衆であるところの若宮線引ィは膝に手を置いたまま、
唐突なる難問の出題に呻く。
考え纏まるとか纏まらない以前に、なぜ事務所でこんな話を俺に……?
真面目に考える。
大規模破壊。洗脳。透明化。時間停止。異能無効化。
空間掌握。回復蘇生。空想具現。肉体変化。不死。
思いつく異能はたくさんあれど、
どれも、求められている応えとも、用意されている答えとも違うような気がする。
状況が限定されてもないし、答えとして用意されてんのは一般論でもない気がしてはいた。
んじゃ、まあ応えは一つだ。
「わかんねっス。……どんなんスか?」
……オイオイ、ちっとは考えろよ線引ィ。
頭起きてんのかァ?
諫めるような言葉だが、兄貴分の目は笑っている。
伸びてきた手にガシガシと頭を撫でくられると、
毛質の固い俺の髪が節くれ立つ指でガンガン引っ張られて痛ぇし、
本物か偽物かわかんねぇけど、シルバーの指輪が当たってマジ痛ぇ。
俺を弟分と呼ぶにはちょっと歳が離れすぎているこの兄貴分は、
組の中でも特に、何かと俺に目を掛けてくれる。
撫でくられて首がぐるんぐるんなっている今の扱いを見てもわかる通り、
俺は完全なるガキ扱いである。ただ、可愛がり方が不器用なだけで悪い気はしない。
ただ、悪い気はしないが理由が分からなくはあった。
こうやって事務所の端にいる俺に、若頭が絡んでくる理由も、
必要以上にそれを可愛がる理由も俺にはわからなかった。
線引ィ。
"ヤクザに向いている異能"ってのはな。
……"制御できる異能"だよ。
話に意識が戻る。
「……なるほど?」
何となくニュアンスは理解したが、正確な意味は分からないことを言葉で伝える。
その回答も割と高得点だったのか、兄貴分は口の端を持ち上げて笑った。
いいか、線引ィ。
俺たち"暴の者"の在り方っていうのはな、
いつだって法の下以外でその暴を行使できるっつー他にない特権があり、
それが潜在的に必要とされてるからこそ存在できてきたんだよ。
だからこそ、その暴に振り回されるわけにはいかねぇのさ。
「なるほど」
今度は納得のなるほどだった。
……つまりは制御とは、異能自体の制御のことらしい。
案外普通の答えだな。
暴の者と自分を呼ぶ割には、どこか纏まった答えだ、と思い、"思ってしまい"、
その思ったことが相手に伝わったことが表情からバレたのが分かった。
あ、マジで、やべえ。
兄貴分の顔に剣呑な笑みが張り付いた。
まるでテーブルの上の料理のどこから手をつけるか品定めするような目で俺を見る。
……ハハハ、線引ィ、お前は本当表情が素直なやつだな。
苦労すンぜ、今後ずっとな。今から宣言しといてやるよ。
意外か? もっとド派手な異能のが向いてると思ってた方が、らしいかよ?
「……そっスね。その方が、らしいと思ってました」
俺が正直に返すと、顎の髭を撫ぜながら兄貴分は笑みを深くする。
正直、こういう"凄み"のようなものを見ると、改めて目の前の人間がヤクザだと思い知る。
どこでどういう違いが生じるのかはわからないが、
自分とは確実に"違う側にいる人間"だと思わずにいられない。
線引ィ、例えばよ、この世界に異能が存在しなかったとするだろォ。
そしたら恐らく、俺たち暴の使い手は何らかの暴力行為をチラつかせることで、
それを駆け引きの一つとしたり手段の一つとしたりしてシノギを行うだろうな。
……シノギ、まあヤクザの収入源のことだ。
と、いうか、そんなもの別に異能が存在しても変わんないんじゃないかと思った。
ところがよ、線引ィ。
そンとき異能ってやつが厄介でなァ。
暴をチラつかせたところで、その暴よりも強烈な暴を持ってる個が現れたら、
オレたちがチラつかせる暴なんてもんは"抵抗"されちまうし、できちまうんだよ。
力ってなぁ、より強い力の前じゃ無力だからなァ。
そうなりゃ、その相手がオレらの意を通す理由なんて、なくなっちまうわけさ。
今さっき線引ィが頭ン中に浮かべた強烈な異能の一つでも持ってるやつにゃ、
異能以外の暴だろうが、異能の暴だろうが通用しねぇんだからよ。
つまりぁ、どこの誰だって、暴で言うことを聞かせられる確証が存在しねぇことになる。
経験則や、予測が立てられねぇんだよ、つまるところ。
まあ、それはそうだな、と思った。
結局のところ、異能の強さは腕っぷしの強さに関係がない。
俺だって、その辺を歩く小学生の女の子にすら負ける可能性がある。
それは格闘技経験者であっても、ヤクザであっても同じだ。
線引ィ、だとしたら、オレたちヤクザに求められるモンってのは、何だと思う。
再び、質問が飛んできた。
流石に二回連続でパスはできないので、少し考えて、返す。
「……判断力、スかね」
俺が答えると、兄貴分は顎を撫ぜながら笑う。
分かってきたじゃねえか、線引ィ。
表情から見るに、どうやら当たらずとも遠からずと言ったところらしい。
広く浅く回答しすぎたかなとも思う。まあ、この辺は最初の兄貴分の返答に沿っただけだが。
判断力。
相手の異能の性質を、見抜く力。
それに応じて、対応を変える柔軟さ、そんなところだろう。
相手がどういう存在なのかに関して、予測が立てられなかったとしても、
