
ユカラと初めてキスをした。
一年ぐらい一緒に旅をした時に寝食を共にしても、まったく何も起こらなかった過去を経ているので、いい雰囲気どころかちょっと険悪な感じになりかけたタイミングでのキスはまさに青天の霹靂であった。
おでこや頬にキスぐらいなら仲の良い人とのハグで多少は経験はあるものの、濃厚なキスなんて勿論経験した事なんか無くて、思い返してみても何をされたのか良く分かってない。
全身の力が抜ける様なふわふわした感覚と、私が倒れないように抱きとめたユカラの力強さを思い出すと耳が赤くなるぐらい恥ずかしくなる。
まな板の上のマグロかというぐらい為すがままにされてしまった訳で、あの超絶なキスのスキルは何処から身に着けたのかを想像すると、ユカラの黒歴史に触れてしまい、何かデブのハゲな衆道のおっさんが頭に浮かんで来たので私は考えるのを止めた。
混乱はしているものの、今の私が浮ついた気持ちになっている事は確定的に明らか。
アズちゃんは感情に反応する精霊の姿が視えるそうなので、ユカラと何かあった事を黙っていたとしても私の周りで慌てている精霊と浮かれている精霊が輪になって踊ってそうなので、バレるのは時間の問題だった。
私が素直にキスした事を告げると、アズちゃんは怒ってはいなかった様だが、私と同じ様に動揺は隠せないようで如何ともし難い表情をしていた。
この前ユカラとデートして、キスしたばかりだったものね。
アズちゃんが私に謝った気持ちも、今なら何となく分かる気がしてきた。
私にも申し訳ない気持ちは多々あったのだけど、ここで謝ってしまうとユカラが私にキスした事が悪い事になってしまう。
私が「おでこはキスのうちに入らない」なんて言ったから、ユカラなりに私に気を配ってくれたのだろう。
しかし、なんかこうユカラも、もうちょっといい返し方もあったんじゃない?
軽くハグしてくれるだけでも落ち着いたんだけどな……いや、それは今だから言えるだけの話で、傍から見たら私は相当落ち着いてなかったのかも知れない。
今の私の心境をユカラに説明しようとすると、また纏まりのない話をしてしまいそうで、面倒くさい顔されそうだな。
今の気持ちを三行で纏めて。とか言われそうだし、私ももう少し頭の中が整理できたらユカラに改めて話をしようと思う。
元々空気を読むのが上手なマグノリアちゃんは、私の様子を見ると心配そうな顔をしたものの、どうしたのかは聞かないでくれてマジ天使だった。
圧倒的に足りてない今までの恋愛経験のツケで、ギクシャクしてしまっている自分自身が歯がゆくて仕方ない。
助けて恋愛マーシャルさん!
この恋に迷う駄無な私を何処までも連れてって。
そんな気持ちだからいつまで経っても駄無なままなんだな、駄目だこりゃ。
インテグラセンターの仕事も終わり、気分転換に雑誌でも買って帰ろうとBOOKキングに寄った私は、なんかこう恋愛の事に参考になりそうな資料を探してみる事にした。
とは言っても、そういう本を立ち読みしている姿を誰かに見られたらとても恥ずかしいので、表紙で判断して中身は家に帰ってから読むより仕方ない。
恋愛関連の雑誌とかに詳しい、自称恋愛マーシャルの兵庫さんという人と昔一緒に旅した事があるのだが、真面目に情報聞いておけば良かったなと今更ながら反省するのだった。
そんな時にふと目を惹くタイトルの雑誌を見つけたので、私はそれを手にとった。
『大人の最強恋愛漫画love※ガールズ』
なんかイケメンなお兄さんとキュートな女の子がいちゃいちゃしてるっぽい絵と、字面からして強そうなタイトル。
そして何より他の本に比べて月間少年誌かというほどの分厚さが、私に『俺様を買え』と心に囁いている気がした。
しかしこれだけ買って帰ると、私がとても愛に飢えた寂しい女に思われてしまうのでは無いか?
