振り下ろした腕が何かを叩き潰した。
いや“何か”ではない、これは“誰か”だ。
俺は知っている。この人が誰かを知っている。
この腕の下で潰れて死んだこの人は、向こうでは小さい頃から俺を可愛がってくれた近所のおばさんだ。
どうしてこんな場所に来てしまったのだろう。俺と出会わなければ、おばさんは生きていられたかもしれないのに。
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タウラシアス 「おい、俺だ!わかるだろ?こっちへ来てくれ!助けてくれ…足をやられた、動けないんだ…!」 |
慌てて駆け寄ってきたのは、俺の店の常連だった。いつも値切ろうとしてくるケチな奴だったが、この時ばかりは血相を変えて駆けつけてくれた。
「どこだアンディさん、今助けてやる」と言って俺の足元の瓦礫を探っている。その首をじっと見下ろす不気味なオブジェなど気にかけはしない。
次の瞬間オブジェのように突っ立っていた怪物の腕がそいつの襟首を掴んで持ち上げ、振り回して悲鳴を楽しんだ後に刃のように鋭くなった足に叩きつけて沈黙させた。
俺を助けようだなんて思ったために、コイツは死んでしまったのだ。
このハザマで連絡を取れたのもほとんどが侵略者ばかり。
唯一あの子だけは向こう側だった。
アイツは俺が本当に怪物だと知ってどうするだろう、泣くんだろうか、憎むんだろうか、いずれにせよ傷付くだろう。
だから知りたくない、聞きたくない。
だけど怪物は喜んでその答えを聞きたがるだろう。
もちろん俺もそれを聞かさせるのだ。
俺に逃げ道はない。
この怪物に何度も呼びかけてみた。
「もうやめてくれ。俺が目障りなら消えるから、元いた場所に帰ろう」と。
だが怪物から一度も返事はなかった。
この怪物は俺自身なのだ。聞こえていないはずはない。
つまり、敢えて無視をしているのだ。目障りだとすら思っていない、俺が取るに足らない存在だと態度で示しているのだ。
……もしくは、こんな俺の悲鳴ですらこの怪物にとっては楽しみなのかもしれない。
そんな怪物とどう対峙したらいい?
俺は勝てない、絶対に勝てない、勝てないように作られている、怪物の気まぐれでここにほんの一欠片残されているだけだ。
怪物が再び俺の腕を振り上げて、逃げようとする誰かに斧を叩きつけようとしている。
どんなに腕に力を込めて止めようとしても止められるようなものではなかった。
しかし、異能を使うのなら?
咄嗟にそう思って、振り上げた腕を全力で硬化させた。自分の体に硬化をかけるのは二度目だ。二度とそんな事はすまいと思っていた。その時に俺の左足は自由を失ってしまったのだから。
けれど今はこの腕も俺の足と同じように動かなくなってしまえばいいと思った。
こんな怪物の腕は動かなくなってもげてしまえばいい、と。
――わずかに腕が軋んだ気がした。
殺されるはずだった誰かはそのお陰かはたまた偶然か、紙一重で凶刃の下をくぐり抜けて走り去っていった。
追う足のない怪物はただ立ち尽くしてその背中を見ている。
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タウラシアス 「…………やめろ」 |
初めてその怪物が、俺に向かって声を発した瞬間だった。