牢屋が左右に並ぶ通路……来た道も、行く先も、暗闇に沈んで見えない。
誰が管理しているのか、ロウソクがうすぼんやりと通路を照らしている。


「……」


何処まで行っても並ぶ牢屋の中、まだマシと思える部屋で夜を明かす事になった。
そして自分は見張りを兼ね、通路の壁に凭れて見張りの最中である。

揺れるロウソクの明かりの下。
壁に背を預け、一生懸命書いているのはお嬢との交換日記。


「……ふんふん」


返事を書くために、前のページを読み返しながらペンを動かす。
サラサラと……最近ようやく返事のコツを掴んで来た気がする。


「なるほどねぇ」


ペンが止まったのは、お嬢が書いた2ページ目。
暫く止まったペン先が、コツコツと日記帳の余白を叩く……。

置いていく？金の切れ目が縁の切れ目？
確かにそうだ。情や親切で飯が食える訳でもない。
自分の仕事は報酬を貰って、依頼された内容を寸分違わず遂行すること。

だが、今回は……。


「まぁ、色々とね」


小さく呟いただけでも、地下と言う空間では木霊する。
溜息すらも一際大きく耳に届く。
本心を伝えるべきか、むしろ伝わるのか……。
下手な事を書いても、仕事を無難に遂行するための方便と取られるか？
日記帳の残る空白を睨んで、様々な選択肢を考える。


「……ふん」


困ったような、笑いを浮かべて溜息をまた一つ。

today's special!　　の文字に横線を入れ、一息にペンを走らせた。


「ぃよし、さぁ、どうかねぇ」


書き上げた日記帳に目を通して――


（ENo.348 トーコ＝リハウンド嬢との交換日記となります）




パタン、と静かに閉じた。



（ここから先は、ENo.1196 コトカ・ラヤヤルヴィ嬢の日記のウィル視点となります。）


まだ夜は長いな、とデコレーションされた日記帳の表紙を撫でていると……
きぃ、と扉の開く小さな音。そして遠慮がちに掛けられた声は、
小さ過ぎて聞き取れなかったがコトカの物だった。

それに気付き、視線を落としていた日記帳から目線を上げ、振り返る。


「眠れないのかい？俺も牢屋の中は落ち着かなくてねぇ」


「牢屋の中が落ち着くような人にはなりたくないわ」


いつもの調子で返してきたコトカだが、様子が違う。


「ちげぇねぇ……ん？」


声を掛けてきた割に、不自然に黙り込む様子に眉を上げる。
ふむ、と唸ってから、膝に置かれた日記帳の表紙に視線を落とした。


「何か、あったんだろ？」


「……やっぱり、分かる？あのね、ウィル、……
　この前、相談に乗るって言ってたのは、まだ有効かしら」


「新しい空気のエンブリオでも、2人の間にいるのかと思ったぜ？」


コトカの言葉に、小さく溜息を吐くと静かに続けた。背を向けたまま。


「有効期限は発言から1年、ってな。面と向かって話しにくかったら、
　俺はここで一服してるだけだからそのまま続けてくれぃ」


「……ありがとう。それじゃ、お言葉に甘えるわ。
　私、ミハウにね、……嫌いって言っちゃったの」


煙草に火を着けようとした手がピクッと止まる。


「……振ったのか？」


おーそう来たか、などと考えつつ、割と真剣に呟いた。


「……、……えっ」




間。




「ちょ、ちょっと待って、もしかしてずっとそう見えてたの？」


「あ？違ったのか……てっきり悩める恋の相談だと思ってたんだが……」


明らかに狼狽えた声に、堪えようと思ったが背中が震えしまう。


「違っ、全然そんなのじゃないわよ！　って言うか、
　何でそうだったらウィルに相談しなきゃ駄目なの！？……笑ってるでしょ！！」


含み笑いも限界に達したのと、どんな顔をしているのか見たくなったので、体ごと振り返る。


「ほら、声響くから抑えて抑えて……なぁ、だが気にしてなきゃ“嫌い”なんて言わねぇぜ？」


振り返ってみたコトカの顔は、怒りか恥ずかしさか、薄明かりの下でも赤いのが見て取れる。
からかうつもりはなかったのだが、本気でそう言う相談だと思ったのだから仕方がない。


