久しぶりの戦いは、思ったよりもあっけなく終わった。武器を使うまでもなく、拳と蹴り、それだけで血の色をしたスライムのような何かは崩れ去ってしまった。
身体の調子はずいぶんと良くなっていた。薬の使い過ぎで壊れた体は、すっかり元に戻っていた。つぶれてほとんど見えなくなってしまっていた目は、相手のようすをつぶさに観察できるほどになっていた。動かなくなっていた左足も、自分の体を支え、地面を蹴って力を生み出すことができるほどになっていた。左足で相手を蹴り飛ばしたとき、丈夫な靴に包まれた自分の足先が相手の体にめり込んでいく感触を確かに感じ取ることができた。両の足で大地を踏みしめ、腰をひねって拳をナレハテに向けて振りぬくとき、地面から生み出された力が、自分の体の中を伝ってねじれと共に相手に漏れることなく移り渡っていくようすが感覚できた。
右手を肩の高さまで上げる。そのまま、すうっと地面と水平にゆっくりと動かしていく。自分の手が空間を切り裂いて綺麗な直線を描いた。右足をゆっくりと上げていく。左足一本で体を支え、バランスを取りながら、足を大きく開いて頭の上の方まで上げた。足の軌道は綺麗な曲線だった。
足元に落ちているコンクリートのかけらを拾い上げる。ポンポンと手の上で弾ませて重さを感じ取ってから、垂直に高く投げ上げた。コンクリート片がやがて頂点に達し、真下に落ちてくる。
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「……よっと。」 |
雫が垂直に飛び上がる。空中で体を横向きに倒し、体を回転させて反動をつけ、右足を上に伸ばした。地面からおよそ四メートルの位置で雫の右足がコンクリート片をとらえた。蹴り飛ばさないように力と動きを調節しつつ、欠片を甲に乗せるようにして回収する。回転の勢いのまま、足から手へと欠片を投げ飛ばす。地面に着地するときには、雫の左手には投げ上げたコンクリート片がしっかりと握られていた。
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「うん、上出来。」 |
欠片を蹴り飛ばすと、近くの廃ビルの割れた窓の中へと吸いこまれて行った。体の制御には問題がなかった。
しかし、体について一点気になることがあった。ナレハテとの戦闘中に負ったはずの傷……それは戦闘終了後にあっという間に治ってしまっていた。雫には傷をたちまちに治してしまう能力など存在しない。そうすると、自分の体は一体どうなっていまっているのだろうか。一つ思い当たるところがあるとすれば、雫は既に死んでしまってるということだ。死してなお、自分が体を保っていることが原因なのではないか、生前の自分の体とは違うのではないか……そう考えてしまうのだ。
『ここでも、向こうでも、雫ちゃんは生きてる。その身体も魂も本物だって、わたしが断言してあげる。』
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(……そう、言ってはくれたのだけれど。) |
千雪さんはそう言って励ましてくれた。だが、今の自分の治癒能力は、普通の人間のそれとはかけ離れているし、雫自身の記憶のそれともかけ離れている。もう死んでいるから、死者の体だから、傷はたちまちに治ってしまうのではないか。体の鼓動も体温もかりそめのもので、自分は冷たく朽ちていく死者だから、体の傷をものともしないのではないか……そう考えてしまう。
きっとこの世界に来たのは、罰なのだ。仲間は戦場で苦しんで死んでいったのに、自分は生き延びて、治療まで受けて、安らかな最期を迎えることができたことへの罰なのだ。皆と同じ極光の彼方へ行くためには、最期に得られた温かさをすすがなければならないのだ。この戦場を最後まで駆け抜けて初めて皆と同じところへ行けるのだ。だから、死んだはずの自分の魂に、怪我が治るかりそめの体が与えられたのではないか。たとえ道半ばで斃れることがあったとしても、それは仲間の苦しみに到底及ばないだろうから、何度斃れても前に進むことができる体を与えられたのではないか。
……そう考えると辻褄が合うような気がした。自分が斃れたとき、どうなるのかは分からない。ただ、それでも自分は戦場で目を覚ますだろう……そういう予感がした。
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(……だって、わたしが行く場所はそこしかないから。) |
もう、自分は道に乗っている。あとは歩いていけばいいだけなのだ。用意された道を、ひたすらに。ひたすらに。