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うそつきは、きらい。
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2月某日──何処かの喫茶店。外は雪がちらついている。
「いやあ、貴重なお話ありがとうございます。
まさか現役の刑事さんからお話を伺えるとは!」
「ハハハ、こんな爺でもお役に立てましたかね。」
男が二人、向かい合って話をしている。
机には原稿やら資料やら、紙束がいくつか。
「アンジニティ、笑い事では済まされなくなってきましたからね……
雑誌記者としては、不確実な情報で不安を煽りたくないもんで。」
この冬騒がれ始めたアンジニティによる侵略騒動。
集団幻覚か、はたまた異能者の大掛かりないたずらか。
なんにせよアンジニティに関連した事件が既にいくつか起きている。
黒いコートに身を包んだ、人当たりの良い笑顔を浮かべる男──十神零は、
万年筆を手帳に走らせながらため息をついた。
この騒動は、まだ不明瞭な点が多すぎる。
少しでも真相に近付くため、今回警察の人間を訪ねたところ出てきたのが
目の前にいるこの男。
「ま、私も担当ではない上もうすぐ退職する身です。
少ォし事情に詳しいだけの一般人と大差ありませんよ。」
目を細めて相対する、白髪交じりのグレーの髪を後ろに撫でつけた初老の男。
睦月創始。今年の3月をもって定年退職を迎える、本土出身の刑事。
コーヒーカップ片手にクツクツと笑って、取材熱心な男を眺めている。
笑う睦月に、肩を竦める十神。
「こういうのは肩書が大事なんですよ。
一介の記者である僕が妄想を語るより、
刑事の裏付けがあると書いた方が信頼感も増すでしょう?」
「ハァ、そういうもんですかねェ……」
「そういうもんですよ。」
雑多な音が溢れる店内で和やかに会話を続ける。
「ところで、話のついでに十神さんに尋ねたいことがあるんですが。
……ついでとは言いましたが私としてはこちらが本命でしてね。
取材に応じた対価として少々付き合っていただきたい。」
「あぁどうぞどうぞ。なんでしょう、僕に応えられることなら……
程々に、お答えしましょう。」
「フッ、程々に……か。では、この写真を見てもらいましょうか。」
そう言って、睦月は机の上に一枚の写真を出した。
「これは──
あら~うちの子じゃないですかぁ~!
あぁ~、可愛く撮れていますねぇ、いや~、素晴らしい!
どうしたんですかこの写真!演劇……ですかね!? ははぁ、わかりましたよ。
うちの十があまりにも可愛いから、一日署長として起用させてくださいと!
そういうことなら喜んで──」
写真を手に取りすっかり気分が良くなった十神だったが、
手に持った時の違和感に気付くと怪訝な顔で睦月を見やる。
「──随分古い紙、ですね……これ。
昔のインスタントカメラでも使いました?」
瞬間、睦月の顔が歪み、嗤う。
「……そうか。やはり、
その写真の人間はお前の子供か。」
鞄から別の資料を取り出し、十神の方へ軽く放る。
「
それは今から35年前に起きた新興宗教絡みの大量殺人事件、その首謀者だ。」
「…………は?」
突拍子もない事を言い出した睦月に唖然とした顔をするしかない十神。
訳もわからないまま出された資料を見て、顔を顰めた。
『目付教殺人事件』 事件概要
1984年、F県で発生した新興宗教団体による大量殺人事件。
「目付教」と呼ばれたその集団は異能者を神と祀り上げ、
断罪と称して50人以上を殺害した。(正確な人数はわかっていない。)
警察の捜査により教団幹部である夫妻は取り押さえられたが、
その子供であり教祖であった少年は捜査中に行方不明となっている。
「……この資料が、なんだっていうんです。
これがうちの子とどう繋がると言いたいんですか。」
「十神さん、アンタも記者ならこの事件くらい知っているでしょう。
目付教の人間の悪行の数々を。罪もない人を陥れて殺害し、
関係者全員が全員、罪をなすりつけ合って逃げ回ったクソみたいな事件だ。
神であり教祖であるこいつも例外じゃない。」
睦月は憎々しげに、けれどもそれを懐かしむ様に話を続ける。
「で、だ。俺はこの事件で教祖の少年を追っていた。
──先輩の仇だ。必ず捕らえてやろうと、必死に追跡した。
あと少しというところまで追い詰めたんだがな……
こいつは、
俺の目の前で消えたんだよ。
まるで異世界にでも吸い込まれるかのように。
……ところで十神さん、アンジニティの侵略能力、どんなものでしたかねェ……?」
突然の問いだったが、その解は十神が取材中「夢を見た」と言った人から何度も聞いたもの。
「……世界の一部、その改変。
辻褄を合わせて、侵略先の世界に紛れ込む……」
「正解。」
心の底から愉快そうに口を吊り上げる睦月。
「私はね、消えた教祖はアンジニティとなって
こちらに来たんじゃないかと考えてンですよ。
この前あなたのお子さんを見た時にピンときましてね。
瓜二つ、なんてレベルじゃない。本人そのものだと。
学校や社会には自然に馴染んでいたみたいですけどねェ、
私の古い記憶がどうにも引っ掛かった。だから調べたんですよ。
神を騙る人格。曖昧に暈された性別。記憶を読み取る魔眼。
“十神十”は確かにイバラシティに存在しているように見えるが、
カンナヅキスズ
その存在は余りにも教祖──
十月鈴と共通している。」
「……何が、言いたいんです。」
取材用の人当たりの良い顔は次第に崩れていく。
十神は明確な敵意を持って、睦月を睨みつける。
「十神零さん。アンタがこの写真を見た反応で俺は確信した。
実の親が子供を見間違えるか?ましてや、アンタのような子供思いの父親が。
あぁ、アンタは間違えちゃいない。正しく”
自分の子供”を認識した。
“改変されて自分の子供となる前の人間”を、確りと
”自分の子供”だと認識した。
だから俺は断言する──
──
十神十は、侵略者だ。」
店内は変わらず静かな音楽が流れていて、程々に騒がしい。
その中でも、拳を強く握った十神の、怒りに震える声はよく通る。
「──十が、侵略者?何を言うかと思えば。
十は、生まれてから今までずっと僕の子供です。
あの子が生まれた日の事も、あの子の異能を初めて受けた日の事も。
あの子が……異能のせいで虐められて、辛い思いをしていた事も。
あの子がこのイバラシティに来て、また笑うようになった事も!!
