蝉時雨が降っている、夏のよく晴れた日だった。

この時期になると、決まって彼と二人で墓地に向かう。















眠っているのは彼の大切な人。
私が世話になっている施設も、元々その人の意向で成り立っていた……らしい。

……物心つく前に死んでしまったから。どういう人であったのか、私自身殆ど覚えていない。

知っているのは、実感の伴わない以上淡白な情報だけだ。
劇的に──例えば、不慮の事故のように──息を引き取ったわけではないということ。
完治の難しい病気で、最期は眠るように逝ったという。
多分私も見舞いに行ったことはあるのだけれど……よく覚えていなかった。

消毒液の匂いを嗅ぐ度に「あぁ自分はその場にいたのだ」という事実だけ思い出せる。















その人となりに興味がないわけでもない。
けれど、それに触れるのはとても怖いことだった。

だから私が──私たちがその名前に触れることはそうなかった。
それは互いに、優しさとは言えなかったかもしれないけれど。

非情にも、生きていく上で必要がなかったからだと言えば、それまでかもしれない。

静かに築かれた不可侵に例外があるとすれば、こうして墓前に手を合わせるときだけだった。


















「……。ヒヨリさんってさ」













「…………」




「優しい人だった？」











もしも。

もしも……私に母親がいたなら、その人のようだったのだろうか。





「そっか」





いつか不意に、胸に生じた言葉。
それを問うたとしても、きっと困らせてしまうから。
年月を重ねながら、変わらないやり取りを繰り返している。






……蝉時雨が降っている。
そんな凪いだ世界の隅で、小さく息継ぎをしている。

▲	真柄 「人を守るためか……　いや、俺の場合はどうじゃろうな。 　確かに否定の民を守るための戦いへ身を投げてはおるが、 　その理由はお前のように、純粋に人を守りたいためではないと思う。 　侍の生き方として、己の住む地の民を助けるという役割が、捨てられぬだけじゃ。 　侍と言う生き方を選んでなければ、 　俺も侵略する側には立ってはおらんかったじゃろうよ」

	真柄 「それゆえに、否定の民でありながら、敵側へ回る者には理由を聞いて回っとる。 　本来否定の民であるお前も、俺が助けねばならぬ立場の者じゃからな。 　もしお前が何かに脅迫されて、その立ち位置に居るようであれば、 　俺は万難を排してでも、お前をこちらの陣営へ取り返したじゃろう。 　だが、己の決断でイバラの陣営を選んだのなら、是非もなし。 　お前を迷える民ではなく、覚悟と信念を持つ侍であると判断し、 　交わらなかった道が最後に交錯する舞台として、このハザマの地で戦おう」

	真柄 「……気付かなかったが、アンジニティの地にもお前のような桜は咲いていたのじゃな。 　俺はイバラでも、元居た地のアズマでも、桜は好きじゃったからさ。 　 　どうして、お前のようなまともな感性の持ち主が 　否定の地になど落ちてしまったんじゃろうな？ 　本来お前のような者こそ、俺が護りたかった“ヒト”であるのに」

▲	気が付けばその掌には既に何も存在しない。 そも通信越しでは触れられないし、残っていてもいなくても己にできることはないのだが。 そうですか、と小さく返した声は、やはり居なくなったそれに気取られたまま。 あなたが話してくれる言葉に黙って耳を傾けていて、終われば、その内に、ふと。

	命 「……あなたの言葉は、おれにはすこし難しいなとさっきから思っていて…… 　なんていうか、上手く掴めないって。 　それこそはらはら落ちていく桜の花弁みたいで」

	命 「……それで今、気が付いたんですけれど」

	命 「ヨシノのことは知っていても、そういえばあなた自身のことはよく知りません。 　ここまでお話していて、おれがわかっていることは。 　あなたはヨシノの記憶を持っていて、おれを知っていて、……"ともだち"がいるということぐらい」

	命 「あなたはヒトと己を区分していますが、それってつまりはあなたはヒト……ではないんですよね？ 　だったら、どういう存在なんですか？ 　……なんて聞いても教えてくれるでしょうか」

	命 「おれは、どうしたって人間です。 　人間の目線からしか物を話せないけれど…… 　……こうやって言葉が伝わるのであれば、きちんとあなたのことも知りたいです。 　知った上で話がしたい、と」

▲	「それは良かった。実行するのは難しいと思うが情報として知っておけば大分違うだろう。人間の感情には幾つかある中、嫉妬は実に厄介なヤツだからな」 音声であればさぞ苦々しい声が届いたことだろう。文字であれば淡々と伝えられる。はず。

	「有難う。穏やかな心を持てるよう願った名前だ。妻に似てくれればいいんだが、顔が若干俺寄りで不安だな」 子供の話題になった途端返信スピードがとてつもなく上がった。文字のやりとりで良かったかもしれない。音声だと10倍、あるいは100倍の文字数を聞かされる羽目になっていただろう。 「別の樹でも自分の種からなら精として宿る可能性もあるのか。それは楽しみだな。そうなると、好きな環境なども聞いておかないといけないだろう。暑いのと寒いの、どちらが好みだか分かるか？」

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