その場所は、夜の静寂に包まれている。



ふたりの輪郭を置き去りにして。
いつか、煩わしい現実から追い立てられでもしたときのように。



そうして目の前に立ち竦む少女は、うろのような瞳をしている。



どうして、そんなに痛ましい顔をしているのだろうかと思った。

“かわいそうだと思った”。

“助けてあげなければいけないと思った”。



そして、






“良かった”、と。“ぼくはそう思った”。



そうやって思うよりも先に、指先が伸びる。

死人のような指先が甘やかに触れて、触れ合って。そうして。



華奢な白い首筋が、

細く息を繋ぐ道が、

決して叶えてはならない願いの花が、





潰れる。


私の、手の中で。


















そんな夢を見ている。























迫り上がる圧迫感と不快感。
口と胸を抑えて、その波が去るのを待つ。
ずくりずくりと拍動は五月蝿いのに、血の気は引いていく。

こうして耐えることに意味があるかは分からない。
けれどひたすらに身を縮めて。
終わるとも分からない時に、過ぎ去ってほしいと願うことしかできなかった。









恐ろしかった。

指先に残るいきものの温かさが。
管を押しこめる感覚が。
何か大切なものを壊してしまうことが。



なにより、

その選択を、「良かった」のだと言い切る私の心が。



だから、……けれど。

これは、ただの夢だ。















「…………っ、……」




彼が、慮るような顔でこちらを覗いていた。




返答の言葉を続けることができない。
少しだけ目頭に熱が溜まるのを感じながら、辛うじてゆるやかに首を動かした。

彼も都合が分かったのか、近くに腰掛けて、私の背に手の腹を添えてくれる。
寄り添う温もりが酷く心を和らげて、遺体のように強張った身体が解けていく。


















「……ありがと。もう大丈夫、だから」


彼は安堵した風に微笑む。良かった、と。心からの善意でそう口にする。





「……」



頷く。……言葉にはならなかった。

口に出してしまえば、全てを思い出してしまいそうだったから。
全てが本当であったように思えてしまうから。

こうして見ないふりをする方が、楽になると知っているから。








「カズ。……」






縋った人の温かく大きな腕は、いつかの日よりも心許なくて、
──きっと私が大きくなってしまっただけなのだけど──
けれど優しく、私を守ってくれる。









「……怖いよ、カズ」






「怖いよ……」






「ぼくが、」






「ぼくが……」







優しい腕に抱かれる。

ああ、そうだ。

この記憶は確かに、在りし日の　　　　のものだ。








（……？）




この記憶は、確かに。


「ぼく、の……」













温かな掌。

ひとりじゃないのだと、証明するような体温。




「……」


「うん……」



弱いこどもは、違和感より、穏やかな心持ちを優先させる。
委ねて、そっと眼を閉ざす。











優しい眠りに落ちてゆく。

誰も傷つくことのない、永劫に続く、ヒトがヒトのために創り出した夢に。

落ちてゆく。

▲	ケイ 「…ううん、信じる。嘘つく必要が無いからだ。 　怖がったりして、悪かった。傷つけたなら謝る。」

	落ち着かせるように自分の胸を掌で抑え、 小さく息をつくとペコリと頭を下げる。

	ケイ 「いっこ、聞かせて欲しい。 　イバラと姿が変わっているところ、あと異能と違う見せてくれた力、 　アンジニティの人、だよね。 　なのにイバラの人や街を守るの？」

	ケイ 「桜さんの一部で、あの子にもあの子の意思がある？ 　まさか……いや、よそう。 　どういう形であれ、あの子が護られてるのであればいい。 　俺はそれを喜ばなければいけない。」

	ケイ 「……俺も桜さんと同じだ。 　誰か守りたい人がいて、ここにいる。」

	子どもの目線に合わせるよう少し屈みながら答えた。 その表情は微かに悲しみの色を出し、微笑みで塗りたくられていた。

▲	トキ 「……ヨシ、ノ、」 トキ 「……待って。なんでキミが、それを知って、」 　空気音。 トキ 「……いや、」 トキ 「ヨシノっ！？ 　待て、キミ、今……！！」 トキ 「……っ！！」 　がしゃん、と音。 　聞くに堪えないノイズ。 　ノイズ。 　無音。 　「……あは、」 　血痕が一滴、画面上に落ちた。

▲	タヌキ 「そうだ！　そういうことだ！」

	【威風堂々、首を持ち上げた姿勢のままタヌキが吠える。 首筋を撫でる指が気持ち良かったとか、まだ物足りないなとか。 そんな気持ちは泥の中に隠したまま、師匠の威厳を見せ付けようとする。】

	タヌキ 「ふふん、触る度に新しい発見があるだろう？ これが泥遊びをする上での、大きな楽しみの一つなんだ。 本当はもっと触って欲しい…じゃない、触らせてやっても良いんだけどな……。」

	タヌキ 「…そうだな。 一番弟子の言う通り、ここで時間を潰すわけには行かないからな。 続きの楽しみは、泥場に着いてからすることにするか。」

	【そう言うと、タヌキは姿勢を正して。 くるりと踵を返すと、山に向けて歩き出そうとするのだった。】

	タヌキ 「俺の後ろを付いて来るんだ、一番弟子。 少し険しい場所もあるが、一番弟子なら登れる道を見繕ってある。 辿り着くまで、そう時間は掛からないはずだ。」

	タヌキ 「それで、だ。 歩いている間に、一番弟子の問いに答えてやるぞ。 ほら、俺のことが知りたいと…そう言っていただろう？」

	タヌキ 「首を撫でられてる間は、話したくても話せなかったからな。 代わりと言うつもりは無いが、今なら幾らでも話してやるぞ。 俺もお前の秘密を知ろうとしてるのだから、オアイコと言うやつだ。」

	タヌキ 「…とは言ったもの、な。 一番弟子が俺の何を知りたいのか、さっぱり分からないのだけどな。 俺のどんなことを、一番弟子は知りたいんだ？」

	【山道を先導して歩きながら、タヌキが問い掛ける。 この辺りの道はなだらかで、緩い斜面を登って行こうとしているようだ。】

▲	ニアク 「あ～……何だ。 　たぶん、一個一個……そう、少しずつ、ちょっと誤解がある。 　いや、説明してねえから、当たり前なんだけどさ」

	ニアク 「記憶がないのは元からだ。 　私にあるのはアンジニティに流された後の記憶だけ。 　いや……それと、イバラの記憶か」

	ニアク 「そうか、そっちも囚人だったんだな。 　……」

	ニアク 「妖怪変化ってやつかな。 　とは言え、私が知る妖怪(フェノメノン)とは少し具合が違いそうだ。 　アンジニティで出くわす連中はみんなそうだが……」

	ニアク 「化け物なんてよ、悪口言う時にだけ使う言葉だぜ」

	ニアク 「まあ……何だっけ、あれだ。 　私は別に可哀想じゃないんだよ。罪を犯して、記憶を失くして、流された。 　辛いのも苦しいのも、自分がなんかやったせいだと思う。 　つまり、それがいちばん楽で……分かるか？」

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