平和を実感するのが、随分と久し振りに感じる。
　ここ最近はラズロやブランチマンという強敵との戦いもあって、心が休まっていなかった。
　特にラズロを相手にして、心が休まるわけがない。そりゃもう当然だ。
　だが苦労の甲斐もあって、しばらくは強敵との戦いもないだろう。
　油断や慢心はいけないが、いつも気を張り詰めていてはまいってしまう。
　この機会に少し羽根を伸ばしてみるのも悪くないだろう――――。
　そんな結論を出して、アムルイはいつものように街まで付加の材料を調達に行く。
　今日はちょっと寄り道してみよう、なんて思いながら。

　――――――――――――――――――

　よく晴れた空がある。
　城下町は陽の光を浴びて、石畳が目に眩しい。
　通りにはパンや軽食の屋台も出ており、買い食いするのも悪くない。
　凝った料理はどうも口に合わないアムルイだが、屋台の軽食は好きな方だ。
　パンは焼き立てよりも、少し時間が経って硬くなり、風味も落ちたものがいい。
　屋台の軽食もお手軽なためか豪快かつ雑な料理が中心で、その雑さが有り難い。
　早い話、慣れ親しんだ味に近いのだ。

　アムルイは香ばしい匂いに惹かれて、屋台で塩を振っただけの串焼きを注文する。
　本音を言えば、もっとじっくり焼いた肉の方が好きではある。
　山にいた頃は火にかけた金網に肉を置いて、じっくり数時間ほど焼いたものがご馳走だった。
　朝、狩りに出て、獲物を仕留めて日暮れ前には戻る。
　そこから獲物をバラして、肉も内蔵も、じっくりと焼くのだ。
　待っている内に日は沈み、皆で火を囲みながら歌い、酒を飲む。
　酔いで星空がぐるんぐるんと回る頃には、肉もようやく焼き上がりだ。
　塩だけで味付けした肉にかぶりつくあの至福は、筆舌に尽くし難い。

　あれを思い出すと、この串焼きはいかにも物足りない。
　これはこれで美味しいのだが、何かが足りないと感じてしまうのだ。
　山が恋しくないと言えば嘘になる。
　それでも我慢できないわけではないし、今の暮らしに不満があるわけでもない。
　もっと馴染むようにしないといけないな、というのがアムルイの結論だ。
　――と、そんなことを思っていると、屋台の店主が言う。

「嬢ちゃん、あと2PS追加でパンに挟めるけど、どうする？」

　串焼きをパンに挟む――――。
　なるほど、そういうのもあるのか。
　串焼きも悪くない。それだけで充分に美味しい。
　だが物足りないと感じる理由の一つは、串焼きにするため、どうしても肉が小さくなる点だ。
　これでは熱々の肉にかぶりつく楽しみがない。
　しかしパンに挟めばどうだろう？
　肉の大きさは変わらない。だが、そこにパンが加わるのだ。
　かぶりつける。しかもパンは肉汁を吸って、ほどよくジューシーに違いない。
　これはひょっとすると、郷愁を癒してくれるのではないだろうか。
　そう思った時には、既に財布から2PSを取り出していた。

　――――――――――――――――――

　結果から言えば、追加注文した。
　アムルイはほくほく顔で、左手に荷物袋を、右手に肉サンドを持って歩いている。
　こんな料理がいつでも食べられるのなら、街で暮らすのもいいかもしれない。
　そのためには働く必要があるが、近場で獣でも狩れば充分な稼ぎにはなるだろう。
　――ただし街で獣を解体するとご近所から悲鳴が上がることを、アムルイは未だ知らない。
　多少馴染んで来たとは言っても、やはり根っこのところはまだまだ狩猟民族である。

　右手の肉サンドを半分ほど食べたところで、ふとアムルイは街の変化に気が付いた。
　元々、賑やかな街ではあった。
　しかし今日はその賑わいが、一割か二割ほど増しているように感じるのだ。
　それが少し気になり、アムルイは通りにある屋台の一軒に足を向けた。
　そこでは冷やした果汁を売っており、話代として一杯注文してから店主に尋ねる。
　すると店主は明るく笑って、