それを全部嘘だって言うのか、あんたは!!
ふざけるな!
あんたに十の人生を否定される謂れはない!!」
声を荒げると周りの客が何事かと振り返る。
男たちの間にはしばしの沈黙が流れて──
振り返った客もまた視線を戻して各々の時間へ戻っていく。
「……ハッ、信用には至らなかったようだな。」
「当然。僕は子供思いですからね。
そんなことを言われて黙っていられるほどお人よしじゃない。」
乱暴に札束を机の上に叩きつけて、十神零は立ち上がる。
「取材費です。お受け取り下さい。
……出来れば二度と顔を合わせなくて済むことを祈ってますよ、刑事さん。」
「あぁ、どうも。ハハ、私も嫌われたもんだねェ。
こちらとしてもあなたとは顔を合わせたくありません。
私の狙いは最後に残った目付教の人間、ただ一人なんでね。
……俺は己の正義の為に奴を斃し、あの世で罪を償わせる。」
「なら、僕はあなたという誤った正義から十を守る。」
「……そうかい。」
「ええ。では失礼します。」
いやらしい笑みを浮かべる睦月を一瞥して、十神はその場を去った。
雪はまだ、降り続いている。
「何がアンジニティだ。」
舌打ちと共に吐き出した言葉は、冷たい空気に飲み込まれるようにして消える。
十神零が我が子を疑うことは決してない。今までも、これからも。
──そうなるように世界が改変されていることなど、誰も気付くことはない。
- Side 99 -
春休み最終週のある日の深夜。
子供部屋からは物音ひとつなく、もう子供たちは寝たものだと私は思っていました。
けれど、あの子は寝てなどいなかったのです。窓から外出していたのです。
帰ってきて部屋から出てきたあの子と、居間にいた私は目を合わせてしまいました。
普段私は異能を遮断する効果を持つコンタクトレンズを着けていたのですが、この時は外していて。
だから、あの子の異能によって恥をかいた記憶が想起されてしまったのです。
出来事自体は
財布を忘れたなんていう些細なもの。
問題はその記憶の場所、そして異能が効いてしまったという事実。
異能を遮断する道具……
あの子へ送ったサングラスと、そして私が秘密裏に作ってもらっていたコンタクトレンズ。
それを購入した店内での会話が想起され、その記憶はあの子に読み取られたのでしょう。
『すっ、すみません!今すぐ取りに戻ります──』
『いいよ、今度来た時に払ってもらえれば。ないと困るンだろう?それで?お子さんにはまだ隠しているのかい。』
『ええ。十にはこんなこと言えません。
ここの道具を使って異能を防いでいるなんて知られてしまったら、あの子に拒絶されてしまうかもしれませんもの……』
私は長い間、自分に異能が効かないのは「あなたには何も隠すことがないから」と言っていました。
それが嘘であったことが、暴かれてしまったのです。
私ほど不誠実な母親がいるでしょうか。あの子を守るつもりで、傷付けた。
その時のあの子の顔は、忘れられるはずもありません。
『嘘吐き』、それだけ言って部屋へ駆け込んでしまいました。
謝っても、返事をしてくれなくて……
しばらくそっとしておくべきだと思ってしまったのです。
けれど、始業式の日になっても出てくることはなく。
ドアを開けたらその時にはもう、もぬけの殻でした。
机の上には手紙がいくつか。そして──
いくつもの、潰れた、まるい、紫色の、
・
・・
・・・
「あなた、十が。十が、いないの」
自分の罪を隠すように、私はそれを隠しました。
- Side 10 -
わたしは、生きていて良いのでしょうか。