
『12月12日』
見知らぬ街で目を覚ます。
俺は確かにアーコロジーにいたはずなのだが、ここはどこなのだろうか。
……いや、認識を疑うのはやめにしよう。
俺の記憶には刻まれている。まるでこの街で生を受け、これまでの人生を送ってきたかのように。
相良伊橋高校2年3組、異能総合格闘部所属。これが俺に与えられたプロファイルらしい。
仕組んだのは神か、悪魔か、それとも――。どちらにせよ、俺はここでは学生だ。
かつては任務に明け暮れた俺だが、得られるとすら思っていなかったモラトリアムに浸れるなら、これ以上の事はない。正直なところ、高揚してすらいる。
元の世界への手掛かりは未だ全く見当たらないが、今はこの状況を楽しむとしよう。
聞けば、アンジニティと呼ばれる連中が、侵略を目的にイバラシティに潜り込んでいるらしい。
やはり、俺は戦いから逃れることはできないのだろう。だが、そうでなくてはならない。ようやく手に入れた青春のためにも、俺は日常を守り抜いてみせる。
『12月14日』
「さて、ここに来てから初めての休暇だが、どうしたものかな」
新居特有の清潔さから醸し出す透き通った空気の中で、当然の如く与えられた休日に、レイジはかえって困り顔で呟いた。
向こう側では特段の事情がなければ休日は自ら返上し、任務に割り当てていたレイジは、休日の過ごし方というものを知らない。
「あてがあるといいが……いや、あるにはあるな」
異能総合格闘部の面子を脳裏に順に浮かべ、部長の姿が浮かんだ瞬間に、レイジは休暇の過ごし方を決定した。
今日は他校とのエキシビション。対戦カードは部長VS部長。これ以上のカードはないだろう。厳密には片方は代行だが、彼の風格、実績を見ても、あれは部長と呼ぶに相応しい傑物だ。
「いつからだったかな……見終えたら着替えて、いつも通り一杯引っかけに行きたいものだ」
馴染みのバーの酒の味と香りを思い出す。今日の肴は特に上等なものになりそうだ。
『12月15日-12月16日』
「三日目……日はもう回ったから、もう四日目か」
深夜のアパートの一室に、キーボードの打鍵音が響く。初めての休日は予想以上に充実したものだった。異能の極致のぶつかり合い――あくまでスポーツとしての範囲だが――を観戦したレイジは己の力を一刻も早く取り戻すため、更なる薫陶を重ねる事を内心で誓約した。
今日一日の出来事といえば、バーでの一幕は興味深いものだった。
定命ならざる少女が取り仕切る、日向のような街に空いた、深く昏い安寧への風穴。そこでの短い時間は、かつて過ごした街でのそれに余りにも近く、レイジに一時の郷愁を抱かせた。
やはり、あの場所はいい。この街での夜は、退屈せずにすみそうだ。
明日は友人と焼き肉を食べに行く約束をした。折角だ。盛大に最高級の肉を買い溜めておこう。きっと良い宴になるに違いない……!
追記
:流石に、酒は持ち込まないでおこう
『12月16日-12月17日』
「四日目、および五日目」
探偵事務所ロックフォートでの焼き肉は落ち着きを見せ始めていた。
上等な肉をしこたま持ち込んだ甲斐あって、皆良い晩餐を楽しめたようだ。
異能総合格闘部にも顔を出すことができた。
まだ馴染めているとは言えないが……交友関係は少しずつ広がりつつある。これも全て、部長と刀崎依良のおかげだ。彼らには頭が上がらない。
自らの能力の検証もある程度は完了した。本来の力にはほど遠いが、戦闘行動に致命的な支障をきたすわけではない。とはいえこのままでは、いずれ足元を掬われるはずだ。徐々に復調させていく必要があるな。
最大の幸運は、『トランス』はオリジナルとそう変わりないスペックを保持していたことだ。俺達の存在そのものをギミックとする以上、この世界の調停者も、単純な力の強弱ではリミッターをかけられなかったのだろう。
更なる検証と鍛錬を続行する。
『12月18日』
先日、初めての異能格闘部で試合を行った。結果は完敗だ。
異能を意図的にセーブした戦闘ではあったが、それ故に、己の武技の未熟さが身に染みた。
8と15の歳月を重ね、イバラシティに飛ばされて一週間。生まれて初めての敗北だった。
だからこそ……全部が終わって、一人部室の外で黄昏た時、俺は耐え切れなくなってしまったんだろう。
アイツ……鈴司は、そんな俺の心を知ってか知らずか、叱咤激励を俺に飛ばした。
『己を隠すのは止めにしろ』と。
でも、俺はまだ駄目だ。やっぱり、■■■がいないとダメなんだよ。
皆は俺を「レイジ」と呼ぶ、でも本当は……
今度試合をする時は、少しだけ見せてみようかな。
いや、でもやっぱり怖いな。
――俺はここにいる。他の誰でもない俺は、確かにここに生きているんだ。
『12月19日』
キーボードを打つ手が重い。
それでも、書き残さなければならない事があった。
完全多重認識による世界そのものに対する致命的なエラーの誘発、疑似的な視点の階梯の変更による、物体の消滅後の座標再設定。
自分の身体以外に試すのはこれが初めてだったが、どちらも予想以上の結果をみせた。これは良い収穫だ。
代償として30枚ほど500円玉が部の倉庫に放り込まれたが、元いた世界の物価からすれば安いものだ。私物であるし、欠損させてもいない。概ね問題ないだろう。
問題はその後だ。安易な特異体質の応用は、アイツが表に出る隙を与えた。
過去に和解した身だ。別に争うつもりはない。もう互いに滅ぼし合う事もない。
だが……アイツが出てしまえば、周りの目は確実に変わる。
それだけは防ぎたかった。
その後の事情は帰宅後に聞き出した。
ティーナさんには、返しきれない恩ができたな。
『日91月21』
やっと、外に出れた
パンドラ……レイジ?どっちでもいいか。あの子でいいや
まったくあの子ってば、向こうにいた時は自由にさせてくれたのに、こっちだとどうして出してくれないのさ
この世界で初めて話した人は、ティーナさんっていうらしい
ティーナさん……優しくて、温かくて、まるで神様みたいだった
神様、なのかな。僕の大好きなオリエと、どこか似てる気がしたんだ
大丈夫……だよね。オリエは本人じゃないから、あの子はあの子だから。口にしても消されたりしないはず……おかしいな、何に怯えてるんだろう
とにかく、嬉しかった
このままずっと、僕は独りなんだろうって、誰にも気付いてもらえないんだろうって、ずっと思ってたから
こらえてた辛さとか、寂しさとか、全部全部あふれ出して、気が付いたら泣きじゃくってた
また、話したいな
今度、あの子に黙って教会に行ってみよう