相手がどういう分類の相手なのかは見極めることが出来ンだよな。
だからこそ、彼我の実力差や性質差を正確に見極める目が必要になるわけだ。
それが線引ィの言う通りの判断力であり、分析力であり、
俺がヤクザやってる上で最も重要なクレバーさだと思ってる。
だからこそ、せめて自分の異能の性質はちゃんと見極める必要がある。
そしてその暴を制御化に置いてるやつこそが、長く生き残っていくんだよ。
この稼業で生きていく以上、臆病さでも慎重さでもない判断力こそが、
異能自体の利便さや出力のデカさなンかよりも、よっぽど大事になってくるのさ。
「はぁ……」
分かったような、分かっていないような返事が出てしまった。
自分が見てきた本当の鉄火場に於いて、それこそが一番大事だとこの時は思えなかった。
ただ、兄貴や、この事務所の他の人間――。
ひいては俺と同じように後継者候補として名前を連ねる兄弟たちが、
俺の想像していた暴の者としてのヤクザと少し離れていることには合点がいった。
彼らは、俺が思っているよりも暴力的でなく。
もっと理知的で、兄貴の言葉を借りるなら、クレバーな集団だった。
要は、暴の振り回し方を理解している者だけが、
今もこうやってヤクザとして命を長らえているだけの話なのだろう。
引き際を理解し、相手の判断を正確にし、自分の異能を深く理解する。
異能の使いどころを見極め、効果的な場所では使用を躊躇わない。
少しだけ、右目が疼いた。
そういう意味では、己の身体に不調が明確に表れていても、
使用を躊躇わない俺のような者は、ある意味ではヤクザに向いているのかもしれない。
まったく、これっぽっちも嬉しくはないが。
それに、向いているのは"ある意味"での話であって、
冷静な判断や引き際なんてものが正確に読めるわけではないしな……。
自分が、鉄火場で出来ることは限られている。
クレバーな意図で動き、研ぎ澄まされた殺意で物事に当たる、
その残酷なまでの温度のない決断に、穏便な道順を作ることだ。
なるべく破壊が起こらない方法を。
なるべく殺傷が起こらない方法を。
異能の力を以って、破壊や殺傷をスキップするように、目的を達成すること。
『縫合線』による捕縛。『導火線』による開錠。
『切取線』による通過。『停止線』による防御。
出来る限り邪魔にならず、出来る限り血なまぐさいことにならないよう。
ちゃんと「必要とされる悪事」の片棒を担ぐことが、俺のできることだ。
いつの間にか。
考えていることが、表情に出ていたのか、目の前で兄貴分が口の端を持ち上げて笑った。
線引ィ、だとしたらこうして事務所で顔つき合わせて、こんな話してる俺の意図にも、
そろそろ気ぃついたんだろ?
急に話の矛先を向けられ。
少しだけ鼻白む。
少なくとも今、自分は邪魔にはなっていないはずだ。
クレバーとは言えないが、必要とされることには応え、そして考えて行動している。
兄貴が言うところの、ヤクザに向いている異能使いとして、
ちゃんと自分の異能を使っている、少なくとも自分ではそう思っていた。
ああ。
だとしたら、この問いは。
……線引ィ。
いい加減よ。
そんな顔して事務所の隅で小さく丸まってンなよ。
お前の立場が微妙なのは理解してる。
でもな、この事務所でお前の働きにナシつけようってやつぁいねえし、
オレみたいな過干渉と他の奴らみたいな不干渉の二つに分かれるってのはよ、
ある意味お前を評価してんだと思うぜ。
やるこたやって、そんで認められていくのは、この世界でも同じこったろうさ。
ま、そんなの関係なしにお前のこと鬱陶しいと思うやつはいるだろうけどな。
「……いや、最後まで褒めてくださいよ」
これも表情に出たのか、俺が泣き言をいうと兄貴はげらげらと笑う。
再び、掌が俺の頭に伸びてくる。
中学生の頭を、子供にするように撫でながら、兄貴は静かに言った。
まあ、線引ィ。
これから先、お互いどうなるかァわかんねェけどよ。
少なくともオレァ今の段階じゃァお前を買ってやってんだ。
でも、それも良し悪しだってことも教えておいてやるよ。
認めてるってことは、味方としてもそうだし、敵ンなったときもそうだって話だ。
この事務所で、お前にナシつけるやつがいねえのは、
味方にしておく方が便利だと思ってるやつと、敵に回すと厄介だと思ってるやつ。
そして、その両方を思ってるやつがいるってだけの話だ。
俺だって、お前のこと舐めちゃいねェんだよ。
いつだって、誰だって舐めていい世界じゃねェからな、ここは。
お前が"制御できる異能使い"だってことだけで、十分に、十二分にな。
だからよォ、線引ィ。
あのさ。
だから……その指で撫でられると、痛ぇんだけど。兄貴。
「……何スか」
……仲良くしようじゃねェか。
☆ ★ ☆ ★ ☆
――まあ、それもこれも。
ただの中学生だったガキが、
救えなかった、命のうちの一つの話だ。
きっとこれもまた、感傷に似た夢の一つで、
目覚めれば今日もまた、いつもの日常が始まる。
それだけで十分で。それだけが必要な。
俺の大切な一日が始まる。
昨日話してた相手が、
急にいなくならないだけでも ――十分すぎる毎日が。