星屑の小川。

流れる水の音を聴きながら彼女は待っていた。

これまで1週間程一緒にいた仲間と離れて(よく逸れてはいたのだが)行動するなど、大したことは無いと思っていた。

しかし、一人で頑張ってきたこれまでとは違う、“対等”な仲間と一緒にいられる喜び。

これを学ばせてくれた彼らと離れることをこれほど心細く思うとは。

そう言ってケット・シーのリラに笑いかける。

しかし彼女は気付いていない。

一番欲しいものは、一人で苦難を乗り越える勇気ではないのだ。

来る日も来る日も剣を振っていたのは、自分が一人前だと示すためではないのだ。

王女扱いをされないことに戸惑っていたのは、何時までだっただろうか。

全てを受け入れるこのメルンテーゼは、それだけでなく、彼女の内面を少しずつ変えていたのかもしれない。

リラの目が、グレンダの後ろから近づく人影を捉える。

彼らもまた、この世界で結んだ縁。

ゴードニア王女ではない、グレンダ・エイル・カードライトが作った友情。

しかしまだ、彼女は気付かない。

彼女は待っている。

本人も知らない何かを。

今はただ、前を見つめながら。

　

君の呼びかけに気付いたアムルイは、笑顔で振り向いた。

色んな意味でＹＥＳとは答えたくなかった。
いや、もちろんそういう場所があるのは知っている。知っているけども。
異世界とはいえ仮にも王族が、牢屋行きと答えてしまうのは沽券に関わるというか。

君が何とも言えない微妙な表情をしていると、アムルイは腰元の道具袋に手を入れていた。
まさか肉か。またキラーウルフの干し肉か。
悪意がないのは分かっているが、スピラエラの手前、それは受け取れない。
そしてやはりアムルイは、道具袋から肉を取り出した。

大丈夫――というのは、どういう意味だろうか？
スピラエラのことを、考慮してくれたのだろうということは分かる。
つまりこれはキラーウルフの肉ではない。

じゃあ何の肉だこれ。

得体の知れなさが、手を伸ばすことを躊躇わせる。
いやまさか、食べられないものではないだろう。
だが食べられるなら、何でもいいというわけではない。
食べてから笑顔で、

とか言われたら立ち直れない。
間違いなく数日はへこたれる。
というか安心させたいなら、何の肉か先に言って欲しい。

と、そこまで考えてから君は気付いた。
手に取るかどうか決める前に、尋ねればいいじゃないか、と。
早速訊いてみたところ、彼女はこう答えた。

なるほど、確かに馬肉なら安心だ。
馬は君の故郷でも、食肉として育てることはなかった。
何故なら馬は身分に関わらず、大切な財産でもあるからだ。
だからといって、まったく食べないわけではない。
戦地では最後の食料になるし、日常でも足の折れた馬を肉にするのは珍しくない。
これなら君も抵抗なく食べられそうだ、と手を伸ばしかけて気付く。

どこで仕留めたこの馬。

そもそもアムルイは、地下牢から来たと言っていたではないか。
それが平原や山岳ならば、ああ野生馬でも仕留めたんだなぁ、と納得できる。
しかし地下牢である。そこに野生馬がいてたまるものか。
むしろアムルイが馬と言っているだけで、別の何かではないのか。

……そこでふと、君はある言葉を思い出す。
牛馬のごとく働く、と。
勤勉さの喩えではなく、どちらかと言えば人を酷使する言い回しだ。
そして地下牢。囚人には過酷な労働が課せられているかもしれない。
看守はそんな囚人のことを、牛や馬と呼んでいるのかもしれない。
……さすがに考え過ぎだろうか？
だが、地下牢に野生馬がいる可能性よりは高い気がする。
ならば今、差し出されているこの肉の正体は。

……考え過ぎだったらしい。
というかこの国が、君の常識の斜め上を行きまくっているだけな気もする。
ともあれ心配は必要なさそうだと分かり、君は改めて馬肉を受け取った。
保存食とするためか、薄く切って干してあるが、まだ柔らかい。
これなら料理に使うのも悪くないだろう。
君はアムルイへ丁寧に礼を言った。
丁寧さの理由は、疑ったことへの罪悪感があったからでもあるが。

その後、軽く情報交換がてらの雑談をして、その中で君はふと好奇心から問いかけた。
アムルイの部族では、エンブリオを神として崇めると云う。
しかし彼女は当たり前のように魔物を――エンブリオを食べてしまう。
生きるためとはいえ、神を食うことに忌避感はないのか、と。
その問いかけに、彼女は少しだけ眉を寄せて考え込んでから口を開いた。

その考え方は、君の思う神とは違っていた。
君の宗教観で言えば、世界には様々な神がいる。
しかしそれは始めから神であり、例外として、祀られて神になるモノがいる程度だ。

確かに、それならエンブリオであっても食べることへの忌避感はないだろう。
何せそれは神ではあるが、特別な存在ではない。
どこにでもいる当たり前の存在で、崇めはしても信仰するわけでもない。
そう、崇めるという言葉の感覚が違うのだ。
アムルイの言うそれは、自然への感謝が一番近い。
農民が実りに感謝するのと同じように、アムルイとその部族は、日々の糧となる獲物に感謝しているのだ。

疑問も解決して、君はしばらく雑談を楽しんだ後、アムルイと別れた。
異なる文化に触れるのは驚きの連続だ。
しかしそれは決して悪いものではなく、快い驚きだ。
まるで自分の世界までもが広がるような――――

アムルイと別れてからしばらく。
ふと、君の契約しているエンブリオ、スピラエラが話しかけてきた。

何故？　と君は問い返す。
先日のキラーウルフの肉とは違うのだ。
これを食べないのは、さすがに失礼だろう。
しかしスピラエラは、重い声音で君に答えた。

エンブリオ。それはたしか、胚を意味する言葉だ。
そして母体の中で、誕生して間もない赤ん坊のことでもある。
そこまで考えて、君はその恐ろしさに気付いてしまった。

スピラエラにも確信があるわけではないのだろう。
だが君には、アムルイから受け取った肉が、酷くおぞましいモノに見えてしまった。
それはもうただの肉だというのに、未だ意思が――魂が宿っているのだろうか。

結局、どうするかは決められなかった。
アムルイには本当に悪意なんてないのだろう。
彼女の部族がそうであったから、彼女もそうしているだけ。
彼女自身は、そうであることを疑問に思いもしていない筈だ。

寒くもないのに、体が震えてしまう。
異文化との接触に、君は初めて心からの恐怖を覚えた。

琥珀色の髪をした少女が とことこ と駆け寄ってきます。

そう言って、ぺこりと頭を下げます。

そう言うと、鴇色パーカーの少女は手を振って去っていこうとしました。

戦いの後、薙疾が周囲の探索を終えて戻ってくると。
今まで見たことのない光景が展開されていた。

慌てたのか、ずれた事を言い出す薙疾に、薙影が声をかける。

薙影がそこまで言った時、瑞薙の身体が青く、強く光る。
光で目が眩み、瞬きをした次の瞬間には

新しい瑞薙がそこに佇んでいた。