某日、ベースキャンプ
薄暗い「ベースキャンプ」の隅で、私は膝を抱えて丸くなっていた。
不気味な空の夕暮れ色、冷たい空気、土の香り、手に持ったペットボトルの水がひんやりと冷たい。
現実感の無いそれらを、五感が現実だと教えてくる。
人の声が遠くでする。私の知っている生徒たちもいる。ざわついている。
他の人から見えない場所を選んですわりこんだのは、生徒たちから距離を取りたかったから。
――大丈夫、もう少したてば笑顔になれる。
こんな経験は初めてだった。痛いわけでも苦しいわけでもなかったけれど、息が、詰まった。
しばらくしてまず思い出したのは呼吸の仕方だった。
息をすって、はく。
冷たい空気が肺へと入り、つんとした空気が、気管を通って胸へと伝わる。
さっきまで理科室にいたはずだった。
気づいたら私はここにいた。
夢とは違うのがわかった。いつもの日常に別の映画のフィルムが無理やりつなげられたかのようだ。
今日来てた服とも違う、今日の化粧の香りとも違う。
ここに来た瞬間、私の「設定」が流れ込んできた。
私は侵略者である「アンジニティ」らしい。
蚕の異形、人々に忘れ去られ、ゆがんだ現人神である「銀の巫女」
『この街はシルクの町と呼ばれることになるかもしれないぞ?』
『そうだ、神社を作ってこ巫女様をたたえよう』
『蚕の文字をとって、神社の名前に付けましょう』
そんな、人々の会話を”覚えている”。
――ちがう。
私はさっきまで理科室にいた。ハレ高の先生だ。
ちょっと前は流星を皆と見たし、こないだはバレンタインデーだった。
作ったクッキーのレシピだって覚えている。紅茶の香りがうまく出たんだった。
「こかげちゃん先生ー?どこー?」
だれかの生徒の声がして私はどきっとする。いや、そうだ、私は先生だった。
なにかが起こっているのは確かだ。
私は、異能をもっているし、どちらかといえば戦える。まずは疑問はしまっておこう。
生徒を傷つけちゃいけない。先生が生徒を守らなくっちゃいけない。
異能格闘技の話を聞いた時、私は本当は生徒に「戦う」ことを意識してほしくなかった。
ハレ高は温厚な子たちがそろっていると私は思う。
やんちゃなことはするけれど。武力を好んでする子は少ないように思う。
水を一口飲む。これだってさっき生徒にもらったものだ。
うん、ちゃんとおいしい。いつもの通りだ。
「皆、私よりしっかりしてる」
アンジニティの”設定”が本当かもしれないし、この”先生”がもしかしたら架空なのかもしれない。
世界5分間仮説を思い出した。人類は5分前に生まれたといわれてもそれは反証できないのだそうだ。どうってことはない、それだけ世界は不安定なものの上に成り立ってる。それでも、私は私だ。
「はーい。わたしはここだよ、ごめんごめん。みんな結構落ち着いてるみたいだね?びっくりだー。えらいぞー。」
うん、大丈夫。私はちゃんと笑顔だ。