すこし、さきのはなし








　しん、と静寂に呑まれた地下牢。闇夜にぼんやり浮かび上がる様な、夜闇に揺らいで融け込んでしまいそうな。そんな彩と気配を纒った赤紫の髪は地下牢に香りを揺らす。ちゃらん、と腰のベルトに付けられた錠前を震わせて歩を進ませた。こつこつと古びた石工の廊下を進めるたび、闇を撫ぜるように透き通った布帛の端が靡く。
　途方も無く歩き続けた末、彼女が誘われたのは青く光るスピリットの灯。光に惹かれた蛾の如くふらりふらりと足を進め、

「――……、」

　やや拓けた処に、出た。少しだけ森の影響を受けてか、苔むした場所や、岩肌がつきでている所もが少し見受けられた。地下牢という特性上、広大な空間を作るのは少々不向きに思えるものの。
　ふわりとふいと揺らす。闇に溶け入っていきそうな。否、さりとてまるで夜に浮かぶ霞月のように、朧ながらも確かな存在感をソレは発する。

「……」

　その来訪を全体で感じ取るかのように、さわりと相手の方角から風がたった。
　ゆっくりと影の顔が持ち上がる。それはお面を付けていた。青い魂光の中にうかぶ、凹凸があり人のような特徴で、少々毛深く色黒な顔単純化された造形ながら精巧な出来と取れる猿貌の顔がそちらを向いた。黒く塗られているため、簡単な造りでも目元に深く険しい陰を刻む。
　耳から滑り落とした手を、懐に忍ばせ引き抜いた。おもむろに抜きだした片手で、ぞろりと扇形に開く三つの面。かの者の足元へと投じる。一つ、二つ――右から順に荒削りのやはり単純化された面が手元から伸びた。嘴の長い鴉、鷹、鷲の面。そして再び手を耳元に戻した。だが顔は相手の方を向いたまま。あたかも好きなものを選べ、とでも。岩の上に留まり続けたまま。
　『最後に逢った』頃よりもずっと伸びて、もうすっかり元通りの長さになった長い髪。羽衣の様な布帛、巫山戯た……否、道化るような愛らしい帽子以外は、何ら変わらぬ姿。然し目の前の其れは、別人かと思う程に面が変わっていた。面を被っている以上、当然なのだろうが。
　『一番最初に出会った』時より、きっと華やぎが増した。輝きが彩りが、きっと相手の中でもたくさんのものが変わっていったのだろう。沢山のものが抱えられて今がある。幾重もの時を紡ぎ、ここでこうして対峙し合った。
　また『出遭った』頃よりも黒が増した。色々な意味で、色が薄れただろう。吹けば消える風前のともしびのように。仮面はただただ静かに、だが周りの風景に溶け込みきらぬ歪な不自然さを伴って岩の上にいる。

「……はて」

　ただ、面だけでなく、気配や雰囲気までもが変化している様に思えた。くたりと小さく頸を捻った偽は、不意に投じられた三つの面を見下ろした。足許に転がされる、其々違う貌の面。六つの眼が、ぽっかり空いた空洞の眼差しを此方に向けている。

「……東方には、見ざる聞かざる、言わざるという像があるそうですね」

　何も物言わぬあなたには、それこそが相応しいと思うに。
　無言で其方を一瞥くれてやってから、身を屈めて、地に指を伸ばして禽の面を拾った。
　ほそりとした骨色の指が拾った。選んだ禽の面。再び夜気を裂いて飛ぶ。次の瞬間には、耳から外れた手が取っていた。空いた片手で猿の面が覆われて、横ざまに入れ替えるように禽の面がはまる。それまでぴくりとも動いていなかった、丸まった背中が微かに伸びて、肩が落ちる。

「……王よ、我が《王》……不死の王、ですね」

そこには既知と認識する、ノーライフキングと呼ばれる者がいた。

（相手の感想に、んー…と暫く考える顔をしてから）

（何だかほんのり照れているようにも見える様子に、楽しげに左右色違いの瞳を細める）

相当に前科がある樣子。じっとしてるのは苦手みたいです。

興味深そうな様子だった。
異世界への移動経験自体、あまりないので今後の参考にするつもりなのかもしれない。

一見もそうだが、それ以上に百聞の方に興味津々だった！
行動派ではあるが、曲がりなりにも魔法使い、という事らしい。

繕うように言われれば、バツが悪そうな顔を浮かべて。

"こちら"でもジロジロ見るのは躊躇われたのか、一瞬だけ目線を向け、その後は意図的に少し視線を外しながら話しかける。
続く偽の話には、口には出さず考え込み始めた。

こう脂ぎった見た目がなんか嫌なようだ。

これが力を、持つこと。
これが末路、ということ。

共感が得られたことが嬉しいらしく。にこにこと。
どのような方法で転移するのか、なんて、ルカには想像もつかないけれど、

何がってその表現力の乏しさである。

それまで、お互いに事情が変わっていないといいのだけど。
なんて言葉は心の内にしまい込んで、シズは会釈をし、先に歩き出した。
それを見、彼女を見、とした後、ルカは、ぱっと彼女へ手を差し出す。

すこし、黙っていた。
偽を見ている。

必要とされるために、魔法使いで在り続けることを求めているのならば。
畢竟、そういうことになるのであろうけれど。

気分を害したのなら流してくれていい、と、
気遣ったのか、そう一言付け加えた。