――――さあ、賽は再び投げられた。
チャンスはこの一度きり。しくじったらそれでお終い。
でもきっと大丈夫だよね。
今度こそ自分の意思で選んで。それがどんな結果になっても……
あなたがいたことを、私はずっと覚えているから。
「ぐ、ォあああああああああああああああああああああああああ!!」
「うッ、く、なんっ……クソッ……ォ、グウウウゥゥぅ……!」
身体の内側が張り裂けるような痛み。
唐突に意識が戻り、どれくらいの時間が経過しただろうか。
荒廃した大地の上でのたうち回る。
「ハァッ、ハッ、ハッ……何処だ、ここは……チィ……!」
地面を掻き毟る。
ボトボトと出所の分からない緑色の肉片が零れ落ち、同色の液体も溢れ出す。肉体が再生と崩壊を繰り返している。
記憶も混濁していた。異なる幾つかの記憶がまとめて一気に押し込まれたようだ。
「……イバラシティ……」
かき混ぜられた記憶の渦中。真新しく、穏やかで、突拍子もない日常。
初耳だ。そんな場所に行ったことは無い。
己は日向月都の表層人格と対決。敗北し、消失した。その後に切り離された力の残滓が、アンジニティに流れ着いた。
人としての意識などとうに消え、ただの獣として蠢いていただけのはずだが。
唐突に、エディアンと名乗る女のアナウンスが脳裏を過ぎった。白南海という男のそれも。
アンジニティチーム。ワールドスワップ。侵略。イバラシティ。
「そういう……ことかよ」
息も絶え絶えに呟く。『仮の住人』として再現された記憶や人格がこちらに流れ込んだことで、喪失していた自我が引きずり出されたのか。皮肉な話だ。
苦笑したかった。
しかし口から漏れるのは苦悶のうめきだけだ。
頭の内側に渦巻く怨嗟の声が、崩れかけた肉体を意識もろとも奪おうとしていた。
侵略。
侵略か。
奪い取ってでもこの袋小路の世界から脱出したい連中がいるのだろう。人格すら失っていた自分はその是非を問える立場でもない。
だが、何にせよ関係無いことだ。何しろその対抗戦とやらが始まる前からこちらは満身創痍なのだから。
イレギュラーな干渉を受け、不安定なまま呼び起こされた自分の精神も身体も既に再崩壊しつつある。次の瞬間には消えて無くなっていてもおかしくない。
そしてそうなることに未練も無い。
灰から生まれた男の残りカスが、今更何を望むというのか。
もはやどうでも構わないことだった。
何でもいいことだ、死ねば何もかもが。
「…………」
「…………」
「…………ヘッ」
「本当に、そうか?」
唇を歪めて、今度こそ皮肉げに笑う。
イバラシティの己も今と全く同じことを考えていた。チーズの沼に沈みながらだ。
そう、底無し沼にハマって死にかけた。しかもチーズのだ。意味が分からない。
「ヘッ、へ、ヘヘ、ふふ……フフフ」
顔を押さえる。笑いが止まらなくなっていた。
「ハハ、ハハハハハハ……はははは!」
意識が澄んでいく。
散らばった記憶の欠片が、こびりついた意志の破片が。
寄り集まって現在の自身を形作っていく。
全く、自分は何をやっていたのか。
女子と遊んだり遊園地に行ったり、
たこ焼きを一緒に食ったり、
民宿で年の瀬を過ごしたり、
焼き肉でおちょくられたり、
勧められて絵を描いたり、
熊に襲われたり、
原付を破壊したり、
社会人と異能遊びをしたり、
飯を食って泣いたり、
ピザ臭い林に潜ってはゴミ拾いをしたり、
チキンを奢ったり、
知り合いもいないのに催し物に混ざったり、
暗い海を一人で眺めたり、
バイト先で談笑したり、
寒空をただひたすら飛んだり、
昔を思い出したり、
それの他にも――――
「ふ……ふふ、馬鹿らしい。本当に馬鹿らしいよな」
地に膝を立て身を起こす。
ままならない腕を叱咤する。蠕動する肉の鎧を掴む。
「寄越せ。いや、違うな……返してもらう」
「――――外野は! 引っ込んでろ!!」
歪に膨れ上がった肉を勢いよく破り捨て、血煙と共に本来の肉体を構成する。
恨みがましい声は今でも鼓膜の内側を席巻しているが、慣れてしまえばどうということも無かった。
「っ……ぐ、ぜぇ……はぁ……、復元は……この辺りが限界か」
伸びた髪を邪魔そうに払う。左腕は完全に変質していた。集中すれば拳にも戻せるだろうが……これはこれで使い道があるか。
この服も懐かしい――――まあ、いつも似たようなものばかり着ていたが。
「さて、と」
顔を上げる。
視界が切り替わり、いつの間にか大きな時計台の前に立っていた。例の胡散臭いヤクザがこちらを見ている。
どちらに付くのか決まったということだろう。
もはや己には何も無い。
本来の居場所も、間抜け面を晒して共に死地を走り抜けた表層人格も、自分自身すらも。
だがそれでも。それでもだ。
「…………」
魂の奥底に揺らめく灯火を感じ、瞳を細めた。
「オレは俺のやりたいようにさせてもらう」