「……ウィルのばか……一緒に行動してるんだから、気にするくらいは、するわ」


「あぁ、笑ったのは謝ろう……多少はリラックスできたかい？それで……？」


フードの下の恨めしげな視線に、笑いを収めて謝る。
そして暗がりの中で煙草に火を着けて、胡坐をかく。


「そうね、効果覿面よ」


そう言って深呼吸すると、まだ微妙そうな表情でコトカは口を開いた。


「この前、ミハウが戦う時に性格が変わるのは、『強がり』だ、って言ったでしょう？
　……それをね、ミハウは、すごく自分のことが情けなさそうに言うの。すっごく、よ」


「ふぅん？確かにこないだ喋った時も悩んでる風だったしなぁ。
　……迷惑はかけれない、とか言ってたが」


「……迷惑をかけるのも、怖いみたいだわ。そのせいで私にも迷惑をかけてる、
　って、そんなことも言われた。申し訳なさそうに……私、それが許せなかったの」


コトカの言葉を一通り聞き、通路の天井に向かって煙を吐き出しつつ聞き返す。


「それは、なんでだい？」


「だって、ミハウはそんなことを言ってても、ちゃんと一揆に加勢して、戦ってるわ。
　迷惑だって、そんなにかけられたとも思ってない……なのに、
　自分のことを、本当に情けないと思って、蔑んで、うじうじしてるのよ。
　戦うのが怖いことは、いけないことなのかしら。私だって、……私だって、戦うのは、怖いわ」


吐き出す先が無かったのか、一気にまくし立てるコトカ。
その様子を話を聞きながら見守る。


「そうだなぁ…………それは、ミハウに言ったのかい？」


「……最後以外は」


俯いて肯定する声音は、明らかに後悔の念が滲み出ていた。
フードで顔の見えなくなったコトカに、ゆっくりと話し出す。


「そうかい……何故、そんなに許せねぇんだ？
ミハウだって、まぁ、確かにちと周りにも気ぃ遣い過ぎだとは思うが……」


一旦言葉を切って、ゆっくりと煙を吐き出し、言葉を継いだ。


「嬢ちゃんは、ミハウに何を見てる？」


「私は……私は、ミハウが許せないけど、私のことも、許せないのよ。
　彼に、私を重ねて見てる、……結局、八つ当たりなのよね」


煙と共に小さく溜息を吐いて、ふと目尻を緩める。


「分かってんじゃねぇか……嬢ちゃんは、ミハウを通して自分も責めてる。
　俺にもそう聞こえたよ。どうしたら良いのか分からないのかい？」


「……うん」


言葉と共に、小さく頷くコトカ。


「全然、分からなくて」


「……で、嫌いって勢いで言うだけ言っちまって、そのままって訳か」


「……そう、なの。言い過ぎちゃったし、謝るべきだと思うわ、
　……思うんだけど、それから、何て言ったら良いのか」


「俺だったら“嫌い”なんて言われたら凹むねぇ……と、俺はどうでもいいか。
　嬢ちゃんはミハウにどうして欲しいんだい？謝ってその場は収まったって、
　嬢ちゃんかミハウが変わらない限り、また同じ事の繰り返しだと思うが」


