※時間軸は、攻城戦後です※
そして、今回もENo.1196コトカ・ラヤヤルヴィさんの日記とリンクしております。あわせてお読みください。






ルカと、シズさんと、アリシアさんと別れて、水辺を進む。
いつものように、コトカさんの少し後ろを、時々周囲を見回しながら歩く。
会話は、ない。
その原因が、こちらにある事は分かっていた。けれど、何も出来ずにずるずると、そのままだった。
ずっと、頭の中を埋め尽くすように、回る思考。

やるべきこと、使命。
何も掴めていないこと。成果を出す為の努力を怠っていること。
そして、親友が残したあの日の願い。

これまでずっと共に居た、仲間。
皆の声。短いようで長く感じた、とても慌しい日々。
そして、コトカさんと一緒に行くと、そう言ったあの日の約束。

巡り巡って、同じところを巡って。決めなければならないのに、決められなくて。
気がつけば、あれからあまり、眠れないまま。ただ、やってくる出来事を、こなしてきた。
ルカたちにも、誤魔化しはしたけれど、きっと気付かれている。悟られないでいられるほど、嘘は上手くないのは、自分でも分かっている。でも、言えるわけもなくて。

最近は、イェジとも、ほとんど話していない。
彼は、聡いし、鋭い。下手に喋れば、きっと怒るだろうし、
……きっと、こんなことで悩んでいるなんて、馬鹿らしいと、そう言うだろうから。

大丈夫。なんでもない。ちょっとぼんやりして。考え事をしていて。
嘘で、虚勢で、線を引いてきた。誤魔化して来た。
通じていないと、分かっていたけど、それしか、出来なかったから。

少し離れて歩く、小さな背中を見る。
コトカさんには、これまで何度、誤魔化しの言葉を言っただろう。
こんなことで、心配なんかさせたくない。
でも、言えない。口を開いたら、今の状態じゃ、何を言うか分かったものじゃない。

『ならいっそ、彼女がしなくていいようにすればいい。お前が、離れれば。』

暗い声が囁くのを、首を振って打ち消そうとして。

――ぞわり、と。
首筋に走った、寒気のような感覚。殺気。
気配は背後、それも近い！


「……っ！？」


振り返る。
視界の端、水面から伸びる触手。特徴的なそれは、クラーケンのもの。
ここまで、全く気付かなかった。
手にしていたフレイルを振るうのにも、回避するにも、あまりに距離が近すぎる。
間に合わない！


「――ミハウ！？」


コトカさんの声が耳に届くのと、触手が振るわれるのとは、ほぼ同時だった。


　*　*　*　*　*


結果から言えば、撃退は、出来た。

道の端に荷物を置いて座り、手当てを受ける。怪我を負った腕には、治癒を施してもらって、今は痛みも薄い。
真白い包帯を巻く彼女は無言で、何を思っているのかは分からなかった。

明らかに、自分の不注意が招いた怪我だ。
考え込んで、周りへの警戒を忘れて、挙げ句に奇襲を受けて、怪我をして。
本当に、情けないし、どうしようもない。


「……すみません」


こうやって、謝るのも何回目だろう。けれど、そうとしか言えない。
言葉は、返らない。沈黙のまま、巻く手だけが動く。
暫くして、包帯をきちんと巻き終えてから、コトカさんは、口を開いた。


「ミハウ、……最近、変よ。何か、あったんじゃないの？」


視界の端に見える表情は、真剣で。けれど、責めるようなものではなくて、むしろ、心配の色が濃かった。
そのことが、更に、心を締め付ける。
視線を落とす。巻かれた包帯で、傷はもう見えない。痛みも少ない。
そこにあることさえ、ふと気をそらせば、忘れてしまいそうなほどに。

