「ね、■■■さん。なにものでもないって事は、
これからなにものにもなれる、って事なんですよ。」
カラン、カラン。鐘の音が響く。
裁定の振り子は、彼女の生を指し示した。
導きの星は彼方に輝き、彼女に標を齎すだろう。
彼は彼女に"祝福"を施した。
運命を操作するほどの、理不尽までな奇跡に護られるように。
星のように眩い笑顔で、いつまでも笑ってくれるように。
幾年月も、幾年月も、彼女が彼女らしくあれるように。
愛と、願いと、祈りを込めた。
「だからね、■■■さん。」
「きっと、楽しい時間を過ごせますよ。」
「僕より長生きしてくださいねぇ」
カラン、カラン。
星はいつまでも輝き、鐘は高く鳴り響く。
その鐘の音が自分に向く事は、
今まで一度もないのだった。
夢日記 page3
子供の頃から見る、不思議な夢がある。
気が付くと、自分は決まって、真白の道に立っている。
自分を取り囲む風景は何も無い。本当に、何もないのだ。
ただ白い空間が、視界の果てまで続いている。
そんな場所に、一人ポツンと、立っている。
唯一見えるのは、長い長い道の先にそびえ立つ、
これまた白いレンガ造りの塔だけだ。
その塔の頂上からは、カラン、カランと絶えず鐘の音が響きわたっているのだ。
自分はそこを目指して、長い道を歩いていく。
歩いているうちは、なぜそこを目指しているかはわからない。
ただ呆然と、"目指さなくてはならない"という気持ちがあるのみだ。
歩いている途中に視線を下にやると、自分の胸に穴が空いているのが見える。
乾いた空気がそこを通っていく感覚。ありがたい事に、痛みはなかった。
夢の中特有の、現実ではありえない事象、
これが何を暗示しているのかはわからない、が。
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新斗 「…………。」 |
なんて、
なんてむなしいんだろう、と。
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✦ 「……あは」 |
この夢の中じゃ、何も感じない。心臓の音が聞こえない。
自分の心の動きが、わからない。
まるでころりとどこかへ、大事なものを落としてしまったかのようだ。
自分が自分じゃないような、輪郭が溶けていくような感覚。
鐘の音が遠く聞こえる。星の光が、ぼやけて霞み消えていく。
形こそ定まっているが、ここにはいないような、
そんな気さえしてくる。
自分の中が空洞であるかのような空虚感と共に、
塔へ向かって歩いていく。
そういう夢であった。
✧
ここからの展開も決まっている。
自分はこの長い長い道を進み、やがて塔へたどり着く。
冷たい扉を開けて塔の中に入り、
天まで続くかのような螺旋階段を登りきれば、最上階へ。
ぱ、とそこで視界が開ける。
当然であるかのように最上階の部屋も白く、
人の気配は無い。
鐘の音はいつの間にか止んでおり、部屋を歩く自分の靴音だけが響く。
部屋の中央に机が一つ。
その上に小さな無色の水晶が、ぽつんと置かれている。
それを見れば、ああ、自分はこれを取りに来たのだと納得した。
その水晶には橙と緑の小さな何かの欠片が混じっていて、
白に透かせば、きらきら、きらきらと輝くのだった。
自分はその水晶を手に取り
ごくりと
飲み込む。
さらりと喉の奥で水晶が溶けた感触の後、
自分の中身が何かで満たされたような、
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✦ 「……ッ、ゲホ、 ゔ、あ、 」 |
否、虚ろであることに自分が馴染んだような。
そんな感覚が、あるはずのない胸の痛みと共に起こった。
白妙の世界に、自分が溶けていくような気分になって。
めまいがして、しゃがみこんで、ぎゅうと目を瞑って。
そこで決まって、目が覚めるのだ。
いつもは、それで目が覚めるはずだった。
今回は、違っていた。
遠のく意識の中、自分の耳は何かの音を拾っていた。
コツ、コツ、コツという、まるで誰かが、螺旋階段を登ってくるような音。
今までの一度だって、この夢に自分以外が出てくることはなかった。
子供の頃から同じ夢を見続けてきたけれど、こんなことは初めてだ。
これは今まで見てきた夢の、見たことのない続きなのだろうか。
……訝しんでいる内に足音はやがて近くまでやってきて、
そうしてピタ、と自分の近くで立ち止まる。
起きねば。起きて誰か、確かめねば。
段々と意識はハッキリとしてきた。ゆっくり、机伝いに立ち上がる。
そうして、足音の主を確認するために、顔を上げた。
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✦ 「……やあ! おはようございます、とでも言うべきですかね?」 |
ぼやけた視界が、明瞭になっていく。相手と目が、合う。
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✦ 「──はじめまして、"有心新斗"さん。」 |
そこには、クスクス笑いこちらを見ている、
変わり果てた姿の自分がいた。
その身体にはいくつものヒビが入っていて、頭には水晶の角が生えている。
その角も、片方はもう根本から折れてしまっているようだ。
宙に浮かんでこちらを見ている彼は、
化け物と言っても過言ではない容貌をしていて。
……けれど。
虚の心は、何も返さなかった。
