
◇イバラシティ 某日 病院の一室
白い部屋の中、白いベッドに少女が横になっている。
白く細い肢体にいくつもの管が通っており、口には呼吸器が取り付けられていた。
部屋の中には彼女の両親と担当医が向かい合って座っており、規則的な電子音を響かせるベッドサイドモニタには、彼女の生存を示す数字が示されている。
少女の胸は静かに上下しているものの、ものかなり長い時間この状態のまま喋ることも、動くこともなく、触れても瞬きひとつさえ反応を示すことさえ無いまま生かされ続けてきていた。
胃には直接管を通され、定期的に巡回する看護師によって水分と栄養とが流し込まれて。
少女は既に植物状態だった。
「……残念ですが、これ以上は回復の見込みがありません。
延命は可能ですが、目を覚ます可能性は限りなく低いでしょう」
白衣を着た初老の男性は最初にそう前置きした上で、重苦しい雰囲気のまま続けて事務的に説明責任を果たしていく。その言葉の中には医療スタッフの力不足を謝罪する文面や、延命を続ける際の高額な費用についての説明など含まれており、
「嘘……嘘よ……だって、こんなにも血色がよくて……どう見ても生きてるでしょう……?」
少女の母親は言葉を受け入れらず、茫然自失といった風に言葉を漏らし。父親はその隣で肩を支えながら沈痛な表情で説明を聞いている。
どこにでもありふれた光景だ。
例えば街で車に撥ねられたとか。
学校でいじめの被害に遭ったとか。
家で自殺をしようとしただとか。
生まれながらに障害を持っていただとか。
そういった話はその辺に当たり前のように転がっているものだ。
その少女もまた、とある街の一角で。当たり前のように病院へ運ばれることとなった。
原因は後天性の希少疾患。徐々に身体や関節が樹の枝のように硬くなり、やがて脳の一部機能が停止して、完全な植物状態となる奇病。発症から一年で意識を失い、それから数えて今日で三か月。現代医学も特殊な能力持ちさえも匙を投げ、予め死ぬことが決まっていたように静かに今日という日を迎えた。
母親は病気発覚後から毎日病室へと足繫く通っていた。少女が読みたがる本を買ってきたり、好きな果物を持ってきて皮をむいてあげたり。
日数が経って段々と本を捲ることや果物を食べることが出来なくなってきてからは、本を代わりに読んで聞かせたり、フルーツの甘い匂いがするアロマを持ってきたり。
最初は感想を語り合ったりしたものだったが、それも段々と口数が少なくなっていく。
満足に口を動かす事さえ出来なくなると、次第に後ろ向きになりはじめた娘を励ましながら、何日も、何日も。
……そして眠る時間が長くなり、意識が戻らなくなってからは、泊まり込んで甲斐甲斐しく世話をして。
その日々はこれからも続いていく。
ほんの僅かでも可能性があるならば、と。
幸い両親は家柄も良く、父親の仕事も順調であったため、この先何十年も命が尽きるまで延命を続けていけるだけの資産は持っていた。
母親はその愛情の深さからいつまでもこの生活を続けるつもりであったし、宣告を受けて今はショックを受けているが、この日が来ることはずっと前から少しずつ覚悟をしてきていたのだ。決して受け止めきれないということはなく、もしも。もしも娘がいつか目覚めたら────
いつかくる、その日を夢見て。静かに娘を見守っていく。そのつもりだった。
父親の実家はその筋では有名な家系である。
代々受け継がれる特異な性質。それは小さな種のようであり、苗木のようでもあり。
また、大樹の様でもある一子相伝の秘術。父はそれを研究するために研究者として成果を上げてきており、ようやく先日その為の土台が整った。
何年もかけて計画してきた下準備は、しかし娘の発病を経て大きく頓挫する。
娘は動かぬ植物と成れ果て、隣で支えるはずの妻は娘を生涯世話していくと誓って。
そして…………
それから半年の後に、少女は退院することとなる。
娘は────夜道は、父親に付き添われて笑みを浮かべて。
すっかり細くなったものの、二本の足で歩いており、元気な姿で看護師たちに見送られて。その姿は半年前とは見違えるほどであり、病気の後遺症も実質ほとんど残っていない。
それは、どこにでもありふれていない奇跡のような出来事。
夜道は辛くて苦しい思い出がたくさんある病室から退院出来て、心底嬉しく思っていた。
となりでは大好きな父が微笑んでいて、握った手は温かくて大きくて。
なにより、また学校に行けるということが嬉しかったのだ。
以前住んでいた家は売り払ってしまったらしく、新しい地域でゼロから友達作りをしなくてはならないのが、少し残念ではあったけれど。
これからの生活を思い浮かべると、楽しくて楽しくて、仕方なかった。
夜道は白い大きな病室で、徐々に動かなくなっていく身体が恐ろしかった。
好きなことも、好きなものも。言葉さえも段々と離れていって……
大好きな人たちの顔はいつも苦しそうで。
それは、全部私が悪いのだと分かっていたから。
だから、精一杯笑顔で喜んだりはしゃいだり。
でも、それが満足に出来なくなってからは本当に辛くて、嫌で、苦しくて、悲しくて。
大好きな母の顔が悲嘆に暮れる姿を、泣きながら本を読む震える声をじっと聞いていた。
なにも反応を返せなくなってからも、ずっと。ずっと──……
こうして元気になったことで、悲しませてしまったことをひっくり返せるくらいに。
楽しい毎日にしていくのだと、帰途につきながら、そんなことを無邪気に思っていた。
───
降雪夜道の退院一か月前。
降雪桔梗が自宅の風呂場で倒れている姿が発見された。
手首は浴槽の水に浸かり、多量の出血はあったものの……命に別状はなかった。
それが、一回目の自殺未遂の記録。
───