いやぁ……マジで死ぬね……これは。

　橋の欄干に寄りかかりながら荒い息を吐く。

　逃げ出す前と比べて少し雲が薄くなったし、漏れ出した星明りと目が闇に慣れた事で少しは周囲の様子も掴めるようになったけど、相手の輪郭が掴めるような、そんなレベルには程遠い。
　橋の上ならば相手が斬りかかってくる方向も制限されるから、少しは不利を減じられるのではと思ってこの場所を目指したけど、やっぱりそれでも相手が見えていないという不利はどうしたって覆せない。

　背中を追いかけてきた足音はと言えば、にじり寄るような音へと変わり、獣のような荒い息が暗闇の中から聞こえてくる。

「いや、ちょっとタンマ……ツナちゃんを殺しても何も解決しないだろ？　まさかお前１人で源氏の一族を根絶やしに出来るわけもないじゃん？　」

「そんな心配はせんでええ……ウチがこの先どこで野垂れ死のうとも、お前の首だけはお館様の元へ持っていく……」

　暗闇からゾッとするような殺気をはらんだ声が返ってくる。

「お館様を裏切って……いや、何食わぬ顔でお館様の傍に仕え、皆を謀り続けたお前だけは許さへん」

（まぁ、こいつから見たら殺されても仕方ない事はしているよな……）

　だが、ここで制止しなければ、自分がここで倒れれば、誰も彼もが望まぬ世界へと未来が傾いていく。
　この都の平穏の為にも、主君の為にも、一族の繁栄の為にも、そして「山」で共に過ごした仲間たちの為にも、そして何よりも、この世界でたった１人の「親友」を救う為に。

「落ち着けよ。お前がこの先この都で何人斬り捨てたところで、何になる？　山の皆に迷惑をかけるだけだろ？　それはお館様が望んだ事とは真逆の……」

「お前が……その口でお館様を語るな……」

　喉を詰まらせた血を吐き捨てるようなゾッとする声。
　今すぐにも飛びかかってきそうな殺意に恐怖を感じ、腰の太刀手を鞘から引き抜く。

「……やっとやる気になったか？　丸腰の相手を斬るんじゃこっちもつまらんと思うとったところや」

「そう思うなら今日のところはやめにして、真昼間に仕切り直そうぜ？　」

「……」

　闇の中から返事は無く、ただただ橋の床板を踏む音が小さく鳴る。

（やっぱやるしかないな）

　こちらの持つ太刀の刃長は2尺7寸。

　対して相手の得物の長さは不明。

　こちらの視界はゼロに近いが、相手はおそらく完璧な形で視界を確保している。

（橋の床板が腐ってて、踏み抜いて落ちてくれたりしないかな……）

　考えれば考えるほどに不利な要素しか出てこない事に辟易して、つい現実逃避しそうになるのをすんでのところで押しとどめながら、最も正解に近いであろう戦い方を模索していく。





　稽古で何度も打ち合った太刀筋を反芻しながら、返しの構えをとる。

　百を超え、千を数える程に見てきた太刀筋とはいえ、この真っ暗闇の中でそれに対処する手段などあり得ない。

　手のひらほどの幅しかないゆるやかな小川を流れる笹舟とて、目を瞑ってつまみ上げる事が出来るだろうか？　出来たとしたらそれは偶然の産物で、今回その偶然は笹舟をつまみ上げる事のゆうに千倍は困難だろう。

　ぎしり

　橋の板が不快な音を立てて一瞬後、刀が空を裂く音に続き、刀が肉を骨ごと両断する音、一瞬遅れて獣のような悲鳴が響き渡る。



　勝負は一瞬だった。



　全身から力が抜け、刀を取り落し、たまらず橋の欄干に寄りかって、なんとか崩れ落ちずに荒い息を吐く。

　相変わらず真っ黒に塗りつぶされた視界。

　その足元からバタン、バタンとのたうちまわる音と、時折血だまりが跳ねるピシャリ、ピシャリという音が聞こえてくる。

「……まさか見えていたとは……」

「いや……今だってお前の顔さえ見えちゃいないよ」

　足元からのうめき声に、大きく息をついて、そう、返す。
　
「ならば、何故ッ……」

「あー……そりゃあ……」

　と、言いかけたところで、遠くのほうから蝋燭の明かりと共に、バタバタという足音がこちらへやってくる。

「まぁ、話は後にしよっか……おーい！！　こっちこーっち！！　」




　やってきた検非違使の持つ、蝋燭の明かりによって橋の上の惨劇が照らし出される。

　血だまりに蹲る少女と、そこから１間（1.8メートル）程離れた場所には刀を握った真っ黒い腕。

　相手と自分の太刀筋から、相手の腕を切り飛ばしたところまではわかっていたけど、どうやらちょうど肘のあたりを跳ねたみたいだった。

（少しでも月明かりが射していたら……こちらが少しでも見えていると感じたら、ああも思い切りよくは飛び込んでは来なかっただろうな）

　検非違使達に、少女に縄をかけ、詰所で手当をするように命じたあと、足元の髭切を拾い上げて血糊を衣服の袖で拭い取り、鞘に仕舞う。

（……ひょっとしたら、これも「あの男」の介入だったんだろうか……）

「？　川など見て、どうなさいましたか？　渡辺殿」

　ぼんやりと欄干から川面を見下ろしていると、検非違使の１人が声をかけてきた。

「いやぁ、一寸の虫にも五分の魂って言うけど本当だねってさ……」
　
　そう、呟いて川辺を飛ぶ、冷たい光を明滅させる虫を見やる。

「…………源氏のお家を助けて貰ったんだし、源氏蛍……とでも名付けるか」

　蛍は相変わらず冷たい光を明滅させながら、ふわふわと群れ飛んでいた。

ささっと後ろに隠れた