「一揆が上手くいってるからさ。
　ネクターの流通量が増えれば、そこそこ戦える護衛を雇って、交易をする商人が増える。
　さらに勝ち目があると思った奴や、今までネクターがなくて戦えなかった奴も、一揆に参加しようとやって来る。
　ちょっとずつ人が増えて、景気がよくなってるってわけさ」

　景気がよくなっている――――。
　経済のことはまったく分からないアムルイだが、店主の話は何となく分かる。
　確かにネクターが出回れば、自然と人も集まって来るのだろう。
　不思議なのは、争うことで豊かになっているという事実だ。
　一揆に参加し、戦っている者の視点では、新王側との争いは取ったり取られたりだ。
　どこかでは得をして、どこかでは損をする。
　何かを作っているというわけでもないから、全体で見ればきっと損の筈だ。
　しかしこの街は、全体として豊かになっている。
　それは最終的に国も――新王の側も豊かにするのだろう。

　何か、違和感があった。
　ネクターを巡って、自分達は奪い合いをしているのだ。
　そこには明確な勝者と敗者が存在している。
　だというのに、結果としては誰もが豊かになってはいないか？
　もちろん奪われ過ぎて、大損している者もいるだろう。
　だがそんなものは誤差に違いない。
　誤差で済んでしまうほどに、この一揆は利益を生んでいるのだ。

　思い出す。
　小さな衝突はあっても、この国は長く平和だったことを。
　前王の治世は穏やかで、人々は明日に困らなかったことを。
　そこに何かがある気がした。
　ネクターの独占が真実、新王の意思であったならば。
　長く続いた平和と、この現状にこそ理由がある気がしたのだ。

「あの、この辺りで一番賑やかなのって、どこかな？」

　もっと情報を集めた方がいい。
　そう結論して問うと、店主は「そりゃ決まってる」と口を開いた。

「中央の広場さ。この道を真っ直ぐ行ってみるといい。
　あそこには色んな店も出てるし、旅芸人なんかも集まってるよ」

　――――――――――――――――――

　中央広場に行くと、そこには確かに多くの人が集まっていた。
　屋台に限らず、敷き布に品を並べた露店どころか、敷き布すらない露店まである。
　旅芸人や吟遊詩人も多く、ちょっとしたお祭り騒ぎだ。
　どうやって情報を集めようかな、と思案していると、アムルイは視界の端にそれを捉えた。

　枯葉色の髪。
　やや線が細いものの、引き締まった体躯。
　美形と言うよりは女顔の青年が、人を集めている。
　集まっているのは歳が10に届くどうかといった少年少女が大半だ。
　青年の前には木箱があり、その上に紙束がある。
　紙束には絵が描いてあり、集まった少年少女達はそれを見ている。
　どうやら紙芝居らしく、これから始まるようだ。
　青年は咳払いを一つして、

「むかーし、むかしー」

　と、紙芝居の朗読を始めた。

「あるところに、ウエンチという老人がいました。
　ウエンチは弓の名人でしたが、ずっと独り身でした。
　子供の頃から毎日、ずっと弓のことばかり考えていたからです。
　気が付いた時にはお爺さんで、それでもウエンチは満足していました。
　たまに里の若者に弓を教えるだけで、子供ができたような気分だったのです。
　それにウエンチは狩りが好きでした。
　だからウエンチはお爺さんになっても、毎日、山へ狩りに行っていました。
　そしてある日、ウエンチは山で一羽のウサギを仕留めます。
　ですがそのウサギには子供がいて、子ウサギは親ウサギの死体から離れようとしませんでした。
　それに同情して、ウエンチは子ウサギを連れ帰り、育てることにしました。
　子ウサギはハルアンテと名付けられ、ウエンチは愛情をたっぷり注ぎました」

　それはアムルイも知っている昔話だった。
　子ウサギのハルアンテは人語を話せるウサギで、ウエンチに恩を感じていると語る。
　しかし親を殺された恨みも忘れられず、せめてもの恩返しとして、恨みを忘れてウエンチの下を去る。
　ウエンチはその失意と、子ウサギを助けなければこんな思いはしなかったという後悔で、寂しく死んでしまう。
　だから獲物はちゃんと仕留め、感謝して食べ、同情してはいけない、と教える昔話だ。