――思いださずにいたままだったら、良かったのだろうか。


「……いえ。本当に、何でも、ないんです。ただ…ぼんやりして、しまってて」


性懲りもなく繰り返す言葉。
自分で言っていても、なんて白々しい嘘だろう、と思う。


「その、……また、今回みたいなことがあったら、私も、……困るわ。……何かあるなら、言ってちょうだい」
「……でも、これは……私の、問題ですから」


コトカさんらしい、言葉だった。でも。
これは、私の問題だ。どちらかを選ぶことを、迷ったままの。
まだ、迷っている。ずっと、ずっと、悩んで、考えて。けれど、何も、答えを出せなくて。
そんなことを、話せなどしない。
口を閉ざそうとすれば、コトカさんが言葉を次ぐ。


「……そんなこと言っても、このままじゃ、進攻を続けるのも難しいんじゃないかしら。いずれまた、奇襲に遭って、……このくらいじゃ、済まないかもしれないわ」


耳が痛いくらいの、正論だった。
そうだ。そうだけれど。でも、これは。きっと。
今の状態で話してしまうのは、ダメだ。

お願いだから、諦めてくれないか。そんな願いも。


「……話して」


はっきりと、通る声。視線は、痛いほどに感じる。
――ああ、ダメだ。


「そうかも、しれません……ですが、聞いても、きっと気分のいいものじゃ、ないですよ。それでも、」


いいですか。そんな予防線を張る。ゆっくりと視線を上げる。視線は、合わせられない。
頭の中は、様々な記憶と、思いと、考えとが入り混じっていて。
出来ることなら、今からでも遅くないから……引き下がって、くれないかと、思って。
けれど。


「ええ」


彼女は、臆することもなく頷いた。
そういう人、だった。いつも、真っ直ぐで。踏み込む時は、躊躇わない人だ。
――あの人に、似ている。
遠い記憶の、細い姿を思い出す。思い出したことに、嫌悪感を抱く。
彼女と、あの人は違う。違うのに、一瞬でも、重ねてしまったことに。

けれど、だから……上手く誤魔化せないのかもしれない。


「……分かりました」


息をつく。話す、のか。
何処から話せば良いかなんて、順序立てることもせずに。
思い出すままに、口を開いた。


「その……地下牢に居た時に、私がイェジを探しに行ったこと、ありました、よね」


あの日。


「あの時にイェジが、一時的に元の姿に戻ってて。それと、地下牢の風景を見て……忘れていた、わけではないんですけど、再確認、したことがあって」


息をつく。


「……私には、果たさなくてはいけない使命がある、ということ、と、それに関して……何の成果も得られてないんだ、ということを」


言葉にすれば、あまりに抽象的で。きっと、もっと、話さねばならないのだろうけれど。
それすら、上手く出来なくて。
そう、なの、と呟いた彼女が、


「使命って……ネクターを、取り戻すこと？」
「……ええ、それもあります」


あるけれど、それだけじゃない。
少し考えて、また、話す。


「……ですが、故郷から奪われたのは、それだけではありません。一つの…一人のエンブリオも奪われました。私は、ネクターとそのエンブリオを取り戻すことを命じられて、一揆に参加しました」
「……エンブリオを？」
「ええ。エンブリオの名前は、アルキミア。そう、私たちが呼んでいるだけですが…街にとっては、大事なエンブリオで。生命力を大きく増幅させる力を持つ、とされています」


珍しいエンブリオだと思う。
だから、奪われた、と。そう呟いた。
思いつくままに、淡々と、言葉が零れる。


「……取り戻さないといけないんです。でも、」


取り戻すべし、それは私が受けた命で。
けれど。
故郷を旅立ってから、既に、一年近くが経過して。


「…参加してから半年以上経った今でも。その行方も、繋がる情報も何一つ、掴めないままで。何も、分からないままだって、気付いて……」
「……それで、最近ずっと思い悩んでたってわけ」
「……ええ」


何も得られず、掴めず。それは、許されないことだと思った。
　　　　　　　　　　　　　　・　・　・　・　・　・　・　・
本来なら、――本来、この任に就くような団員なら、きっと。
頷いて、けれど。それだけじゃない。