本来の自分であるならば、驚きも、恐怖も抱いただろう。
でも今の空っぽな自分には、それはない。
自分と同じ顔の化け物も、何も思っていないようだった。
だから、自分と同じ笑みを浮かべる彼に。
いつも通りの笑顔を、同じ笑顔を返す。
心のある、振りをする。
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新斗 「……僕の夢になんの御用でしょうか。」 |
小首を傾げて、尋ねてみる。
そうすると、ひび割れた顔の彼はくつくつと笑ってこう言うのだ。
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✦ 「いいえ? 特にこれと言った用事は無いのですが。」 |
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✦ 「平和ボケしたその面を、拝んでやろうと思いましてね? 死にかけてると思いましたが、まあまあ元気そうで何よりですよ。」 |
そう述べて、空中で足を組んでこちらを眺める。
頭に浮かぶ星の冠がゆらりと揺れては、夜色の髪にちかちかと光を返していた。
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✦ 「ま、死なれたら困るんですけどね。 貴方には一応、幸せになってほしいんですよ? 私の力に喰われてるのが気の毒なのですが……。」 |
ふ、とこちらを伺い見るような、心配するような顔をする。
……自分は彼の、その顔を見て。
その言葉を聞いて。
嘘だ、と思った。
自分が嘘を吐く時と、おんなじ顔をしているから。
だから、
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新斗 「ふうん。」 |
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新斗 「嘘つき。本当の事を言いなさい。 他に用事はあるのでしょう?」 |
それに、と続ける。
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✦ 「"僕"は、僕に死んでほしいんじゃないですか?」 |
彼の述べた言葉に対する、真逆の質問。
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✦ 「…………。」 |
すると"僕"は、一瞬ふ、と表情を落としたあと。
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✦ 「貴方、病を患っているでしょう。」 |
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✦ 「ねえ、自分の寿命を知りたくはないですか?」 |
にこり、とわらった。
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新斗 「……………は?」 |
突拍子もない言葉に、思わず声が出る。
寿命どころか、自分は病も、何も、
「あ、」
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✦ 「心当たりはあるでしょう?私は今日、それを伝えに来たんですよ。 限りある時間を、大切にしてほしいですから。」 |
──幼い頃の記憶がフラッシュバックする。
病院に籠りがちで、勉強もろくに出来ず、友達とも遊べなくて。
苦しい思いをした。寂しい思いをした。
すべて、自分の持つ"病"のせいだ。
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✦ 「……僕の、寿命が わかるんですか?」 |
 |
アラト 「もちろん。」 |
返ってきたのは、二つ返事だ。
震える声で、尋ねる。
自分に残された時間は、どれくらいなのか。
彼女を置いていくわけにはいかないのに。
時間は、限られてしまうのか。
"僕"は、僕の言葉を聞いて口を開く。
 |
アラト 「その前に、一つ言わせてください。」 |
瞬間。
"僕"の姿は眼前へと迫っていて、僕を見下すように笑って。
ドン、と僕を突き飛ばした。
バランスを失った身体は、後ろへと倒れ。
──何故?
部屋の中央にいたはずなのに、最初から壁際にいたかのように
そのまま塔の外へと落ちていく。
──どうして?
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✦ 「祝福の真似事で、彼女を救おうと? 馬鹿馬鹿しい。 貴方の力はまだ不完全だ!」 |
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✦ 「思い上がるな。お前ごときに何ができる!? 結局お前は彼女を悲しませる事になるんじゃないか!!」 |
自由落下する身体。遠ざかる、もう一人の自分の姿。
カラン、カランと鐘の音が聞こえる。
──そんなこと、そんなことわかっている!
それでも僕は、知世子さんにとって星でありたかった!!
それなのに、どうして。
「教えてやろう、有心新斗。」
「お前に残された時間は」
「一年だ」
「振り子はお前の死を指し示したんだよ」
僕はまだ、彼女の隣に居たいのに。
夢は、ここで途切れた。