ー勇者になった話ー












森を歩く。

山で高低差があり、道は険しい。
足元も良くない。歩くたびに地面の木々が音を立てる。

しかし、つらくは無い。目的が決まっているからだろうか。
進むべき道は見えている。それならば迷う必要は無い。
心に羅針盤があるからだ。それを見据えて進めばいい。

「大丈夫？まだもう少しかかるから」

目の前から声がする。
先ほど助けた少女だ。

「わかった」

小さくだが、俺ははっきりと返事をする。

「もうそろそろ魔物が出てくる地域に入るよ」

「わかった」

大丈夫だ。君は俺が守って見せる。


ー・・・

剣がある場所までの道案内。
その役目を引き受けたのは先ほど助けた少女だった。

最初俺は反対した。
小さな少女ひとりを魔物の住処に一緒に連れて行くなんて危険すぎる、と。

しかし、村の人達が言うには、これが一番安全らしい。
村人が大勢でついてきても、逆に足手まといになって俺に迷惑をかけてしまう。大勢の人間を一人で護ることはできないからだ。

もうひとつの理由。それはこの少女が一番魔術の扱いに長けているからだそうだ。普段から村の周辺の偵察などはこの少女が率先して行っている。そのため、このあたりの地形について一番把握しているのは彼女、ということになるらしい。