「……誰だって、そんなこと言われたら、かなしくなると思うわ」


最初の言葉に返事をしたかと思うと、目線を上げ目を瞬かせてくる。


「どうしてほしい？……そうね……もっと、自信を持ってほしいのかしら」


短くなった煙草を灰皿を取り出して押し潰すと、
その言葉を聞いて小さく、うんうんと頷く。


「俺もそりゃ思う、もっと自信を持っていいと思うんだよなぁ……
　何か出来そうな事はあるかい？例えば褒め殺し作戦とか」


あまりにもあまりな作戦名に自分でも言ってから首を傾げる。
ふと見ると、コトカもきょとん、とした表情を浮かべていた。


「ウィルって、変なこと考えるの、上手ね」


喜んで言いのか分からない褒め方をされたが、
コトカの表情が和らいだので、失敗ではなかったのだろう。


「ミハウは、……ええと、優しいし……りょ、料理が得意よ」


カクン、とついていた肘が滑った。
一生懸命悩んでいたみたいだが、出てきたのはその二つ。
好き嫌い以前にもっとお互いの事を知るべきではなかろうか……


「りょ、料理かぁ……あー、あー……うーん。
　ほら、そこは戦闘中に黄色い声援を送るとか！
　女の子に褒められたり応援されたら自信も付くってもんだぜぇ？」


「この前、土筆と野菜の……かき揚げだったかしら、作ってくれたけど、
　おいしかったのよ。……ミハウ、それで自信がつくタイプに見える？」


本当に料理は得意らしい……
今度頼んでみようかと頭の片隅にメモしつつ続けた。


「ほう。意外な特技だなぁ……料理から攻めるかぁ、うーん
　確かに声援も萎縮しそうだなぁね……あぁ、なら」


どうしたものか、いつものミハウの様子。
自信、何か手は……と、考えたところで一つ閃いた。


「ほら、ミハウって嬢ちゃんと喋る時、ですます調だろ？
　アレを、戦闘中、とは言わないがタメ口で話してもらうとか？」


「そうね、私もそれは気になってたわ」


案外簡単に肯定された。


「私はミハウのこと、呼び捨てにしてるのに、彼、私のことをさん付けして呼ぶのよ？」


すらすら言葉が出てくる様子は、結構不満だったのかもしれない。


「……そういうこと、今まで言わなかった私も、悪いんだけど」


「ふむ……謝ってみて、反応次第だが、“私の事コトカって呼んで見て”もいいじゃねぇの？
　名前が普通呼べるようになれば、話し方も引き摺られるだろ……」


コトカの口調と声音を真似ながら、途中の台詞だけ無駄に裏声チックになった。


「ウィル、気持ち悪いから止めて」


そこだけ即答だった。鋭い。


「でも、そうしてみようかしら。……何とかなると、思う？」


続けて不安そうに聞いてくるコトカに、咳払いを一つして取り合えず謝罪する。


「はいすみません、っと……。
　結局はさ、ミハウ自身の問題だが、嬢ちゃんだって黙ってイライラするよりはぁ
　して欲しい事はちゃんと言うべきだ。まだ一緒に歩いてくんだろ？」


「……うん、そのつもり」


「な？今の俺へのツッコミくらいバシッと言えばいいのさ」


そこでようやく、コトカが小さく笑った。


「分かった、やってみる、……私、がんばるわ。ウィル、ありがとう」


「あぁ、人間なんてさエスパーじゃねぇんだ、言って初めて分かる事もあらぁなぁ」


こんなやり取りで礼を言われるのも気恥ずかしく、
暗い通路の天井を見上げて笑った。
そして、視線をコトカに戻すとウィンク一つ。


「ご利用から有効期限は1年だ、俺でよけりゃ愚痴だって聞くさ……
　さ、明日はココを出るぜ？眠れそうかい？」


「それじゃ、またお世話になるかもしれないわ……ええ、お陰様で」


それから、とコトカが言葉を継いだ。


「……ウィルも、もし悩み事とかあったら、私、聞くからね」


「そりゃ良かった……あぁ、有難う、そんときゃ頼むぜ」


ふと、膝元の日記帳に一瞬視線を落とす。
しかし、今は目の前の悩める少女を見送る。


「明日は色々頑張れ青春、ってな、おやすみ」


おやすみなさい、そう言ってコトカはまた扉を小さく軋ませ、寝床に戻って行った。


「さて――」



　　　　　　　　　
　　　　　――ヴィィィイン

――ヴィィィイン



タイミングを見計らったように、胸ポケットで震える電話。
取り出した画面の表示を一瞥して、受話ボタンを押した。




「――はぁい、マム」

腰の布に手を掛け、ヒラヒラさせながら言葉を続ける。

ウィルの挑発を受けると、表情は一層の強張りを見せる。
戻された視線には、若干の焦りの色も浮かび。

刀に掛けた腕が、体躯が、緩やかに力みを増し――

刀の柄を握った手が離れ、するりと腹部へ移動する。

指先で腹部の布を引き上げつつ、ウィルに尋ねる。
色気を含んだ所作では無く、視線は強くウィルの顔を睨み続けている。

　と、前置いてから、手帳とボールペンを受け取った。
　白いページを前に、真剣に考え込んでいる。

　ぶつぶつ言ってるのを聞いた方が早いかもしれない。
　『逃げるかも知れねぇぜぇ？』と言う言葉には、くすりと笑って、

　沈黙。
　言えないらしかった。

　レンズの光を見て、ウィルの話を聞いて、両者を見比べる。

　と、割と真面目な表情でそう言った。

深く息をして、武器を構える。

　ウルヘアはいつもより血の気が多い気がする。

息をついて、ぎこちなく笑う。

　少女がナチュラルにそう言う一方、イヌワシはクライの方をじーっと見ていた。