この革袋に入っている腐肉すら凌駕する――腐臭だ。
　どうやら砂地に侵入口があったようだが、
　かなり先回りした私には気づけなかった地点だった。

　王と名のつく者の姿がここの最奥にあるらしいが、
　果たしてそれはキエメのような種族の王なのか、
　この国の王の話なのか。……多分、前者だとは思うが。

　地下牢である以上、この先に道があるとも思えない。
　勘に従うなら寄り道の可能性大。
　先にヴァルの件で別所に赴こうかと考えている。

　眠ると、あれがうるさい。
　まるで卵の殻の内から雛が小突いてくるように。
　ガンガン脳を揺さぶられている感覚だ。

　大丈夫だ、と言い聞かせながらも、
　いつかの占いの結果が脳裏を過って仕方ないのだ。
　せめて、美味しいものを食べよう。

　物珍しいのか、ナスルは牢の方に近寄って観察している。
　横目で仲間の方も一瞥し、ほくそ笑んだ。
　

　何かを諦めることは捨てることではないと、そんな風に嘯いて。

　ずばりと切り捨てた。

　ナスルの曖昧な反応にコノエは薄っすらと笑みを浮かべる。

　綺麗なら普通に墓に入れられるんだがと呟いた。

　ナスルの感嘆の吐息にアラトは艶やかに微笑んだ。
　コノエは人前で膝をつくことも頭を垂れることもなんとも思っていないようで、アラトによしとされるまで
　そのままの体勢をとっていた。

　大事なことなので二回言ったようだ。

　視ればわかる、という言葉にアラトが目を輝かせる。

　そして可愛らしいポーズをとって見てくるナスルに自信ありげに微笑みかけた。
　何もかも承知したふうのコノエが一枚の紙を取り出しアラトへ捧げ持つ。

　そこには恐らくナスルカエルを横から見たものであろう絵が描かれている。が、細かい装飾は諦めたようだ。
　絵の下には何かの記号が書かれており、それを認識した瞬間に『ナスル』と読めるように変化した。
　それが言語翻訳の魔法の効果であることもわかるかもしれない。
　――ついでに、全てがアラトの手描きであることも。

ナスルがとった拳をしげしげと眺め
「なるほどなるほど」と顎に手を当てながら神妙な面持ちで

――予想外にも速く、強く放たれたナスルの拳
身構えるのに一瞬遅れたが雪光より速く白波の刺青が反応し
無意識に考えるより疾く

寄せる波が如く、ナスルの拳を肩の手前で掌に掴み
引く波が如く、掴んだ衝撃を肉へと骨へと大地へと受け流す

間に合った安堵か、ふぅと一息付き

拳を包んだ掌から聞こえる微かな音、妙なにおい

ブルーノもつられて、裂けた口の端を上げてケラケラと笑う。

何でもできそう、と言われると、照れた様子で俯いて頬を掻いた。

米と虫を美味しそうに頬張るナスルを眺めつつ、
香辛料の用途を聞くと少々気まずそうにふうん、と頷き、それ以上追及はしなかった。
それから日本人の知り合いの話に、へえと相槌を打ち。

若干、躊躇するような間が空く。

あえて本当のファミリーネームは口にせず、
ナスルに問いかけた。

大きな手で頭を抱えた後、申し訳なさそうにしていたが、
ナスルから茶碗を差し出されると、ニィと笑ってそれを受け取り。

再び容器の蓋をあけると、中からほかほかと白い湯気が立ち上る。
大量の白米の一辺をしゃもじで救ってこんもりと盛り付けると、
今度は先程より多く、甘辛い虫を乗せてナスルに差し出した。

視線は背後のエンブリオに釘付けだ。
先程まで鶏の様な風貌だったエンブリオが、突如変貌した…。
それが凄いのかは、わからない。

水霊、セレナは敢えてナスルには振り向かぬまま、
盲目の少女の背中を両手で押しながら、香ばしい匂いのする店のなかへと、
わざと押し入れていった。

軽快な声とともにリラを店のなかへと押し込み、
そのままリラが店員に戸惑いながら案内されていくのを見送るセレナ。
やがて、席のほうへと向かったのを確認して、一息。

ナスルのほうへと振り返らぬまま、つぶやく。

言葉のなかには明らかな警戒色。
むしろ敵意さえ感じられるほどの色が含まれてもいた。

言葉を終えてから、ゆっくりとセレナはナスルへと振り向く。

でも、と続く。

言葉には明らかに含んだものがあり、いつのまにか問いつめようとしたナスルが、
反対にセレナから問いつめられるような雰囲気へと一変していたのだった。

　ゆっくりと呼吸し背を伸ばすナスルの腕には、かすかに閃く腕輪。
　

　ナスルは拳を突き出し、確かめるように手首を軽く捻った。
　

　肩の力を抜き、ナスルは代わりに足をすべらせるように伸ばした。
　

　静かに構えを解き、
　ナスルは無意識のうちに顔を確かめるように触っている。
　

　髪を靡かせて、別方向へとナスルは歩んでいく。
　

　私心を押し殺し、ナスルは黙々と作業を始めた。
　その沈黙とは裏腹に破壊音が周囲に轟く。
　

　
大礼拝堂から激闘の音が響いている。