「ですがハルアンテは、人の言葉が話せるウサギでした。
　ある時、ハルアンテはウエンチにこう言いました。
　お爺さん、実は私には人の言葉が分かるのです。
　お爺さんに育ててもらったこと、感謝しています。
　ですが私は、親を殺された恨みを忘れられないのです。
　しかしそこで、ウエンチはハルアンテの肩を掴みました」

　あれ？　肩を掴む？
　そんな展開があっただろうか、とアムルイが小首を傾げていると、青年は真に迫る演技で言う。

「ウエンチは指が食い込むほど、ハルアンテの肩を強く掴んでいます。
　このウエンチ、実は人間になんてまったく興味がありません。
　獣のことが好きで好きでたまらなく、だからずっと毎日、山で狩りをしていたのです。
　しかし人と獣では分かり合えないと諦めていたところに、この出来事です。
　もうウエンチは辛抱たまりません。
　言葉もなくハルアンテに覆い被さり、老いてもなお盛んな弓は射撃準備完了です。
　あまりのことに泣き出すハルアンテでしたが、ウエンチは下卑た笑みを浮かべました。
　へっへっへ、天井の染みでも数えてる内に――――」

　そしてアムルイは、持っていた荷物を青年にぶん投げた。
　演技に熱中していた青年は気付かず、荷物は顔面に直撃。
　そして倒れる青年を冷ややかな目で見て、アムルイは言った。

「――何してるのさ、兄さん」

　――――――――――――――――――

　子供達にアムルイが謝り倒して解散させた後。
　アムルイは兄――アシリアイノを引きずって、路地裏に移動した。
　久し振りに会う兄は不思議そうな顔で、

「おいおい何怒ってんだよアムルイ、お兄ちゃん悲しいぞ」

「悲しいのはこっちだよ！　というかさっきの紙芝居、何？」

「おお、ちょっと路銀を稼ごうと思ってよ。
　そのまんまじゃ街の人にゃ面白くないかと思ってアレンジしたけど、どうよ？」

「どうしようもないよね」

　特に脳が。
　アムルイは重いため息をこぼして、改めて問う。

「それで？　どうして兄さんが街にいるの？」

「いや、お前がどうしてるか、見て来いって言われてよ。
　まあ元気そうだったし、俺は帰るぜ！」

「え、それだけ？」

「おう、それだけ」

　いやいや、それだけなわけがない、とアムルイは首を振る。
　自分でもたまに忘れそうになるが、自分の役目は部族が一揆に参加できるかどうかの見極めだ。
　定住民と衝突することなく、山の民が肩を並べて戦えるかどうか、という。
　様子を見て来いと言われたのなら、そのあたりを確かめるのが目的だろう。
　問題はこの兄、元気かどうかだけ確認すればいいと思っていたに違いない。
　アムルイは少しだけ考えて、

「じゃあ兄さん、族長にはこう伝えておいて。
　私達は戦える。だけどまだ、早いかもしれない。
　一揆そのものが、新王の思惑通りなのかもしれないから、って」

「おう、なんか頭良さげなこと言ってるけど、頭大丈夫か？」

　とりあえず側頭部に打撃を叩き込んだ。
　反射的に打撃したせいで狙いが甘かったかもしれない、と舌打ちを一つ。

「死にたくなかったら、言うこと聞いてよね？」

「ぐおぉ……！　お兄ちゃん、妹の成長を肌で感じてるぜ……！」

「――返事は？」

「あ、はい、了解！　伝えます、ちゃんと族長に言っとくから、剣を抜こうとすんなお前！？」

　誰のせいだと思っているのか。
　逃げ出すように走り出した兄の背を見送って、アムルイは思う。
　自分達は何も知らずに戦える。
　しかし戦えるだけでは駄目なのだろう、と。
　新王が真に求めているものは何か。
　今、探るべきはそこだ。