1/15 wed. 雨のち晴れ
ぼくは数学が得意だが、水戸尼は苦手だ。
人に何かを教える、というのは、
自分が勉強する、というのとは、また全く違う方法論が必要だ。
頭ではそれが分かっていても、なかなか実践に活かすことは難しい。
教える側が理解するのに苦労しなかった領域について、
教わる側が理解できない場合は、特に困難を伴う。
では、どうすればいいのか?
この問に対する回答は、矛盾するようだが、意外と簡単だ。
その道のプロに頼ればいい。教えることのプロ。
それは教師であったり、塾講師であったり、よく売れている参考書であったり。
先人たちの知恵が、苦労した足跡が、
まあ、様々な形で用意されているわけで。素直にそれに頼ればいいのだ。
ぼくはネットで人気の参考書を調べ、それを買い求めることにした。
明日、書店に足を運ぶことにする。
1/16 thu. 晴れ
http://lisge.com/ib/talk.php?dt_p=982&dt_s=356&dt_sno=43132008&dt_jn=1&dt_kz=20
ちみもう堂 という書店。
学校から割と近くにあって、前から気にはなっていたものの、
入店したのは今日がはじめてだった。
当初の目的は参考書を買うだけだったのだが、
中に入ってみると、案外奥行きがあり、
外から見たよりも大分広い店内で、書棚の数も多かった。
異能の本を探すのに夢中になっていたところ、うっかり頭を棚にぶつけて、
掃除中だった書店のお手伝いの子を無駄に心配させてしまった。
痛いわ恥ずかしいわで、散々だった。
でもまあ……それをきっかけに、
異能関連の本が並んでいる棚を教えてもらえたし、
なにより可愛い女の子と会話することができたのだ。
まあ、トータルで言えばプラスだろう。
たぶん同い年くらいなのに、お手伝いなんて偉い。
善人が服を着て歩いているような子だった。
ああいう子が幸せになれる世界になることを心から願っている。
1/18 sat. 曇りのち雪
………キュウリ………。
1/24 fri. 曇り
明日は放課後にミナト区で海岸沿いのゴミ拾いボランティアの予定だ。
ミナト区といえば、ぼくの住んでいるシモヨメ区からは一番遠い区で、
きっかけが無い限りあまり足を運ぶこともない。
貴重な機会なので、
ボランティアの帰りにでも、軽く散策してみよう。
1/25 sat. 晴れ
http://lisge.com/ib/talk.php?dt_p=4127&dt_s=793&dt_sno=13843009&dt_jn=1&dt_kz=70
『黒猫工房』。
ミナト区にあるその店は、魔法の道具を売っている。
ポエムめいた書き出しになったが、
本当の魔法を目の当たりにしたあとは、
それが嘘でも冗談でもないことがよく分かる。
店に立ち入ったきっかけは、最初の魔法。
店内をふわふわと漂っていた、羊のメリさんだ。
……空飛ぶ羊。
謎の存在だが、ヨツジさんはメリさんのことを“相棒”と呼んでいた。
物語に登場する魔法使いは、黒猫や鴉のような使い魔を飼っていることが多い。
であるならば、メリさんもヨツジさんにとっての使い魔なのだろうか。
ヨツジソウヤさん。
戸惑って、少なからず不躾な態度を取ってしまったぼくにも、
優しく接客してくれた、黒猫工房の店員さん。
自身の異能は『魔法使い』だと、さらりと言ってのけた。
売り物は、薬、お守り、薬効のあるお茶……が多いらしい。
紹介してもらった品々はどれも魅力的で、
ぼくはみるみるうちに、それらに魅了されてしまった。
きっとこれが、2つ目の魔法だったのだろう。
異能を自ら告知することには、単なる情報開示以上に重要な意味を持つ場合がある。
開示した者と開示された者の双方が、
「そういう異能である」と理解することを通して、共通認識を抱く。
この共通認識そのものが強力な暗示となり、異能の効果を強化するのだ。
推測にすぎないが、ヨツジさんの異能は恐らくそのタイプだ。
彼の紹介してくれたアクセサリーはどれも、日常的な手入れが必要なものだった。
“こういう結果をもたらす”という『効果』と、
『効果』を維持するために必要な『対価』がセットになっている。
ぼくは感心した。
『効果』を得るため、必要な『対価』を日常的に支払う。
この動作そのものが、『効果』をより高めるため、
自己暗示を深めるための儀式として成立しているのだから。
この儀式めいた動作によって、
『効果』を得るために必要な、永続的な『対価』の供給を、
アクセサリーの製作者は、アクセサリーの使用者に転嫁することができるのだ。
一体、誰がこんな仕組みを考えついたのだろう。
それが仮にヨツジさんだとしたら……
優しそうに見えて、結構、恐ろしい人だと思う。
イバラシティにおいて、
はるか昔―――まだ文明が今ほど発展していなかったころ、
ぼくたちの異能は最初、魔法とか魔術とか呼ばれていたことがあったとか、
そういう話を聞いたことがあったことを思い出した。
だとすると、『魔法使い』の異能は、
ぼくらの異能の、原初の姿をそのまま現代に残している、
貴重な―――生きた化石なのかもしれない。
今日から毎晩、
寝る前にこの虫眼鏡型ペンダントを磨くのを忘れないようにしなければ。
3,000円もしたんだから無くなられると困る。
1/26 sun. 曇りのち晴れ
さっそく忘れそうになってた。
日記を読み返して思い出した。
どうすれば忘れずに居られるだろうか。
スマホのアラームにセットしておくか。
1/27 mon. 曇り
このペンダントを身に着けてから、
トゥル助の調子が良いようだ。メガネが一段と輝いている。
そういえば新しく習得したスキル:『しらべる』もヨツジさんに使って以来
まだ誰にも試せていないな。
今度舎人に使うか。
3回目
1/30? thu? 相変わらずの形容不能な天気
オオザリガニ、ホシイモ、オオホタル
ハザマの沼地に生きるものたちとの戦いは、まさに死闘だった
ハザマでの生存が生半可なものではないことを物語るに十分だった
やつらとの遭遇時、ぼくは戦闘に慣れていないからと
仲間に言われるがまま、1人だけ後ろに居させてもらった
士円さんはともかく
ウチモさんとチャンディーさんに護ってもらうというのは正直気が引けたが
足手まといになるよりは…とその申し出を受け入れた
結果として、その陣形は正解だったのだろう
ぼくが前に居たら、もっと悲惨な結果になっただろうから
仲間の3人が次々と倒れ、最後の1人となったぼく
敵陣には手負いのオオザリガニとオオホタル
あとはぼくだけでもやれそうだ、という油断が招いた結果なのだろう
倒したと思ったオオザリガニが
オオホタルの回復スキルにより起き上がってきて
ぼくはオオザリガニと相討ちした
最後に残ったオオホタルが、ぼくらの命までは奪わなかったのは
奴も瀕死で、その場から逃れるのに必死だったのか
あるいはぼくらが奴にとっての捕食対象ではないという
ただそれだけのことだったのかもしれない
命あっての物種という
死ななかっただけでも運が良かったと思う
だが次もそれで済むとは限らない