私はファッション雑誌と料理のレシピ本を選び、平静を装うと最強恋愛漫画を真ん中に挟んでレジへと並んだ。
レジカウンターはお姉さんで、私は雑誌を重ねて置くと息を呑んでそれを見守った。
お姉さんは手際よくバーコードを当てて、速やかに袋の中へ雑誌をつめてくれる。
流石はプロである。
私が無意識に頭を下げてお釣りを受け取ると、心無しかお姉さんの表情が微笑んでいるように見えた。
ジェイド王国大使館に帰ってきた私は、真っ先に自分の部屋の机に雑誌の袋を避難させたあと、落ち着きを取り戻してマグノリアちゃんの用意してくれた夕飯をユカラやアズちゃんと一緒に食べた。
「深雪ちゃん、何だかソワソワしてない?大丈夫?」
アズちゃんが心配そうにこちらを見ているので、私は首を横に振った。
「そ、そんなこと無いよ?今日もマグノリアちゃんのご飯は美味しいなって、嬉しくなってただけ」
実際マグノリアちゃんの作るご飯は美味しいので、嘘は言ってない。
ユカラは黙々とご飯を食べているが、いつもこんな感じだしキスの事も忘れてんじゃないの?ってぐらい平常運転だった。
「いつも褒めてくださってありがとうございます。深雪様のお言葉が一層の励みになります」
長いうさぎ耳をピコピコさせて喜びを表現するマグノリアちゃんがとてもカワイイ。
それから当たり障りのない会話を挟みつつ、食事も無事に終わるのだった。
私はお風呂に入ってから部屋に戻ってパジャマに着替えると、ダミーに買ったファッション雑誌と料理のレシピ本は机の上に置いたまま、恋愛最強漫画を持ってベッドに寝転がった。
この漫画雑誌を読んだだけで最強になれる訳は無いとは思いつつも、何か参考になる様なシュチュエーションもあるのではと期待をしつつページを捲る。
物語的には社長だったり俳優だったり、マフィアのボスだったりするイケメンな男と、割と平凡そうな女の子とのいちゃいちゃ展開なのだが……
「えっ、これ。エッチな雑誌なのでは?」
なんかこう、キスより先の濡れ場のシーンが満載だったりするのである。
おかしいな?アダルトコーナーに立ち寄った記憶は無いんだけど。
そういえば女の子専用のエッチな雑誌コーナーなんて見たこと無いよな。
もしかして男子と違ってゾーニングされている訳では無いのか。
この年になって初めて知った衝撃の真実であった。
然しこのイケメンな男子は全体的にこう、強気な感じで何となくユカラをイメージしてしまって、変な妄想が捗ってしまう。
まぁ、この漫画の女の子と違って、スタイルこんなに私は良くないけど。
それでもどうしても自分とイメージを重ねてしまって、あのキスの先にはこんなことやあんな事もされちゃったりしちゃったりするのかと、ちょっと悶々としてしまうのだった。
「私が受け身過ぎるのが駄目なのかな……いや、ユカラもこのイケメンみたいに少し強引に……いやいやいや、まってまって」
独り言を言いながら最強恋愛漫画を読み進めているうちに、あっという間に夜が更けて行く。
私は知らないうちに眠りに落ちて、目覚ましの音に気づいた時にはスヌーズ機能を切って十分程二度寝をした後だった。
「うわっ、こんな時間!?仕事に遅刻しちゃう!」
私は飛び起きて慌てて着替えると、マグノリアちゃんの用意してくれた朝ごはんを食べてから、インテグラセンターへ向かうのだった。
インテグラセンターのお仕事もなんやかんやで終わり、私は大使館への帰り道でふとある事を思い出す。
「……そういえば、昨日読んでたあの漫画雑誌どうしたんだっけ」
慌てて朝は起きたので、まったく雑誌のことなんか片隅にも無かった。
部屋が起きたときのままならそれでもなんの問題も無いが、大使館の各部屋は毎日マグノリアちゃんがしっかり掃除をして、さらにはベッドメイキングまでしてくれるのである。
つまりはどう言うことなのかといえば、エッチな本を私が読んでいた事が純粋無垢なマグノリアちゃんに知られてしまうという事である。
「う、うわあああああああ!!!」
私は絶叫して一目散で大使館へと駆け戻った。
玄関を駆け抜けて自分の部屋へと戻ると、朝に脱ぎっぱなしだったパジャマは綺麗に折り畳まれて最強恋愛漫画と一緒に机の上に置いてあった。
漫画の上には置き手紙が一枚。
『深雪様。ベッドの下に開いたままお読みになられた本が置いてありましたので、傷まない様にこちらに戻しておきますね。開いたページは読んでいる途中の可能性も考慮しまして、栞を挟んでおきました。ご安心ください。マグノリア』
「マグノリアちゃぁん………なんてことをぉぉぉぉ……!」
マグノリアちゃんの無限大の優しさと自らの羞恥心が入り混じり、私はベッドにもんどり打ってひっくり返るのだった。