それに。

いざというときはあなたが守ってくれる。
そう言われた。


俺は手に持った大剣を強く握る。

魔術を使えない。
魔術を使えない俺でも、人を救うことができる。

勇者になれる。


人のために戦える。


―・・・











俺達はさらに山の奥へと脚を進めた。
もう日の明かりもほとんど差し込んでこない。
うっすらと暗い山。
あたりはやたらと静かだった。

先ほどまで聞こえた鳥の声も。

今はもう聞こえない。

少女が脚を止めた。
俺もそれにならう。

ふと気づいた。
少女の身体が震えている。

「大丈夫か？」

俺は声をかける。
少女はびくっと反応し、こちらを向く。

表情が強張っている。
その顔から察することができた。

もう目的地は近い。
そしてそれは魔物が近いことを意味する。

みしり

どこかから音がした。
俺達は音の方向を向いた。

みしり　みしり

近づいてくる。
こちらに。

もうもたもたしている時間はない。

「走れ！」

少女が駆け出した。
俺も後を追って駆け出す。

魔物もそれにあわせて速度をあげたようだ。
確実にこちらに向かってきている。

俺は振り返った。

初めて対峙する。
まるで熊のような体躯。

咆哮とともにこちらに襲い掛かる。
丸太のように巨大な腕。
俺は大剣を引き抜いた。

迫る腕を剣で受ける。
ミシリという音より先に、身体に衝撃がつきささる。

そのまま、俺は吹き飛ばされた。
地面を転がり体勢を整える。

こいつではない。
こいつは村の人達がいっていた魔物ではない。

攻撃が軽い。
動きも速くない。

ならば突破できる。勇者の剣がなくとも。

俺は走った。今度はこちらの番だ。
真正面。

魔物の腕が不気味にうねる。
しかし、大振りだ。見える。その軌跡が。

俺は飛んだ。一瞬遅れて元居た場所に腕が振り下ろされる。
攻撃の際の大きな隙。俺は一撃を頭部に叩き込んだ。

魔物は叫び声も上げずに倒れる。
やはり、こいつではない。

急げ。
俺の頭の中で声がする。
ああそうだ、あの少女を追いかけなければ。

俺は彼女の後を追って駆け出した。


―・・・


山岳のさらに奥地。
もう日の光さえ届かない木々の中。
少女はいた。


木々の間にじっと身を潜めている。
あたりに魔物の気配は無い。

俺は彼女に近づいた。
少女は俺が無事なのを見てホッと一息をつく。

そして、俺にある場所を指で示した。

俺は指をさした場所を向く。
そこには小さな洞穴がみえる。

少女が言った。

「あそこに『剣』がある」

彼女は続けた。
この洞穴にはある特殊な結界が施してある。

『魔力に反応する結界』

彼女はそういった。俺がここに連れてこられた理由がこれでやっとわかった。
俺しか剣は抜けないのだ。
無術者じゃなければ剣は抜けない。

それがいままで誰にも剣が抜けなかった理由だ。
魔力を持たない人間はいない。
俺を除いて。

俺は大剣を強く握り締めた。
これで少しは変われるのだろうか。

魔術が使えない。
人に迷惑しかかけてこなかった。
魔術が使えないんだ。

だからこそ、俺はここに来た。

「行こう」

俺は前に一歩踏み出した。




そのとき気配がした。
俺たちが目指す洞穴。
その行く手を阻むようにそいつは現れた。

最初は何かの影かと思った。
影がずるりと動いたのだと思った。

しかし違った。
それは大きな蜥蜴だった。蜥蜴のような魔物だった。
黒い鱗に赤い目。

これが例の魔物だと一目でわかる。
身体のでかさは先ほどの魔物と大差はない。
しかし気配でわかる。本能が感じる。

勝てる相手ではない。

しかし、進まないわけにはいかない。
行かなければならない。

俺は吼えた。
大剣を構え魔物に向かって突っ込んだ。

「駄目だ！」

少女が叫んだ。
耳に届く前に。その言葉が届くより速く俺は剣を振るっていた。

金属音。剣はまったく鱗を通らなかった。

奴の目がギョロリと動く。
こちらを見たかと思うと、体を大きく横に振った。

どうしてそんな巨体からそんなスピードがだせるのか。
気づくと俺は木に叩き付けられた。

遅れて全身に激痛が走る。
尻尾でなぎ払われたと気づくのはその後だ。

「大丈夫！？」

少女が駆け寄ってくる。
こっちに来るな。来てはいけない。

俺は無理やり身体を持ち上げた。
少女がすがりつくように俺のそばに来た。

「駄目だよ！あの魔物は『剣』がないと倒せない！」

わかっている。
しかし、あの魔物が入り口の前にいる以上、奴を越えなきゃ剣は取れない。

「いや、他にも方法はある」

少女は言った。
他にも方法が？いったい何をしようというのか。

「…私が囮になる」

最初は意味がわからなかった。
何を言っているのだ。こいつは。

「私があの魔物を引き付ける。その間にあなたは『剣』を抜いて」

できるわけがない。
そんなこと。

どうしてそうなる？
俺が剣を抜きにきたのは誰かを守るためなのに。

それなのにどうして俺のために君が犠牲にならなければいけないのだ？

「聞いて」

少女は俺の肩を掴む。視線が交錯した。少女の目に浮かぶのは強い決意、そして怯えの色。

「このままじゃ、結局私もあなたも死ぬ。村の人達もみんな死ぬ」

「あなたが倒れたら駄目」

「あなたじゃなきゃ村の皆を救えない」

どうしてこうなるんだ？
これでは結局同じではないか。

勇者になってもならなくても。
結局俺は誰かを犠牲にするだけだ。

俺は何も言えなかった。
「君を守りたいんだ」
それができないことは俺が一番良くわかっていた。

俺は奴から君を守れない。

少女は泣きそうの顔を、無理やり歪めて。
笑顔。
笑いながらこう言った。

「みんなを救ってね勇者様」

彼女はそういうと魔物の注意を惹くように、大声をあげ前にでた。
俺はそのあとを追う。追おうとした。

「こないで！」

少女が叫ぶ。

「はやく！はやく剣を！」

俺は駆けた。駆け出した。
洞穴を目指し、一直線に。

途中魔物のほうをちらりと見る。
少女が戦っていた。

精一杯の魔術で。
負けるとしりながら、ただ注意を惹くためだけに。

俺は走った。ただ剣だけのことを考え走った。

そうだ、間に合うかも知れない。

急げ。急げ！

剣を抜け。

あの子が倒れる前に抜くんだ、剣を！


洞穴を抜けると視界が開けた。
小さな広場のようになっていた。
そこにはかすかに日の光が差し込み、辺りを照らしている。

背の短い草に蔽われた広場。

そしてその中央。
その剣は確かにそこにあった。

台座の中心に突き立てられたその剣は。
まるで持ち主が来るのをずっと待っていたかのように。
その剣はそこに静かに息づいていた。

これが『勇者の剣』なのだろう。
俺はその剣の柄を掴んだ。
両手でしっかりと握り締める。

そして一気に引き抜いた。

手に入れた。
勇者の剣を。

その剣は淡く輝きを放ち。
初めて持ったはずなのにやたらと手に馴染んだ。

だが、そんなことは良かった。
この剣さえ手に入れば。

あとは。

俺は駆け出した。
洞穴を抜け、少女を助けるために。


しかし。



奴は現れた。洞穴をぬけこの広場に。
そしてそれが意味することは。



剣は手に入った。
勇者の剣は。

俺は勇者だ。
そう確かに勇者になった。


でも、これは俺の目指していた勇者なのか？
誰かを犠牲にすることでしか勇者になれない俺は本当に勇者なのか？


魔物が近づいてくる。
俺は剣を構えた。


俺は本当の勇者なんかではない、偽者だ。
俺に勇者を名乗る資格なんてない。


すまない。すまない。


俺は口の中で呟き剣を振った。


ー・・・




























バキンっ！！











「は？」












剣が












折れた。

一応真面目に解釈しようとしている。
一応。

どちらにせよ馴染みのないものであることには変わりないから、
どこか、距離をおいたような言い方になっていた。

掌を見下ろす。

与えられたそれを、握り締めるように。
掌も同じく握り込んだ。

問い掛ける口とは違う意思を以て、
赤い瞳の奥深く、何かが禍々しく、ざわついたような、或いは錯覚。

まあ異なる種が同じ世界で関わりあう世界の生き物なら、そういうものなんだろうか。
同族しか同じ空間に存在しなかった自分の本来所属するべき場所を思い出しつつぼやき。
ベルの言葉には、微笑ましいものを見る瞳を向けつつ口を開く。

苦笑いしつつ頬を掻く青年の姿が、ゆらりと歪み、霞んだ。
まるで夢幻の様にその姿が消え失せ、入れ替わるように巨大な竜が姿を表す。
アゴを開ければニンゲンなど一飲み出来そうなサイズの金竜は、地に身を伏せつつトートとベルを見た。

　しかし顔は笑っていなかった。

　

　それから、『言い訳にはしないようにとは思うよ』と言う言葉を聞いて、

　

　

　なぜかそこに食い付いた。
　それから、首を傾いで。

我ながら、突然、変な質問をしてしまったと思った。
しかし、恥を覚悟で聞き出した問いの答えは、俺にとって予想外のものだった。