「でも……それだけじゃないんです」


でも、これを、言ってしまったら。
躊躇って、けれど。
口は、開いた。


「……そうした使命があるにも関わらず、いつの間にか、私は……君や、皆と過ごす事に、思いを傾けていました」


最初は、旅をしていた時と同じ、一時の付き合いになるのだと思った。
都合と利害の一致で、ただ、一揆を越える為だけの。

けれど――いつの間にか。そうじゃなくなっていた。
共に旅路を歩いて、共に戦い。いろんな事を話して、笑って。時に、怒られて、諭されて。
一緒にいることが楽しいと、思うようになっていって。
――その陰で、いつの間にか、やるべきこと、やらなくてはいけないことを、怠って行った。
彼を、思うことすら、忘れて。

顔に、手を当てる。
ずきり、と左肩が痛んだ。あの時に受けた傷が、不実を責める様に痛む。


「…情報だって。集めようと思えば、いくらだって、手はあって。
探そうと思えば、寝る間だって惜しんで探せたはずで！」

「…それをせずに、ただ、共にいることを選んで、甘えていた」


一度滑り出せば、止まらなかった。止められなかった。
私が悪いだけだ。心のどこかでは、わかっていたはずなのに。
どちらも選ばずに、ずるずると日々を送った私が。


「……そんな自分に気付いて、……自分に、嫌気が差したんです」


あの時。
気づいて最初に浮かんだのは、自分への嫌悪感だった。
安穏とした日々を送る資格など、今の自分にはないのに。
分かっているのに。


「個人の情より、使命は、優先されるべきなのに…！」


吐き出した、言葉は。


「……、……ミハウ、は、」


コトカさんの声が、揺れているように聞こえた。


「ミハウは、これからどうしたいの……？」
「……私、は」


言いかけて、視界の端に、エプロンを握る白い手が見えた。
ああ、言うべきじゃなかった。そう思って。


「私は…」


天秤にかけた思いは、ゆらゆらと揺れ続けている。
自ら負った使命。コトカさんとの約束。
どちらも、大切で。
けれど、大切だと、そう思えば――尚更、どうすればいいか分からなくて。

――選べなかった。


「……ごめん」


吐息に混じって、言葉は、滑り落ちる。響かない言葉。
彼女が、ほんの少し、身じろいだ。

当てていた手を外す。顔を上げて、詰まりそうな息を、無理やり吸って。
彼女は、俯いていた。


「……ごめん、コトカ」


吐き出した言葉は、色んな感情がない交ぜになって、零れた。
自分が、どんな顔をしているかなんて、分からない。
ただ、ここには居られない、そう、思って。
立ち上がって、地を蹴る。


「っ、え、ミハ――」


コトカさんの呼びかける声にも、耳を塞いだ。



走る。走る。走る。――走る。


行く当てもなく、何もかもを置き去りにして。
大切だと、思う、そのどちらも。何も、選び取れないまま。


ただ。

走って、逃げることしか、出来なかった。

そう挨拶しながら、イェジは尻尾でぺしりとミハウの頭をはたく。
それで我に帰ったのか、ミハウが罰の悪そうな表情を浮かべ、向き直る。

　ミハウの様子をちらりと見遣る。
　一瞬、視線を落とすも、直ぐにアリシアとルカたちを見て。

　そう言う調子は、いつも通り。
　少女の杖に乗るイヌワシは、黄金色の目を細めていた。

言いながら、もふもふなでなで

このスズメ、お酒を飲んではいけない理由は、体の大きさだと思っているようだ。

パンが木になったら食べ放題なのに、と思う程度にはパンが好きなようだ。
いやむしろ、パンが大好きなんではないだろうか・・・

ミハウの語る東方への関わりに、ふむ、と一度ばかり頷いた。
おかしなことを訊いて済まなかったな、と、謝罪。

ミハウの悲しげな表情が気にかかったように、問い掛ける。
それから、襲撃、という単語に、
この人間にしては分かりやすく、表情を曇らせた。

ネクターか、と短く吐き捨てる。

　少女はすっと杖を構えた。